2章16話『いない(後編)』
「何故だ…………何故だ何故だ何故だ!」
王妃は鏡を何度も何度も殴る。
鏡の破片は王妃の双方の拳をズサズサと切り刻み王妃も鏡も血に塗られていた。
それでも王妃は殴る事を止めない。怒りに任せて動作を起こす王妃の脳には痛みを伝える命令が行き届いていない。
何もかも怒りに飲み込まれてしまっている。
「確かに全員殺したはずだ!なのに何故………何故白雪姫だけが生き残っている!!?」
息を切らせ始めながらも王妃の拳は鏡を貫き砕き去る。
まもなく、王妃は主に手からの出血が酷く壁にもたれ掛かりその場に座りこんでしまう。視界なんてものは当の昔に、腹ただしい現実の世界と不快極まりない真っ黒いモヤのぐちゃぐちゃに混ざったなんとも説明し難い光景になっていた。
王妃は頭に手を置いてゼェハァと呼吸を荒げながらも白雪姫への憎しみの炎を燃やし続けている。自分が死にそうだと言う時に他人に死を与えようとしているのだ。
そんな王妃でも、自分の部屋の扉をコンコンとノックする音は何とか聞き取ることが出来た。
「入ってよいぞ…………」
その2秒ほど後に扉の向こうから召使いが手に何か持った状態で現れる。召使いが部屋に入った時に目の前に広がっていた映像はそれはそれは酷いものだった。
粉々に砕けちっている鏡、床一面壁一面飛び散る血の跡、そしてその2つの根源だと思われる両手を真っ赤に染めて壁に寄り掛かる王妃。ここが処刑場だと言って信じてしまう人はそう少なくないのかも知れない。
召使いは一瞬手に持っているものを隠した。それは今の状況から、自分の為にも王妃の為にも隠した方が穏便に物事が終了すると考えたからだ。
しかし、それは出来ない。もしそれがバレた場合、今の王妃なら怒りに身を任せて自分の首を跳ねてしまう可能性だって低くは無い。それに何より、自分を信じて送り出してくれた彼を裏切る訳には行かない。
召使いは覚悟を決めてそれを王妃に手渡す。
「これが、城の外に刺さっていました」
「矢文?誰からだ」
「それが、何処にも送り主が書かれていなくて………」
王妃は少し不審に思ったが、警戒しながらも矢文を広げる。
その矢文は王妃の思考力と判断力を音もなく奪いさり、代わりに必要の無い判断力を植え付けていった。
「こうしていられん………!」
王妃は痛む頭を何とか堪え立ち上がり、ふらふらと剣を腰に刺し部屋を出ようとする。
「王妃!一体どちらへ!?」
王妃がドアノブに手を掛けた頃、召使いが王妃に問う。
「東の森に行く。白雪姫を殺す為にな」
扉がバタンッと閉じる音がしたと思うと、直後に城を走る王妃の足音が聞こえてきた。
「全く…………王妃がこんなんじゃ国が滅びるのも時間の問題だなぁ」
召使いは腰に手を当ててそう吐き捨てると、もぞもぞと服を脱ぎ始めた。
「タクト、転送お願い」
服を脱ぎ終わった召使い改めアリスは最高管理室と連絡を取る。
そのすぐ後にアリスの体は消え去り、代わりに森の中にアリスが現れた。
「見つけた………遂に見つけたぞ!」
王妃は森の中を全力で走っていた。
途中で何度も蔦や木の根に足を取られたが、服についた泥を払う時間すら惜しんで走り続けた。
そして今、王妃は長い森の先に樫の木達に囲まれるようにそびえる木造の家を見つけた。その時の王妃は計り知れない程の幸福感に満たされていたことであろう。
しかし、幸せは長く続かないのが世界の条理。
王妃の目の前に現れたのはレイナ、アリス、ヒロキの3人だった。
「何だ貴様ら?そこを退け」
王妃は振り払うように手を横に振る。
それを見たレイナは王妃に歩みよってこう言った。
「私が何者か…………強いて答えるなら」
王妃の視界からレイナが消えた。
「暗殺者……………」
その小さな声と共に王妃の右の頬にスッと痛みが走る。
「貴様………私の顔にキズをつけたな………………!」
王妃の標的は一瞬で白雪姫からレイナに変わった。白雪姫を殺す前に自分の美しい顔を傷つけた輩に制裁を加えようと脳から出る命令が切り替わったのだ。
と意気込んだのはいいものの、予想できない事態が発生した。
「アイツ…………何処へ消えた…………!」
そう、肝心のレイナの姿が見えないのだ。
慌てふためいて首を回す王妃にポツポツと降る冷たい雨。王妃の髪は濡れ、剣からは雫が滴り、服は雨水を吸って何倍も重くなる。状況的には明らかに王妃が劣勢だが、前述の通り王妃の思考力は既に奪い去られている。優勢劣勢なんて考えている余裕は無かった。
「なっ…………」
そんな余裕の無い王妃だったが、次に目に入ってきたものは余裕なんて生半可な理論以前のものだった。
先程まで火が立っていた場所。雨によって火が消える事によって焔に包まれていた物が顔を出した。
まず目を引いたのは見覚えのある白基調の装飾の多いドレス……………の一部。断片は黒く炭化しており、ドレスの跡形は無かった。
そして少し視線をずらすと、そこにはこれまた白い何か。棒状のそれは1つだけではなく幾つも散らばっており、形状も様々。文章では上手く伝わっていないかも知れないが、実際にそれを目にしたら一目でそれが何か分かる、いや、嫌でも分かってしまうだろう。
もちろん、それは王妃も例外ではない。
「ほ…………骨………?それも…………人骨か?」
王妃は確認のために手に取ってみたが、独特な触り心地や軽さから確信を抱いた。
そして、王妃の中でその骨と先程の服の断片は1つの結論へ辿り着いた。
「白雪姫は…………既に死んでいたのか…………」
王妃は何か心に穴が空いたように目が虚ろになってしまった。
ただ、王妃は顔のキズの件でも思考力が欠如している。そのため今は目の前の憎しみに全てをぶつけると決意した。
「恐らく…………貴様が使っているのは伝承にある透明化の魔術。ならば簡単だ!」
王妃は天を指差す。
「透明化していようと、雨は当たる!雨が途切れているところに暗殺者とやらはいるのだろう?」
そう言うと王妃は一通り辺りを見渡す。特に雨の途切れているところは無かったが、家の屋根の下に、銀髪ロングの少女を見つけた。
「そこだっ!」
王妃はレイナをズバッと剣で一閃する。返り血は王妃の前方を包み込み剣は同じく紅く染まる。
が、王妃が斬ったのはレイナでは無かった。
「………………貴様っ!」
カツラを外して現れたのは銀髪ロングの少女ではなく茶髪ポニーテールの少女、アリスだった。
それと共に王妃の背中に感覚がおかしくなるほどの痛みが走る。
「ぐぁああぁぁあああぁあぁあ!」
背中からジワジワと血が流れ出る。
「クソッ!一体何処に……………」
悔しがる王妃を無視してレイナは呟いた。
「ヒロキ………始めてくれ」
ヒロキは待ってましたと言わんばかりに刀を抜き、顔の前に立てる。刀がプルプルと震える。ヒロキもそれに答えるかのように腕を震わせる。
やがてその震えは国中に広がり、大きな爆発を起こした。
爆発は王妃ごと街を呑み込み、ドロドロとした紅い血液が柱状に街のビルを追い越して空に向かっていくのが見えた。
レイナの能力『消失』。
これを発動しているときのレイナは、目に見えなくなり質量も持たなくなる。




