4章20話『恐怖と殺意』
シュルバの目。黒く濁りながらも一点の光を包むその目は見るものの恐怖を煽り、見るものに死を実感させる。『闇』なんて生半可な単語では表せない。言うならば『絶望』をそのまま具現化したような目。シュルバはその目でタナトスを見つめ、不気味に笑った。
「なんだ?眼鏡を外しただけでパワーアップなんて力を持っているとでも言うのか?」
シュルバは手と首を振って笑った。
「アハハッ!違いますよ♪ただ邪魔だから外しただけです」
タナトスはシュルバが次に何を仕掛けて来るのかが分からない。警戒しつつ、自分の体を守るように槍を構えた。
「おい、シュルバ………何をするつもりなんだ?」
「…………アルト、1つお願いがあるの」
「お願い?」
「私は今から、私の出せる全力を出してタナトスと戦う。だから、アルトとルカちゃんの面倒を見ている暇はないと思う。だから、ルカちゃんをお願い」
アルトはコクリと縦に頷き、ルカのそばに寄った。それを見たシュルバは斜め上を見上げて目を閉じた。
「アルト…………前に、いつか私は私の過去と向き合わなきゃいけない………みたいなこと、言ってくれたよね?」
今が、その時だと思う。
シュルバは膝から崩れ落ちてしゃがみこんだ。彼女の体はビクビクと痙攣し、目は見開き、顔は青ざめ、全身から冷汗が止まることなく流れ出た。
「お、おい…………シュルバ?」
アルトの呼ぶ声も届かず、シュルバは頭を抱えてブツブツと何かを呟く。
「………嫌だ…………やめてよ…………」
呼吸も不規則になり、涙が垂れる。彼女は今にもおかしくなりそうだった。
「おい、あいつどうしたんだ!?」
「シュルバおねーちゃん…………まさか」
「心当たり、あるのか?」
「もしかしてシュルバおねーちゃんは、記憶を操作してるんじゃないかな………?」
「記憶を操作…………?てことはあいつ!」
「うん。シュルバおねーちゃんは自分の中にある1回目の人生の記憶を無理やり引きずり出してるんだよ。そうじゃないと、ルカ達はこの状況を説明できないから」
「シュルバ………でもなんでそんなこと…………」
シュルバは頭を抑えながらよろよろと立ち上がる。足元はまだ不安定でいつまた倒れてもおかしくはない。ナイフすらまともに持てる状況ではなかった。
このまま待っていてもキリがないと判断したタナトスは槍を前に突き出しシュルバに向かって走り出した。
タナトスの槍がシュルバにぶつかる寸前、シュルバはナイフでそれを防いだ。
タナトスは一度距離を置き、槍を構え直す。その目の前に立ち尽くすシュルバは黒い髪の下から血のように紅く染まった目を覗かせながらハァハァと息を荒げ、タナトスを睨む。
「…………殺さなきゃ………………」
シュルバが静かにそう呟くと、タナトスは槍を体の前に構えた。
「殺さなきゃ………………殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ!!!」
シュルバは地面を強く蹴りタナトスの方へ走った。タナトスは突然の出来事に驚きつつも、冷静にシュルバの行動を読んでバリアを展開する。シュルバのナイフはバリアに弾かれるが、彼女はそこで諦めなかった。
「邪魔!邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!」
シュルバは何度も何度もバリアをナイフで叩き続ける。まるで効果のないように見えたその攻撃は執念と本能の波に乗り大きな変化をもたらした。
「待って………そんな、そんなはずは!」
タナトスが見たバリアには白い線が放射状に広がっていた。タナトスはすぐに察した。今のシュルバには小細工は通用しないということに。
バリアの割れる音が高く響いた。タナトスは反動でバランスを崩しながらもなんとか踏みとどまって体勢を直した。
シュルバはその一瞬の隙をついてタナトスに触れる。
「絶望」
「しまっ…………!」
タナトスは胸の内に熱い力を憶えた。それと同時に、死ぬはずのない他の神たちはどうやって殺されたのか、それを理解した。つまり、そんな大して重要でもない事に頭が回ってしまうほど、タナトスは限界に近かった。
「なるほど………そういうことかよ」
「?………アルトおにーちゃん?」
「なんとなく、カラクリが分かったんだ。あいつ、1回目の人生の記憶を蘇らせて何をするのかと思えば、1回目の人生で得た抗う力を利用してるんだ。敵からの攻撃に抗い、有利不利関係なく殺すことだけに集中する攻撃方法。今までの俺達は『相手を』絶望させることによって勝利を得ていた。つまり、言ってしまえば絶望の先の希望を見出して殺してきた。でも今のシュルバは、『自分を』絶望させることで7柱に勝とうとしている。要するに、絶望の先に絶望がある状況。まるで無限階段のような絶望に包まれてるんだよ、あいつは」
その言葉の通り、シュルバは何かに追われているようにひたすらにタナトスを攻め続ける。効率が悪いと分かっているのに、シュルバはナイフを振り回す。それをなんとか回避するタナトスにも、体力の限界が近かった。
「ダメだ…………このままじゃシュルバおねーちゃんがシュルバおねーちゃんじゃなくなっちゃう…………ルカが、シュルバおねーちゃんを止めないと!」
ルカは覚悟を決め、シュルバに向かって走り出す。
「おっ、おいルカ!」
「大丈夫!ルカがなんとかするから!」
ルカはシュルバまでたどり着くと、タナトスを蹴り飛ばさんとするシュルバの左足にしがみついた。ルカは力いっぱいシュルバを抑えつけ、なんとか彼女を止めようとする。
シュルバはそんなルカを見て一言。
「殺さないと…………殺さないと、私が殺される………………」
そう、今のシュルバに敵味方の区別はつかない。シュルバはルカに向かってナイフを振り下ろそうとする。
「ったく………あのヤロォ!」
アルトはナイフがルカに当たる寸前でルカを押し出した。ただここで残念な事態が発生する。
2人の位置関係を考えてほしい。ルカを押し出したということは、アルトはルカと同じ場所に居るということになる。そしてルカにナイフが当たる寸前だったと言うことは、シュルバが寸止めでもしない限り、ナイフは真下に進むはずだ。ここまで言えば分かるだろう。
シュルバのナイフの先から血が飛び散った。無我夢中にアルトを滅多刺しにするシュルバ、その隙を見てルカは泣きながら岩の影に逃げた。
流石のタナトスも、これには言葉を失った。だが、1つだけ気づいたことがある。それは、彼女には理性がないということ。複雑な動きはできないという事。もっと言うなら、銃を使えないということ。
タナトスはアルトを殺し終えて起き上がるシュルバの一瞬の隙をついてナイフを奪った。タナトスはまだ心臓がバクバクとなっているが、ナイフを奪えたことで勝機を見出した。
でもそれは、シュルバにとっては関係のないことだった。
シュルバはタナトスがナイフを持っていることを知りながらもタナトスに向かって迷いなく歩いていった。そしてタナトスの首を掴み、右脚を振り上げてタナトスの左脚を振り払い、腕を前に押しタナトスを地面に叩きつけた。
「うぐっ…………ふぁっ…………ぎっ…………」
タナトスは首を掴む手を掴み返してもがく。しかし、タナトスに馬乗りになったシュルバはその両手を一切緩めることなく絞め続ける。むしろ、その力はだんだんと強くなっていった。
「ぎっ…………くっ………………」
「ぁ………………」
「………」
タナトスはついに動かなくなった。
シュルバは立ち上がって少し歩くが、しばらくして力尽き、倒れた。




