4章10話『穢れた覚悟』
「キャハハハハハハハハ!どう?自分の技で痛めつけられる気分は♪」
シュルバは前に突き出した左腕を右手で制御し、重心を後ろにかけ閃光を放つ。シュルバの目の前は月のような白い光で埋め尽くされ、シュルバの肌には太陽のような焦げ付く熱が広がっていた。
ガスバーナーに近い音がその何倍もの大きさで鳴り響いている。その場にいた殆どは耳鳴りに耐えるのに必死で何も行動を起こせなかった。
ただ、たった一体の神相手に辺り一帯を焼き尽くすシュルバの姿を遠目で見ていることしかできなかった。
「くっ…………くそ…………!」
セレネは光と熱に包まれながら歯ぎしりをする。どこにいるかも分からない相手を倒す方法が思いつかない。
この地獄のような状況を覆す方法が思いつかない。
…………………地獄。その単語がセレネに希望を与えた。そうだ、あの力を使えばこの状況を打開できるかも知れない。
できなかったとしても、今セレネが起こせる行動はそれくらいしか無かった。
セレネは両手を合掌する形で合わせた。目を閉じ、その獣の姿を強く祈り、そして指先に力をこめた。
「おい…………なんだよあれ」
遠くからその様子を見ていたアルトが指を差したのは、セレネの少し前の地面。そこには解読不能な文字と摩訶不思議な模様が描かれ始めている。その周りからは負のオーラが漂い、丸い模様に沿って炎が姿を表した。
「あれ…………?どっかで見たことある気がすんだよな」
「言われてみれば………………既視感がある模様だ………………」
ヒロキとレイナがお互いを見合って首を傾げている中、ある一人だけは腰を抜かし口元を手で抑え、模様を指で指しながら首を小刻みに横に振っていた。
「あ…………あぁ……………」
アリスだ。
プルプルと震えるアリスの表情は恐怖や戦慄といった言葉そのものを表しているかのように、彼女は目を見開き顔を真っ青にしていた。
「ダメ…………ダメ……………!」
「ア、アリス?どうしたんだ?」
「ダメ…………あれだけは…………!」
「おい、一回落ち着けって」
そんなヒロキの声もアリスには届かない。アリスは縛られたように動かない体を無理やり動かし、全力で叫んだ。
「シュルバっち!逃げて!」
その声を聞いたシュルバは戸惑いつつも、走ってセレネから距離をとった。しかし、光が晴れたその先にいたセレネの口元は不気味に上がっていた。
「もう遅い」
模様の中から、黒い何かが現れた。
3つの首を持つ獣は全身を炎に包み頭を振っていた。主であるセレネとは比べ物にならないくらいの巨体をのっそりと動かした。
「これは…………」
シュルバも、その既視感に気づいた。
「ケルベロス…………どうして?」
シュルバの頭は真っ白になった。
ケルベロスを召喚するには、アリスの国家に代々伝わる魔法『ケルベロスの獄炎』を発動しなければならない。にも関わらず、セレネはいとも簡単に対象であるケルベロスをその場に生み出してみせた。召喚に必要な生贄や生物の鮮肉を用いずに。
それに加えて、アルトには気になる点があった。
「もし仮に神がケルベロスを召喚できるとしても、ケルベロスは地獄の番犬、つまり召喚できるのは冥府神ハデスだけのはずだ。なぜ月の神であるセレネがケルベロスを召喚できるんだ!?」
アルトが焦りを見せている背後に現れたのは、悪に染まった神だった。
「その事については私が説明しましょう」
「クロノス様」
「人間の皆さんは私達の事は神話などでご存知なのでしょうが、神話と言うのは所詮は人間の作り話。私達が起こした行動を元に私達の名前も知らないまま作り話を人間がでっち上げただけなんです。それ故に、同じ神が起こした行動にも関わらず別々の神の仕事として数多くの名前をこれまた勝手につけられているんです。今回の件もそうですね、ケルベロスはハデスなんていう存在しない神の仕業ではなくセレネの眷属なのです。ついでですが、私達神の言葉が1つの国にしか使われていない日本語に聞こえるのも、私達が使う神の言葉が皆さんの耳に入るときに自動的にその個体にあった言葉に変換されているからです」
「なるほど…………」
「しかもこのケルベロス、私達が見たものとは違う。前は首が2つしか無かったのに、こっちは3つ。恐らくこっちが本物のケルベロスで、私達が見た方はアリスの国の魔法科学者が作り出した偽りのケルベロスだったってわけね」
シュルバは静かに舌打ちをする。
「はぁ…………面倒くさいわねぇ」
そう言いつつ、シュルバはナイフを構えた。
ケルベロスはシュルバに向かって爪を向けるが、これをスッとかわし逆にケルベロスの腕の上に乗ってケルベロスの体を駆け上る。
シュルバはケルベロスの体の燃える炎をももろともせず、ケルベロスの顔を目指して走った。
「なっ………熱くないのか貴様!」
シュルバの衣服には炎が燃え移っている。メラメラバチバチと音を立てながら布地を喰い荒らすオレンジ色の炎が美しくも残虐だ。
「私はアルタイルの副リーダー、シュルバですよ?このくらいなんてことはありません」
シュルバはケルベロスの肩を蹴り、ナイフを持った手を往復6回動かす。シュルバがもう片方の肩に着地した頃には、ケルベロスの眼球は全て消え失せていた。
「にしてもセレネ様、墓穴の掘り方が凄いですね♪」
シュルバは肩から飛び降り、左手を突き出した。
シュルバの左手から、先程の光線が飛び出る。正確には、水素の塊が。察しの良い人は、ここで気がついただろう。
シュルバが綺麗に着地すると同時に、ケルベロスの方角から爆発音が響いた。
「今よ!アリスちゃん、レイナちゃん!」
シュルバに呼ばれた2人はコクリと頷き、手を合わせた。
「「矛盾『天空』」」
そう叫んだ数秒後、シュルバの頬に冷たい感触があった。その感触は段々と間隔を短くしながら至るところに現れる。最終的には、その場所は雷を伴う豪雨と化した。
「ケルベロスは火の魔物、雨に耐えられるとは思えないわ♪」
ケルベロスが遂に寝そべったまま動かなくなった。
セレネは怒りをあらわにしながら、ニヤニヤと笑みを浮かべるシュルバを睨む。その理由は、ケルベロスを殺されたからだけではない。
「なぜ…………笑っている」
セレネは思わず大声を出した。
「なぜ貴様は笑っていられる!自分以外全員死んだと言うのに!」
ケルベロスが朽ち果てる寸前、大暴れを起こした。その際、結界によって護られたシュルバ以外全員ケルベロスに殺されてしまった。
「そろそろ、ナイフの切れ味が悪いかな」
シュルバはそう言って倒れたヒロキの骸から砥石を探す。
「貴様が…………そこまで腐っていたとはな」
シュルバは依然ニヤニヤしながら立ち上がった。
「さぁ、一騎打ちです。貴方と私、死ぬのはどちらでしょうね」
シュルバはセレネの足元を狙って投げナイフを投げる。
「あぁ、受けて立とう」
セレネは投げナイフを拾い、構える。
「「あぁあぁぁあああああ!!!」」
お互いに叫び声を上げながら、雨の中を走る。
「と見せかけて」
シュルバは体をクルッと回し、反対の手に持った、ヒロキのハンドガンをセレネに向ける。
次の瞬間、銃声が鳴った。
カチャッ。
セレネのこめかみにその音が響く。
「絶望」
セレネは心臓に負荷が掛かったのを実感した。≪受命の制裁≫は罪なきセレネに下された。
「ひとつだけ、聞かせてくれ」
シュルバは不思議そうな顔で横たわるセレネの顔を覗き込んだ。
「貴様はなぜこんなことができる?仲間が自分のせいで死んだにも関わらず、なぜ貴様は笑っていられる?なぜ貴様は目の前の恐怖に慄く事なく突き進む事ができる?貴様をそうまで強くしているものはなんだ?」
シュルバは真面目な表情になった。
「覚悟よ」
「覚悟…………?」
「私達アルタイルは、どこをどう切っても悪。それを擁護するつもりはないし、擁護することは出来ない。でもね、私達には目的がある。今いる自分を消したい、差別のない平和な世界を作りたい、仲間の、ライバルの力になりたい。そして…………」
大好きなあの人に、もう一度会いたい━━━━━。
「そのためには、殺さなきゃいけない。自分勝手を通すため、反逆する者は全て殺さなきゃいけない。私達だって、それが許されないことだって分かってる。憎まれることだって分かってる。それでも、自分の目的の為に殺さなきゃいけない。だから私達にはそれが必要なの。罪のない人を殺す覚悟、正義を貫く神を殺す覚悟、そして、悪に染まっていく自分を受け入れる覚悟。それが、私達アルタイルの悪としての覚悟。それが私の、穢れた覚悟よ」
「……………そうか」
セレネの最期の表情は、とても満足そうだった。
「さてと」
シュルバは体を起こし、後ろにハンドガンを向けた。
「で、貴方は誰なの?」
シュルバにハンドガンを突きつけられたのは、黒いパーカーにフードを被り、顔を狼の仮面で隠した正体不明の人間だ。
「『ゴースト』………そう、名乗っておく」
ゴーストは名前の通り、亡霊の如く音もなく姿を消した。




