4章6話『決意』
この世の物とは思えない鈍色の剣は月明かりをまるで反射しない。
ただただ黒く濁った剣を手に持った、ただただ黒く濁った鎧に身を包むヒロキ。先端から根本にかけて波のようにギザギザとしたその刃を見た者は、7柱のニュクスですら計り知れない恐怖を憶えた。
血で出来た大剣。
実に現実味を帯びていない不完全なその単語は、憎しみと妬みを具現化した完全な姿で現実に現れた。
本来、ヒロキの復讐心は神ではなく家族を殺した勇者達にある。しかし、今となってはその復讐心すらも利用して神を斬ろうとしている。
「フフッ♪怖いねぇ〜…………」
シュルバは青ざめた顔で笑いながら呟く。
「ぁあ……………あああああああああああ!!!!!」
ヒロキはもはやうめき声とも呼べない不快な轟音を辺りに響かせながら、背に生える偽りの翼で文字通り飛び出した。
「流石だなぁヒロキ♪この様子だと、あの話ホントみたいね♪」
シュルバは足を震えさせながらも顎に手を起きニヤニヤと笑っている。さながら、タクトのあの真っ黒い笑顔のように。
「あの話?なんの事だ?」
「これはタクトから聞いた話なんだけどね…………タクトがヒロキを一番最初に仲間にした理由として、敵対勢力が出てきた時のために戦闘経験がある人間が欲しかったらしい。タクト自身もある程度運動は出来たけど、それでもナイフとか包丁とかを無造作に振り回すことしかできなかったらしいし、その程度の戦力で敵を殺せるとは思えなかっただろうからね」
「つまりヒロキは、タクトが一番最初に仲間にしたいと思える程の戦闘力があるって訳か……………」
「そっ♪そしてタクトがヒロキを仲間にする事を決めた決定的な出来事があってね…………それが、初めてヒロキがこの姿になった時だよ」
シュルバは、狂ったように大剣を振り回すヒロキを指差して言った。
「ヒロキは前にも一度、あの姿になったことがあるの。その時のヒロキは今回みたいに全身が血で覆われてはなく翼だけが背中に生えている状態だった。それでもヒロキは対峙した無数の勇者を2秒足らずで跡形もなく殲滅させたっていう武勇伝を持ってるの」
「無数の………勇者?」
「問題はそこなの。私が言う無数って、どんくらいだと思う?」
「無数…………か」
アルトはヒロキの方に目を向けた。
ヒロキは手に持った大剣をニュクスに向かって振り下ろす。速さこそそこまででは無いものの、当たったら間違いなく死ぬ。いや、むしろただ死ぬだけで済むならまだマシかも知れない。
なぜそう思うかというと、ヒロキは翼を羽ばたかせた時や剣を振り下ろした時に少しばかり血を飛び散らせていた。
小雨一雫程度の血、にも関わらずそれに触れたアルトの手はジュッと音を立てて溶けてしまった。
「あのタクトが10や20みたいな中途半端な数字で仲間にしようと決意するとは思えないし、この様子じゃその程度の人数ならこの姿にならなくても死んでるだろう。少なく見積もっても100〜200、下手すれば500か」
シュルバは終始ニヤニヤしながらアルトの話を聞いている。
「んだよ、気持ちわりーな」
「残念だけど、カスリもしてないよ♪ヒロキが殺した勇者の数は、下手した数の100倍♪」
アルトは耳を疑った。
「100倍ってことは……………………」
「うんっ5万♪ヒロキは5万人の勇者をわずか1.6秒で余すことなく全員殺めたんだよ♪」
アルトはもはや声が出なかった。文字通り、桁が違ったからだ。
「しかもその時のヒロキには翼しか生えて無かったんだろ?てことは今の姿の何倍も弱いはずだ。それでも5万ってことは…………」
「私の計算だと今のヒロキは、少なく見積もって勇者20万人分くらいの力は持ってる」
「ぎぎ………………がっ……………」
自分でも何を言っているのか分からない。自分でも何を考えているのか分からない。でも目の前のコイツは、自分と敵対しているようだ。だからとりあえず、目の前のコイツを殺さないと。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
もはや手遅れだった。目の前の敵に剣を当てることしか目に無かった。特に理由は分からないまま、本能的に剣を振るう。既に彼は魔物を越えて、殺戮マシーンへと進化を遂げていた。
「さて、そろそろかな♪」
シュルバはアリスの元へと駆け寄った。アリスは膝から崩れ落ちプルプルと小刻みに震えながらヒロキの方を呆然と見ているだけだった。シュルバはアリスに耳打ちで要件を伝え、あるものを渡した。そして自分はすぐにアリスから離れた広い場所へと移る。
アリスはすぐにそれを装着した。そして横のボタンを押す。すると、アリスが装着したベルトの真ん中から伸びる紐が巻き取られていく。そしてベルトはアリスごと、ヒロキへと近づいていった。
「ヒロキ?アリスだよ、アリスの声が分かる?」
その儚く健気な声はしっかりとヒロキの耳に届いた。それに対して、返そうともした。しかし前述の通りヒロキは感情の無い殺戮兵器と化している。脳ですら血に侵されたヒロキの小さな意志は紅く染まった復讐心に蝕まれた。
「ヒロキ…………」
届かない。
「なんで………なんでなの…………?」
届かない。
「なんでなの?なんでアリスの声が聞こえないの!?」
届かない。
「お願いだよ………ヒロキ……………」
届くわけがない。
「答えてよヒロキ!アリス、もうやだよ!ヒロキがどんどん黒くなって、アリスの声が聞こえなくなるくらい恐くなって、アリスもう耐えられないよ!」
それでもヒロキは剣を振る。
「戻ってきてよ…………ヒロキ……………!」
それでも、アリスの声は届かなかった。声は。
アリスの流した一雫の涙。ヒロキへの想いがこもったこの涙は血液の鎧を溶かし奥へ奥へと進んでいき、最後には中心のヒロキへと辿り着いた。
「…………アリス?俺は今まで何を…………………」
「ヒロキ……………!」
アリスはヒロキを抱き締めたいのをグッと堪えて伝えた。
「左手出して。それでアリスに気持ちを集中させて。そうすればきっと、勝手に声が出るから」
アリスの輝いた目を見たヒロキは何一つ怖がることなく左手を差し出す。アリスはそこに自分の右手の重ね、目を閉じた。すると予想通り、声は勝手に、そしてヒロキと同時に出た。
「矛盾『決意』」
「アリスができることはした。あとは頑張ってね、ヒロキ」
アリスはそう言うとヒロキの体から飛び降りる。
「なんだ?何も起こらないじゃないか。所詮は人間、見掛け倒しだったか!」
ニュクスはヒロキを嘲笑する。ヒロキは苛立った。
しかしヒロキはそれに気づいていた。その声が聞こえていることに。そして、それに対して怒りを持てていることに。
「……………!これは……………」
ヒロキが気づいた決定的な力。ヒロキは今、魔物の姿をしているのにも関わらず自分の意志が保てている。
「いける…………今ならいける!」
ヒロキは剣を大きく振りかぶり、ニュクスめがけて一気に降ろした。
しかし、ニュクスは一切の痛がる素振りを見せず不敵に笑っていた。
「まさかとは思うが、神である私を殺せるとでも思っていたのか?」
ヒロキは絶句した。もう声を出すことが出来なかった。せっかく保った意志が、また0へと還った。
「あ〜、やっぱりそうか…………」
先程落ちてきたアリスをお姫様だっこしているシュルバは、アリスをゆっくり降ろし、腰を優しく押した。すると、アリス同様紐が巻かれヒロキへと向かっていく。
が、シュルバは重心を左にかけ大きく外に回った。そしてその先にはヒロキを殺さんとするニュクスがいる。
「1人?矛盾を起こそうったってそうはいかないぞ!」
ニュクスはヒロキを蹴り飛ばす。ヒロキは大きく後退し、バランスを崩した。
「大丈夫ですよ♪私は1人じゃないんで」
「何っ!?」
ニュクスは辺りを見渡す。しかし、周りには誰一人いない。
「誰もいないじゃないか」
「そりゃそうですよ、私は1人なんで♪」
ニュクスにはシュルバの言ってることが分からなかった。自分を惑わすための戯言なのか?いや、そうとしか考えられない。
「騙されんぞ、戯言をぬかすな」
「戯言なんかじゃありませんよ♪私は1人であり1人じゃないんです♪」
シュルバは左拳を強く握った。
「だって私の左腕にはタクトがいるんだもん♪」
シュルバは左手を振りかぶり、ニュクスに叩きつけた。
「矛盾『絶望』」
ニュクスは心臓に負荷がかかるのを実感した。
シュルバは帰り際、ニュクスの耳元でこう呟く。
「貴方は今この瞬間、≪受命の制裁≫を下されました」
「そっ……………そんな!」
嘆くニュクスの背後にいたのは、更に忌々しい姿に変わった魔物だった。
「や、やめろ……………来るな!」
「んん〜疲れた…………」
「アリスちゃんアリスちゃん、今からカフェスペ行ってチョコレートパフェ食べない?私が奢ったげる」
「おぉ〜!シュルバっちマジ天使!」
ニュクス撃退後、船に帰ってきたアルタイル達。その中でもシュルバとアリスはほぼ同時に帰ってきた。
そしてそこに現れるのはヒロキだ。
「あ、ちょうどいい所に2人とも」
「あ、ヒロキ!おつおつ〜」
「お疲れ様♪大変だったでしょ?」
「いや、そんなこと無かったよ。お前のおかげで助かったよ、ありがとうシュルバ」
「いやいや、お礼なら私じゃなくて………」
「わかってる。助けてくれたのはなにもお前だけじゃないもんな。さっきルカにも言ってきたよ」
「なるほど、楽しみは最後にとっておくって訳ね」
「全く…………シュルバはそういう勘のいい所が嫌いだよ」
「元探偵だからね♪」
ヒロキは後頭部を掻きながらアリスの前へ立ち、肩を掴んだ。
「アリス…………………本当に、ありがとう」
次の瞬間、柔らかい唇の感触がアリスを襲った。
アリスは顔を真っ赤にしながら、ヒロキを抱きしめる。シュルバはそれを見て、不思議な温かい気持ちになりながら一足先にカフェスペースへと向かった。
「………………ヒロキもパフェたべる?」
「……………せっかくだしご一緒させてもらおうかな」
2人は笑顔のままシュルバの後を追う。




