1章5話『偽りの街角(前編)』
「タクトさん、ネットスーパーから宅配便が届きましたよ」
コンコンと扉をノックする音に少し遅れてアテナは大きな段ボールを重そうに両手で抱えタクトの部屋の扉をゆっくりと開けた。
「あ、ごめん。ありがとう」
タクトはパソコンから離れて段ボールを受け取った。
中身は主に生活雑貨や日用品、そして大量の食料品だった。
このように、船での生活に必要な物はネットショップで買って届けてもらっている。
タクトがコロシアイゲームを主催していた時は食材は夜、補給船から送られて来ていたのでまだ良かった。
が、今となってはコロシアイゲームがマスコミに取り上げられ、警察も全力でこの船を探している。
補給船などという目立った行為を取ったら最後、命は無いだろう。
幸いアテナの力で、ネットで頼んだ物は船の入り口に届くという都合の良すぎる状態を作れているので何とかなってる。神の力の無駄遣いだ。
予算もある訳ではないが無い訳でもない。
「さてと…………」
アテナが部屋から出たのを確認してから荷物を種類ごとに分けて食料品を厨房の冷蔵庫に運んだ後、部屋に戻ってきたタクトは次のアルタイルを探していた。
いつも通りカチカチとマウスを進めている内に、ある一人の人間にタクトは目をつけた。
「次はこの娘にするかな」
今回タクトが目をつけたのは、タクトの時間軸と少しズレた時間軸に存在する、至って普通な女子高生"シュルバ"だ。
彼女は親が避妊に失敗した末、生まれた娘で、16年間一切親からの愛情を貰うことは無かった。それどころか名前すらつけてもらえず、ネットで自らつけた"シュルバ"という非現実的な名前のみが残った。
そのせいもあってか小中と学校には通っていたものの、クラスに馴染めずイジメられ続ける日々だった。
時には学校に行きたくないと考えることもあった。
しかし、家にいれば親がシュルバを抹消しようとナイフを持って襲い掛かってくる。
親の攻撃から身を守るために戦う力を身につけるなんて、皮肉なものだ。
その日も、学校には行かず行くふりをして遠くで行われているアニメのイベントに行っていた。
モニターに映っているシュルバは駅のホームの黄色い線のギリギリ外側で靴を履かずに金色の髪を弄っている。
「何故、その娘に?」
いつの間にか背後にいたアテナに少々驚きながらも質問には答えた。
「この娘、プログラムの大会を5連覇してる。僕くらいは無いとしても、世界を作り変えるのには必要な人材だと思うんだ」
シュルバにとって、自分の望んだものを作れるプログラムという存在は心の支えになっていた。
プログラムにのめり込めばのめり込むほどより完成度の高いプログラムを求めてしまう。
いつしかシュルバは、トロフィーを持っていた。
そのトロフィーですら親がフリマアプリで売りさばいてしまったのは言うまでもない。
「なるほど……………」
いくらタクトのプログラミング能力でも世界全てを作り直すのは困難だと考えたのだろう。
アテナはそう納得していた。
「さて、どうやって殺すか………」
タクトが頭を抱えている時だった。
ヒロキの時と同じようにプログラムが書き換えられていく。
これが誰の仕業かは一度経験しているからわかる。
「ここは、ペルセウスの皆様にお任せ致しましょうか?」
タクトの部屋のパソコンの右下には、その時間軸の映像が流れている。
映像には駅のホームに佇むシュルバと、数十人のペルセウスと思われる人間がシュルバの方角に向かって進んでいる様子が映し出されていた。
どうやらペルセウスはかなり大規模な時空間転送装置を所持しているようだ。
タクトは苦虫を噛み潰す顔でパソコンを打っている。
マウスの隣のスマホを取り、急いで電話をかけた。
「ヒロキ!大至急、転生機に向かってくれ!」
電話を切った途端、上の階から走るような物音が聞こえてきた。
「彼女を今殺されたらマズイ…………何とかペルセウスを止めないと!」
アテナはタクトが何にこんなにも焦っているのかは分からなかったが、相当な事態だということは分かった。
タクトのパソコンに届いたメールにはプログラムがびっしりと書かれていた。
それをコピーしてシュルバの時間軸のプログラムに貼り付けた。
「うぉっ」
ヒロキは体ごと、シュルバの時間軸に辿り着いていた。
ヒロキの頭の中にタクトの声が響く。
「赤く光って見える奴らから金髪ツインテールの女子高生を守れ!赤い奴らは殺しても構わない!」
タクトの荒い声を聞いて事態を重く見たヒロキは急いで赤く光る人間に向かって刀を抜いた。
血液が飛び散っているのに周りの他の人間が騒がないのは恐らく見えていないとかそのような理由だろうか。
「これで何とか時間は稼げるか…………」
ペルセウスを赤く光らせるプログラムは簡単に書けたから良かった。
しかし、タクトは自分達の目的の始まりとなるプログラムを書き始めようとしている。
始まりの始まりとはこういうことを言うのだろう。
そのプログラムが今のタクトの技術の結晶だということは言うまでもない。
「とりあえず、この時間軸を書き換えて…………」
原宿の人が聞いたら厨ニ病だと笑うようなタクトの独り言はこの船の中では何気なくごく普通の独り言と化している。
キーボードはガタガタと機械的な悲鳴を上げている。
が、既に今のタクトには周囲の音が聞こえていない様だ。
「こんなもんか…………後はこのプログラムを……………」
全てやり終えた時にEnterキーを強く叩くのはタクトの癖なのだろうか。
最後の仕上げを終えたタクトは、ヒロキにもう大丈夫だとチャットを打つ。
既に全てのペルセウスを肉片に精肉し終わっていたヒロキは今更かよと言わんばかりに呆れ返っていた。
「今、打ったプログラムは?」
「出来て間もない時間軸を丸ごと作り変えた。小型の転生機も設置してあるから彼女が死んだらそこに行く」
アテナは、タクトの言うことが不思議で仕方なかった。
「一体なんのためにそんな事を…………」
タクトは座り直してから言った。
「今の彼女は悪いが戦力にはならないだろう。だから僕の作った剣と魔法の世界で"探偵"として強くなってもらう寸法だ」
アテナは改めて聞いた。
「強くなってもらうってどういうことですか?」
まぁ見てなってと言う顔でアテナにモニターを覗かせる。
「間もなく、2番線に、各駅停車、大船行きが、参ります、黄色い線まで、お下がりください」
よく聞く駅でのアナウンスだ。
これ自体に不思議なところは見つからない。
アテナはタクトの事を疑い始めたかの様な目でモニターを見ている。
次の瞬間だ。
ザザッと言う音と共に裸足のシュルバが線路の上に舞い降りた。
シュルバは自分に向かってくる猛スピードの鉄の塊を見て諦めたかの様に優しく笑った。
鉄の塊は音もなくシュルバを飲み込み、通り過ぎた後にじゃり道の上に残ったのは綺麗な細い脚と肩から上だけの美少女、そして腸が飛び出した人の腰から肩までの形をしたものだった。
「あんな過酷な状況の中で今まで自殺せずに耐えてただけ凄いと思うよ」
タクトは心からシュルバの一生に拍手を送った。
そして、シュルバはタクトの作り出した世界でもう一度一生を送ることとなる。