3章8話『空を舞う(前編)』
カチャカチャ。カチャカチャ。
今日も朝から作業音が聞こえてくる。小さな工場長さんが手づくりで一生懸命科学兵器を作っている音だ。シュルバは扉をコンコンとノックし朝食の乗ったプレートを片手にドアノブをひねった。
「ルカちゃん、お腹すいたでしょ?朝ごはん」
「あ、ありがとー!」
ルカは工具を置き、シュルバから朝食を受け取った。シュルバは目の前の鉄板の上にある小さなチップを見て絶句した。
「なんていうか……………ヤバイね、これ」
「けっこーたいへんだった」
「にしても、こんなもの用意して何に使う予定なんだろ」
「わかんない」
シュンッ。
アルタイル達はいつも通り、護り手の世界に降り立った。今回は辺り一面に鉄パイプが転がっている。鉄筋コンクリートの工事現場の様なイメージだ。停止したブルドーザーはまるでそこだけ時間が流れていないようで、端には大量の土嚢が積み上げられていた。
そしてその土嚢の頂上にヤンキー座りしている彼こそが、『集中力』の護り手、その人だ。
彼はアルタイル達の到着を見るやいなや、ツンツンしたヘアスタイルを整えながらタクトの元に歩み寄り、顔を近づけた。
「よぉ。テメェがアルタイルって奴らのリーダーかぁ?」
「リーダーねぇ………別にそんな重いものでは無いさ。司令官、とでも言えば適切だろうね」
護り手はポケットに手を突っ込んだままタクトに語りかける。
「最近、護り手に連勝してるからってチョーシ乗ってんじゃねぇだろうな?おぉ?ワリィが俺様は他の護り手とは比べ物になんねぇ程強えからな?あぁん?」
「別に、手を抜くつもりはないよ。いくら勝ちが決まっている勝負だとしてもね」
鉄筋コンクリートに囲まれながら、護り手とタクトが対峙する。バチバチと火花を散らす音が聞こえてくる様なその睨み合いは他者をも緊張の渦に引きずり込んだ。
「へっ、言ってくれるじゃねぇか」
「さぁ、絶望を始めよう」
それが合図だった。
タクトは腕を胸の前で組み、護り手の背後に目を向けていた。
何もない虚空。本来何も生まれるはずのない空間。その空気をねじ曲げて現れたのはナイフを持って体を回そうとしているレイナだった。
「ふぅん………やってくれるじゃねぇか。だが…………」
護り手は体を大きく反転させて、右手の拳に力を込めた。空中に浮かぶレイナはその行動への対処ができないまま質量を持ってしまっていた。そのレイナの腹に護り手の拳が物凄い勢いで飛んできた。レイナは口から血を吐き、肋骨をボキボキと折られる。
更に護り手の拳はそれでも止まらず、なんとレイナの体を貫通してしまったのだ。護り手の拳の上にはかろうじてまだ動いているレイナの心臓が乗っていた。
「まだまだ遅え!」
護り手は胸の前で腕を組み大声で怒鳴るように笑い叫んだ。
それに対してタクトは冷静沈着だ。獲物を狙っているオオカミのような眼差しで護り手を睨みつけるその目は深い闇に呑み込まれており、誰にも救助不可能だった。
「………………作戦開始。」
タクトの突然の声に驚きつつも、アルタイル達は定位置へついた。
その中で、ヒロキだけはなんの躊躇いもなく真っ直ぐに護り手の方に走っていった。刀は月明かりを反射してキラリと輝き、刃は護り手の脚に降ろされた。
「ぐはぁっっ!」
護り手は斬られた脚を抑えながらも何とか反撃に出る。ものすごい速さで飛んできた拳はヒロキの左の二の腕をかする………いや、えぐるように通り過ぎていった。
現にヒロキの二の腕からは血がドクドクと流れ出ており、とても見てられたものではない。
「へぇ。脳筋系ヤンキーっぽい見た目の癖にやるな」
「これでもおらぁ護り手だ。甘く見てもらっちゃあ困るなぁ」
護り手はそう言うとまたもや目に見えない速さで今度はシュルバの元へ駆け寄った。走りながら右腕の拳に力を込め大きく後ろにひく。シュルバは自分の力ではそれすら無意味だとわかっているのに思わず身構えてしまった。
ガキィン!
響いたのはそんな音。間違いなく女性を殴ったときの音ではないのは誰でもわかる。
シュルバはゆっくりと目を開ける。そこに立っていたのはそよ風にネクタイをたなびかせ力強く佇んでいたタクトだった。
「ふぅ………何とか間に合ったみたいで良かったよ」
「あ…………ありがとう、タクト」
「いいんだよ。にしても、この義手ほんとに便利だよねぇ」
タクトは盾のように丸く大きく広がった義手を撫でながら笑う。義手は月明かりを反射して白く輝いていた。
「さて、そろそろ俺の出番か?」
「あぁ。頼んだよ、アルト」
タクトの左側にスッと現れたアルトは虚ろな目をしたまま強く地面を蹴る。目の前に次々と現れる障害物を完璧に避けきり、護り手の所まで辿り着くと、護り手の肩に手を置きまたすぐに走り出すはずだった。
アルトが護り手の肩に手を置き護り手の過去を読み取ろうとしたとき、いや正確には護り手の過去を読み取っている時だ。
その僅か0.02秒の間に、アルトの脳内には先が見えない闇が流れ込んできた。頭の中が真っ黒に塗り潰されアルトの体を蝕んでしまうほどの深い闇だ。それがちょっとやそっとなら、アルトも耐えられただろう。
流れ込んできた闇の量は爆発的だった。一般人だったらもって5秒だとか、そういった次元の話だ。例えるなら巨大な怪物に丸呑みにされた。そんなような感覚がアルトを襲った。
人間とは不思議な生き物で、実際には死んでいないのに脳がこの肉体は死んだと判断すると体の全機能はそれに伴って終了するのだ。
アルトは走り去る途中で膝から崩れ落ちて倒れた。
「なっ…………アルト!」
「アルトおにーちゃん!」
「おい…………なんで倒れた!?」
各々に叫ぶ声が四方八方から聞こえてくる。
もちろん他のアルタイルにはアルトが突然倒れた理由が分からない。しかし、ただ事では無い事を察したタクトはこの戦闘を早めに切り上げる事を決めた。
「…………ヒロキ、あれいけるか?」
「…………もちろんだ」
ヒロキはタクトに対して自身に満ちあふれた眼差しで大きく頷く。それを見たタクトは安心した様にため息を一つついて「任せたぞ」と呟く。
「よっしゃ、いっちょやったるか」
ヒロキは腰についた黒く染まった鞘から金色の模様がついた刀を取り出した。刀の先には生々しい血がついていて、これはどれだけ洗っても絶対に落ちない。
何故ならこれは、ヒロキの破壊能力の中枢となる人の血、ヒロキが勇者殺しのゴブリンになった直接的な原因。
勇者に殺された、ヒロキの姉の血だ。
ヒロキは勇者の大軍から逃げる途中、目の前で姉が勇者の刀によって真っ二つにされる映像を目撃してしまった。
姉を殺した勇者を落ちてた刀で刺殺しても埋まらない心の穴を埋めるためヒロキは姉の血のついた刀を持って勇者を殺して回ったのだ。
刀はブルブルと震え続け、今にも爆発して壊れてしまいそうだ。それでも刀はヒロキの想いに答えるように大地に広がった血を動かし始めた。
「ごァァァァあああぁあ!!!!」
護り手の悲痛な叫びと共に護り手の膝から下は消し飛んだ。そしてそれを見たヒロキがガッツポーズをとると、すかさずシュルバが言った。
「ヒロキ!足元!」
シュルバの声に驚いてヒロキが自分の足元を見た頃には既に手遅れだった。ヒロキの足元に流れた血は波を立てるようにのっそりと動いている。
ここでヒロキが死んだのは、殺された勇者の怨念の力だろうか。