4章11話『氷河の下の眠り姫』
「ふぁあ〜…………」
シュルバは伸びをしながら、先程まで自分が寝ていたベッドから降りる。枕元の眼鏡を手に取りかけて、クローゼットからおもむろにシャツとズボンを取り出し、パジャマを脱いでそれを着る。
最後に赤色が強めに出ている濃いピンク色のリボンで長い黒髪を2つに結び、シュルバは部屋を出た。
向かった先はカフェスペース。彼女はカウンターに立つ家事ファントムにコーヒーとトーストを頼み、適当なテーブル席に座ってノートPCを開く。
「えっと、これがこっちにあるから……………あ、ここにこれを打ち込めばいいのか」
指示代名詞が多様される独り言を淡々と続ける。空腹も喉の渇きも、今のシュルバには気にならなかった。
カランコロン。カフェスペースにもう一人入ってきた。
彼はシュルバの様子を見るなり、下手に声をかけるのはよそうか、と考えたが家事ファントムが彼にコーヒーとトーストの乗ったプレートを渡すものだから、彼は彼女の状況を察し、そのプレートを受け取った。
「うぅ…………お腹空いたなぁ」
シュルバはPCを打ちながらそう言う。数分前までは余裕で耐えていられたが、流石にそろそろこたえてきたらしい。
「ほらよ」
そんなシュルバの目の前に、アルトはプレートを置いた。
「あ、アルト。ありがと♪」
「気にすんな。にしてもお前、こんな朝早くから仕事か?」
「うん。朝の内にやって置けば効率いいでしょ?」
「全く…………体壊しても知らねぇぞ」
「大丈夫、大丈夫♪そう簡単には倒れませんから♪」
シュルバは歯を見せて笑い、コーヒーを飲みながらまたPCをいじり始めた。
アルトはその横でスマホを取り出し、ニュースを見る。とはいっても、特に興味深い内容のニュースがあるわけでもない。そもそもアルトはニュースが見たくてスマホを開いたわけではないのだ。
シュルバにどうしても聞きたいことがある。しかし、なかなかそれを聞く勇気が起きない。告白の時のようなじれったさを抑え込みながら、それを誤魔化すようにスマホを取り出してしまった。
「ん?どうしたの、アルト」
その不審な様子に気がついたシュルバの方から声をかけた。アルトはビクッと飛び上がったが、なんとか冷静を装って「なんでもない」と答える。
本当はなんでもなくないのにも関わらず。
「ダメだ…………これじゃ、あの時から何も成長していない」
アルトは自分にしか聞こえないくらいの小さな独り言を放ち、勇気を振り絞って彼女に問う。
「なぁ………」
「んー?」
「今俺が見てるお前は、本当にお前なのか?」
キーボードを打つシュルバの手が止まった。
「何………言ってんの?私は私だよ?」
シュルバは苦笑いを浮かべる。しかしアルトはそれに屈することなく、
「嘘だな。俺は見たぞ、お前の心に氷河期が訪れた瞬間を」
「……………氷河期ねぇ」
シュルバは唇に人差し指を当てて笑う。
「あなたが何が言いたいのか、よく分からない。しっかりと要件を伝えてくれる?」
「はぁ…………本当は分かってるくせに、めんどくせぇな」
アルトは椅子に座ったまま肘を膝に付き、指を組んだ。
「お前は今まで、合計3つの時間軸を経験している。1つ目は一番最初の、お前に名前が無かった頃の時間軸、2つ目はお前が探偵として働いていた、タクトの作った時間軸、そして3つ目に今いるこの時間軸だ。今のお前はこの3つの時間軸の記憶を鮮明に保持している。間違いないな?」
「えぇ………。もちろん、ちゃんと覚えてるわ。楽しかった事も、辛かった事も、死んだ瞬間の記憶ですらね」
シュルバの脳裏にふと浮かんだのは、体がバラバラになりながら線路の上で横たわる、血塗れになった自分の姿だった。
「それで、お前はタクトがまだ生きていたときは今ほどアグレッシブではなかった。むしろ、いつも何かに怯えているようにすら見えた。でも今はどうだ、恐ろしいほど行動力があって何者にも屈しない強い心を持っている。その証拠に、俺達はお前の指示の下、世界を生み出した7柱の神の内2人も殺すことに成功している。かつてのお前じゃ、そんなことは出来なかっただろうな」
「よく分かんないけど、褒められてるみたいだから嬉しいよ」
「じゃあお前の中にある恐怖や絶望は一体どこへ消えてしまったのか?そう考えたとき、ふとあの日の事を思い出したんだ」
「タクトが死んだ日…………よね?」
「あぁ。タクトが死んだ日の夜の出来事だよ。あの後、みんなタクトの死を受け入れられずにショックを受けているはずだから、と言ってお前は1日みんなを休ませたよな?でも一番ショックを受けているはずのお前が何故か部屋にいなかったんだ」
「あれは…………髪を染めてただけだよ。現に次の日の朝、私の髪は金色から今みたいな黒になってたでしょ?」
「それは、恐らく昼間の内の出来事だろうな。俺がお前を見たのは夜だったが」
「やっぱり………もうそこまでバレてるんだね」
「あぁ。俺もあの時お前に促されて部屋に戻って、いろいろと考えていた。そんな時にお前が部屋に戻っていない事に気がついた。まさかと思ってお前の部屋に行ってみれば、見事に誰もいなかった。気になって船の中を探し回ってみれば、お前は最高管理室でPCをいじっていた。その時は、タクトを生き返らせる方法でも探してるのかと思ったけど、今思えばお前はタクトの義手を自分の腕を切り落としてまで受け継いだのだからそれはないだろうな」
「タクトを…………生き返らせるか」
「部屋に戻ろうかと迷ったけど、なんか嫌な感じがしたから俺は適当な物置に隠れてお前が立ち去るのを待った。そしてお前が出たのを見計らって最高管理室に入り、PCの中を覗いたんだ。そしたら、お前の1回目の人生が凍結されていたんだ。つまりお前は、自分の人生そのものを凍りつかせることで強制的に過去と決別したんだ。間違い、ないな?」
シュルバは黙ったまま、頷いた。
「なぜだ?なぜそんなことをした?」
「…………タクトは、私の心の支えだった。どんなに辛いことがあっても、タクトがいてくれたから私は耐える事が出来た。その想いが一方的なものだって分かっていても、私にとってタクトは大切な存在だった。そんなタクトが、突然いなくなっちゃったんだよ?」
「耐えられるわけ…………無いじゃん…………!」
シュルバはうつむきながら、目から雫を溢した。
「だから私は、私の中の悲しみや辛さを司る1回目の人生を壊せれば私の中のそれが消えるんじゃないか、そう思ったの。その通り、私の中の負の感情はほとんど全て消えて失くなったわ」
「お前は…………これでいいのか?辛いことから目を背けて自分の心を凍らせたまま、タクトに顔を合わせることができるのか?」
「……………本当は、私だって分かってる。こんなこと絶対に間違っているって分かってる。でも、それでも私はこの偽りの私のまま戦い続ける。私の心にぽっかりと空いた穴の中には、その為の覚悟が詰まっている」
「……………覚悟、か」
アルトは、シュルバの気持ちが痛いほどよく分かる。アルトも1回目の人生で今のシュルバと似た体験をしたからだ。そして今のシュルバと同じような道を辿り、天才詐欺師という救いようのない犯罪者へと成り下がったのだから。
「じゃあ、その覚悟に免じて1つ忠告をしておく」
アルトは椅子から立ち上がり、言った。
「冬がどんなに寒くても、いずれは春が訪れる。どんなに冷たい氷でも、いつかは溶けて水になる。お前に必要なのは、冬を耐え抜く覚悟といずれ来る春を受け入れる覚悟だ。俺から言えるのはそれくらいだ」
アルトはそのままカフェスペースを後にした。
「ありがとう、アルト」
シュルバはそっとそう呟いた。
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