5章6話『逃げられない』
「よかった、まだ完全に人が消えたわけじゃなかったんだな」
ヒロキはほっと一息つき、目の前の人に歩み寄る。彼のスマホが鳴ったのは、その十数秒後だった。
「もしもし。どうしたんだ?突然」
「ねぇ、そっちに狼の仮面を被ったフードの男なんていないよね?」
「…………その男が、どうしたんだ?」
「もし見つけたら、すぐに逃げて。そいつは多分、1人や2人で立ち向かってなんとかなるやつではないから」
「……つまり、そいつは敵なんだな?」
「まだ半信半疑だけどね」
「……要するに、殺していいんだよな?」
「…………待って、ヒロキ。あんたまさか!」
ヒロキは電話を切った。
「敵なら…………殺すしかないよな。たとえどんなに強くても」
ヒロキはアスファルトの上を足音を鳴らしながら進んでいった。
「よぉ」
ヒロキはフードの男に声を掛ける。相手側からの返事はなかった。
道路のど真ん中で向かい合う両者はお互いにお互いを殺さんと睨み合っている。ヒロキは覚悟を決めた。
「さぁ、絶望を始めよう」
ヒロキは刀を抜き、重心を低くして走り出した。
「ぅうおおおらあぁっ!!」
ヒロキは男めがけて刀を力いっぱい振り下ろす。それは地面のアスファルトすら割れる程の一撃だった。
「今のは…………危なかった」
「チッ!」
背後から聞こえる男の声にヒロキは苛ついた。
「なかなかパワーのある攻撃だな。貴様、名を何と言う?」
ヒロキは男を睨んだまま、刀片手に言った。
「ゴブリン族のヒロキだ」
男は同じように自らの腰に納められた剣を抜き、それを前に突き出した。
「私はゴースト。VG団のゴーストだ」
ゴーストはヒロキ目掛けて飛びかかるように走り出した。咄嗟にヒロキも血塗られた刀で身を守る。
が、次の瞬間ゴーストはあたかも亡霊の如く姿を消した。
「なっ…………どこ行きやがった」
ヒロキは体を大きく回転させ、刀を斜め上に振り上げた。ぶつかり合った鉄と鉄は派手な音を立てて火花を散らし、両者は大きく仰け反った。
「よく気づいたな。褒めてやろう」
「そっちこそ、よく俺の死角を突けたな。褒めてやるよ」
ヒロキは体制を立て直し、再びゴースト目掛けて走り出す。正面から迎え撃つゴーストの刀をするりと避け、かがんだ状態から空いたゴーストの脇腹に鋭い一撃を繰り出した。
しかしゴーストはまたもや虚空に姿を消し、刀は空気を切り裂きビュンと音を立てた。
「やるな貴様。その刀術、どこで身につけた」
「こちとら死ぬほど練習してんだ。刀なら誰にも負けねぇよ」
「面白い。ならその死ぬほど練習した成果とやらをもっと私に見せてみろ!」
ゴーストは剣の先を前に向けたまま、重心を後ろにかけ、地面を蹴って一気に飛び出した。全身を回転させながら一直線に飛んでくるゴーストを対処することは簡単だった。
「……………………」
ヒロキは目を閉じた。
確かに、真っ直ぐ突っ込んで来るだけなら、横に避ければいいだけの話。しかしそうすればまた奴は亡霊の如く自分の背後に現れるだろう。そして恐らく、そこまでが一続きの攻撃なのだろう。
つまり奴の攻撃を完全に避け切るには、奴の予想を完全に超えなければならない。
「ここだ……………!」
ヒロキは逃げるわけでも避ける訳でもなく、突き進んでいった。
そしてゴーストと地面の間の空間に向けてスライディングしてゴーストの裏を取り、即座に刀を切り上げた。
その刀も、手応えがないまま虚空を切り裂いた。
「…………これを避けるなんて!」
ヒロキは何もない空間に目を見開いて叫んだ。
そして彼の背後の何もない空間から現れた亡霊は彼の左肩に重い一撃を加えた。
「ぐっ…………!」
溢れだす鮮血を抑え、ふらふらと立つヒロキ。彼の目は怒りに染まっていた。9割型。
「は……はは…………俺に血を出させたのが間違いだったな…………」
ヒロキは手についた血を道路になすりつけ、今にも斬り落とされそうな左肩で刀を持った。
「はぁあああっ!」
ヒロキの掛け声と共に地面についた血液は巨大な槍の形に変化した。
「これで最後だ……………」
ヒロキは刀を高く上げる。それと同時に、地面に転がる槍もゴーストの方を向いて宙に浮いた。
ヒロキは刀を一気に振り下ろし、叫んだ。
「死ねェ!」
槍はゴーストに向かい、その鋭利な先端を光らせた。
にも関わらずゴーストはじっとその槍を見つめ、腰に刺さった剣に手をかけていた。
次の瞬間、ゴーストは強く1歩踏み出し剣を斜めに振り上げた。
「おいマジかよ…………」
ゴーストの両脇で真っ二つになった槍がカランと音を立てた。
「くそっ…………!」
ヒロキは刀を納め、真後ろに走り出した。
走りながら彼はシュルバに電話をかける。
「俺だ。ヒロキだ」
「ヒロキ!アンタ大丈夫なの!?」
「…………全然、大丈夫じゃねぇかもな。とんでもねぇもんを落としちまった」
「落とし物?」
「あぁ。今、例の男…………ゴーストから逃げてるんだ」
「やっぱり…………アイツは私達の誰か1人が立ち向かって勝てるような相手じゃない」
「それで…………その落とし物なんだがな」
シュルバは言葉を失った。
「左腕、落としてきちまった…………」
ヒロキはとめどなく流れる血を気にもせずひたすらに走った。
「左腕って…………!」
「わかってる。大丈夫だ」
「全然大丈夫じゃないじゃない!」
「とにかく、お前に手を下させるつもりはねぇ。アイツは俺が仕留める」
「無茶だよ!左腕が無い状態でアイツに勝てるわけがない!」
「どうして、そう言い切れる?」
「…………アイツと接触した時に、感じ取ったのよ。こいつは間違いなく勝てない敵だって……………………」
「なるほどねぇ。まぁいいさ。今から俺は白名駅に向かう」
「白名駅というと…………あっ」
シュルバは何かを悟ったようにニヤリと笑った。
「わかった。じゃあルカちゃんにも連絡しておくね」
「悪ぃな、助かる。それじゃあ」
ヒロキは電話を切った。それとほぼ同時に、ヒロキは金馬駅についた。
駆け込んだ電車の中でヒロキは必死に止血を試みたが、まるで血が止まる様子がない。だんだんと頭も痛くなりフラフラしてきた。白名駅につく前に死んでしまうかもな。などと不安になりながら、誰もいない電車に揺られていた。
やがて白名駅についたヒロキ。彼が乗った電車とほぼ同時に反対側にも電車がついた。
「ヒロキおにーちゃん!腕だいじょうぶ!?」
「ルカ、それにレイナも…………」
「とりあえず、ほうたいを…………!」
「悪いな」
ルカはポシェットから包帯と消毒液、それとガーゼを取り出した。
ガーゼに消毒液を染み込ませ傷口を消毒し、無残に斬り捨てられた腕の断面に包帯を巻いた。
「軽いおーきゅーしょちだけど、とりあえずこれでなんとか」
「あぁ、サンキューな」
「大丈夫かヒロキ…………ここから、少し歩くぞ」
「あぁ。なんとかな。シュルバから話は聞いてるか?」
「うん。ヒロキおにーちゃんがオバケみたいな人とたたかって大変だからレイナおねーちゃんと一緒に電車のってーって」
「しかし……………そのゴーストとかいう奴はそんなに強いのか…………?お前が……ここに来なければ……彼女に会わなければならないほどに」
「あぁ。これは俺の体感だが、シュルバやレイナでも立ち向かって勝てるような強さじゃない。いや……それどころか、本人がいない以上断言はできないが…………タクトを含めた俺達7人でも勝てるかわからない」
「そんな…………」
「まぁだからこそ、ここに来たわけだからな」
「そう…………だな……………先を急ごう」
3人は駅を出た。外は一層冷たくなっていた。
「逃げられると思うなよ」
彼らの目の前に現れた亡霊は剣を突き出して言った。
「ハッ、それはこっちのセリフだ」
物陰から現れた少女とルカ、そしてヒロキは手を取り合った。
「「断罪」」
「「決意」」
ヒロキの姿は瞬く間に、魔人と化した。そして血でできた左腕には大剣が握られている。
「逃げられると、思うなよ……!」




