5章7話『肉を切らせて骨を断つ』
魔人。そう表現された異型は禍々しい赤黒の翼を羽ばたかせ薄暗い曇り空と重なった。
「あれだけの血を流していながら、まだ動けるか。さすがはゴブリン。人ならざるものなだけある」
「…………俺がゴブリンだって、信じて疑わないのか?」
「……………………どうだっていい事だ。早く始めよう」
一滴の雨粒がゴーストの剣の先を光らせる。まるで皮肉にも、希望を表しているかのように。
そんな希望は、ヒロキにとっては最高の敵であり最高の獲物だった。
ヒロキは大剣を構え、ゴースト目掛けて急降下した。重力と速さが掛け合わさったその一撃はあまりにも重い攻撃だった。ヒロキは遠心力に負けそうになる左腕を必死に抑え、大きく振り下ろした。
その攻撃も、ゴーストは細い剣1本で受け切ってしまった。
「ほぅ、素晴らしい攻撃だな。私でなければ死んでいたのではなかろうか」
「チッ…………!」
ヒロキは後ろに下がりまた空を飛んだ。
「なんだあいつ…………いくら剣で受けられたとはいえ、手応えがなさすぎる…………」
ゴーストは横向きに掲げた刀を元の位置に戻すと今度はゴーストの方がヒロキに向かって走り出した。アスファルトを蹴る鈍い音が短いインターバルで何度も繰り返される。
そしてある程度近づいたところで、飛んだ。
「なっ……………」
ゴーストは高く飛び上がり、あっという間にヒロキと同じ高さまで上がった。それ故に空中にいれば攻撃が来ることはないと思いこんでいたヒロキは度肝を抜かれた。
それでもなんとか対応しようと大剣で身を守るヒロキ。強く閉じた目は周りからの一切の光を許さず、前方から現れる希望を絶望という網で遮断していた。
しかし、ヒロキが予想した時間に希望は訪れなかった。
「こいつ…………タイミングをずらしてきやがった!」
ヒロキは地面と強く衝突した。砂煙の消えた先には撃ち落とされた魔人の翼の一切れが血液という形で辺りに散らばっていた。
「チッ…………俺の行動を完全に予測してるのか?」
ヒロキは血塗れになった体を不器用に起き上がらせ、立ち上がった。
「ヒロキおにーちゃん…………このままじゃ……………………」
「分かってる…………。この状態になった以上、私達も最大限の支援をしなければならない…………」
レイナとルカが顔を見合わせる。
「うーん…………」
一方のアリスは考え事でもしているかのように唸っていた。
「よし、やっぱりそうするしかないみたいだね」
「アリス…………?」
不安げに名前を呼ぶレイナに見向きもせず、アリスは懐からサブマシンガンを取り出すやいなや、ヒロキの元に向かった。
「ヒロキ〜、ちょっと苦戦してるでしょ?」
「……まぁ、ちょっとっていうかかなりな」
「ふーん?もー、しょーがないなー」
アリスはヒロキの横に立った。
「アリスが手伝ってあげるよ」
アリスはゴーストに銃口を向け不敵に笑った。
「ははっ、おもしれぇじゃねぇか!」
ヒロキもまた、不敵な笑みを浮かべ立ち上がった。
そしてゴーストに向けて一直線に進み、その大剣を不安定な左腕で持ち上げた。
振り下ろされた大剣をギリギリかわしたゴースト。地面と大剣が衝突する音は辺り一面に広がる。
ヒロキはアスファルトに食い込む大剣を力任せに引き抜き、今度は遠心力を利用して横に振った。空気を切る音は2つの剣がぶつかる音にかき消され、交わった刃の周りに静寂が訪れた。
その静寂を破ったのは短い爆発音たちだ。アリスの手元から放たれる銃弾はゴーストを殺めんと飛び交っていく。
「…………この程度か」
ゴーストは無理やりヒロキを剣ごとはじき飛ばし、アリスの方を向いて剣を無造作に振った。
弾かれた銃弾は辺りに散らばり落ちていった。
「クソッ…………これじゃらちがあかねぇ…………………せめて剣さえ弾かれなければ…………」
そこでヒロキはあることを思いついた。
「ルカ、ナイフをくれ」
「ナイフ…………?そんなのでかてるの?」
「あぁ。いいこと思いついたんだよ」
「…………わかった」
ルカはナイフを投げ、ヒロキはそれを受け取った。
ヒロキは痛む脚を無理やり動かし、回転しながら上昇していった。
「こうなったらもう完璧な勝利なんて求めねぇ!どんな犠牲を払ってでもあいつを殺す!『肉を切らせて骨を断ってやる』!」
ヒロキは大剣を強く握りしめる。そしてその手を強く叩き、ゴーストに向かって急降下した。
あたかも彗星の如く、血を撒き散らしながら突進してくるヒロキ。ゴーストはそれを見ても避けようとしなかった。
いや、正確には
「避けるまでもない」
ゴーストは振り下ろされたヒロキの大剣に片手で持った剣を当てて迎え撃った。ここまでは先程と同じ。先程ヒロキが大剣を弾かれた時と同じだった。
「………………っ!」
ヒロキは全体重を一点に集中させ、大剣の威力を限界まで上げしたた。ゴーストに攻撃を弾かせないために行った策だ。更にヒロキはもう1つ、策を練っている。
「…………なるほど。肉を切らせて骨を断つ、その通りだな」
ヒロキの手に刺さるナイフを見たゴーストは仮面の奥で笑った。
「剣が弾かれてしまうなら、俺が剣と一体化すればいい。それだけだったんだ」
メキメキと音を立てる両者の武器。弾くことも弾かれることもできない状況の中、勝敗を左右する出来事は突然起きた。
「面白い発想ではあるが、甘いな」
ゴーストは握りしめた剣に更に力を加える。ゴースト自身も腕の血管が切れそうなほどで、その痛みは果てしなかった。
「なっ…………」
一瞬だった。
ヒロキの大剣にヒビが入り、刃はあっという間に散らばる結晶へと変わった。
ガラ空きになった腹にゴーストが蹴りを入れる。ヒロキは大きく飛ばされ、後方のビルに衝突した。
「ヒロキ!」
アリスがヒロキの方へ走り出す。当のヒロキは恐れ慄いた顔でアリスを指差した。
「アリス!後ろ!」
彼女は驚きの声を出すまでもなくゴーストの前に骸と化した。
「アリスおねーちゃん!」
「そんな…………!」
絶句するルカとレイナに、ヒロキはこう言った。
「ルカ、レイナ。お前たちは織葉駅に向かえ」
「織葉駅…………?」
「あぁ。俺が時間稼ぎしてる間に、アルトと合流しろ。そしてその後佐倉駅のシュルバと合流するんだ。そうすれば、こいつに勝てるかも知れない」
「でも、そうしたらヒロキおにーちゃんは…………」
「…………………………………」
黙り込むヒロキをじっと見つめるルカ。レイナは多少強引にその手を引っ張った。
「行こう…………」
「でも!」
「早く行こう…………せっかくヒロキが作ってくれた時間を無駄にしないために」
「…………っ!」
2人はヒロキに背を向けて走り出した。
「行ったな…………」
ヒロキは砂と雨でぐちゃぐちゃになった服を無理やり持ち上げ、更に高く飛び上がった。
「さっきのでわかったよ。お前相手に、『肉を切らせて骨を断つ』なんて事は出来ないってことが」
でもな………?と続ける。
「『骨を断たせて肉を切る』、くらいなら出来るんじゃないか?」
ヒロキは体を縮こまらせ、一気に開いた。
空からは透明な美しい雨と赤黒い殺傷能力のある血の雨が同時に降り注いだ。
「これは………………」
「どうだ!これなら避けられねぇだろ!」
そう言い終わった頃、翼を失ったヒロキは落下を始めた。
その途中で見たもの、それは。
「これが時間稼ぎとは、笑わせてくれるな」
至って無傷のゴーストだった。
「……………ぁ……………………」
地面に横たわったまま動けなくなったヒロキの前に、ゴーストが立った。
「結局お前は『肉を切る』ことも『骨を断つ』ことも出来ないまま負けるんだ」
一刹那の鮮血が上がった。




