2章4話『復讐(後編)』
無数の鉄の塊がヒロキに向かって降り注ぐ。
ヒロキはそれを見てもなお、一切動こうとしなかった。
サウザンド・ナイフ。
サウザンドの意味は1000。
つまり直訳すると、ヒロキには『千本の刃物』が飛んできている。
今更避けることは無理だった。
千本の刃物は一気にヒロキを包み込み、ヒロキの姿は見えなくなった。
外から確認できるのは、飛び散り流れ出る血液とヒロキの言葉にならない苦悩を漏らした叫び声だった。
「ゴブリンは全て俺が殺すと自分に………そしてアイツに誓ったんだ…………悪く思うなよ…………」
勇者は刀を鞘に収める。
それと同時に抜け落ちたナイフの先にあったのは………………。
全身から血を流し、倒れているヒロキの姿だった。
船の中のシュルバはあることに気が付き、絶望のあまり体を震わせている。
「なんで…………転生機に来ないの………………?」
彼らアルタイルは、死んでも船の中にある転生機で蘇ることができる。
それなのにヒロキは血塗れの姿でうつ伏せになったままピクリとも動かなかった。
「そんな………………」
シュルバには、その状況をどうすることもできなかった。
アルタイル達はその状況にただひたすら、嘆くしか無かった。
ただ一人を除いて。
この映像を見てもタクトは変わりなく真っ黒な笑顔を浮かべている。
それどころか、さっきより黒くすら見える。
隣にいたシュルバの脳は、今にも崩壊しそうだ。
ヒロキは転生機に現れず、その時間軸に留まる。それなのにシュルバには彼が何を考えているのかは全く分からない。
シュルバは手で顔を覆って静かに泣いた。
全てが180度回転したのはその少しだ。
「ふふっ流石ヒロキ。面白いもん見せてくれるじゃん」
タクトの一言に、シュルバはものすごい速さで反応した。
シュルバがモニターを確認した時に映っていたのは、この世のものとは思えない映像だった。
ヒロキ周辺の血液が、ヒロキに集まる。
血液はヒロキの背中に集中し、翼のような形を形成した。
次の瞬間、ヒロキは目を覚まし翼を羽ばたかせ、一気に天空へと飛ぶ。
「……………………………ぁ……………………」
「オウァァァァァアアア!」
その声はまるで怪獣か、それとも宇宙からの刺客か。
いくらヒロキはゴブリンとはいえ、あのような声を出した時点で正気を失っているのは誰が見てもわかることだった。
その声がヒロキに比べて少し高い事も、誰が聞いてもわかることだった。
「何……………?今の声……………」
あまりの出来事に言葉を出すことも出来ないシュルバ。
「ついに始まったね……………ヒロキ………………ふふっ」
タクトは小さく笑う。
「何だありゃ……………とりあえず隠れないと」
勇者は急いで森に身を潜めようと走る。
それを見たヒロキは左腕を前に突き出した。
その腕から出る赤い液体は瞬く間に森を包んでいった。
「なんだなんだぁ?」
あの金太郎ですら、この現象に目を疑う。
そして赤い液体が完璧に森を制圧したのを見計らってか、タクトは左腕を下げた。
ヒロキは、左腕を上にスッと動かす。
血液はヒロキの腕と同時に上へ上がり、森の木々を見えなくしてしまった。
ヒロキは、左腕を下に動かす。
血液はヒロキの腕と同時に大きな音を立てながら下へ下がる。完全に下がりきった時には、既に森は森と呼べる様では無くなっていた。
「タクト!一体何が起きているの!?」
シュルバはタクトの服を掴み揺さぶる。
「僕達は、神のプログラムミスによって死を乗り越えることができる。でも、ミスはそれだけでは無いんだ」
「僕達一人ひとりには、どうやら特殊な力のような物が備わっているらしいんだ。今回のこれは、ヒロキに与えられた神のミスなんだよ」
「名付けるとしたら、『破壊』…………かな?」
タクトは腕を組みながら言う。
シュルバはタクトの言うことを理解するのに時間がかかったが、理解するしか無かった。
「それはいいとして、ヒロキの奴この能力を使いこなせていないように見えるな…………」
ヒロキの意志は、ヒロキの中には無かった。
ヒロキは何もない、いわゆる『無の空間』のような場所に立っていた。
「ここ…………どこだ…………?」
ヒロキが辺りを見まわすと、信じられないものがヒロキの背後に存在した。
長い髪を横で小さく結ぶ、長身の美少女。
間違いなく、ヒロキの姉だった。
「姉ちゃん!どうしてここに!?」
ヒロキは大慌てする。
それに対してヒロキの姉は、にっこりと笑い
「えへへ、久しぶりだねヒロキ」
「姉ちゃん…………やっと……………やっと会えた……………」
ヒロキは姉との再開に涙する。
姉はそんなヒロキを抱きしめる。
「ヒロキ…………私、知ってるよ?貴方が私の為に、戦ってくれてる事…………」
ヒロキははっとする。
「私の為に戦ってくれてる事、泣いてくれてる事、怒ってくれてる事……………全部知ってる」
「でもね、ヒロキ…………それはもうやめて欲しいの」
「…………え?」
ヒロキは思わず聞き返す。
「もう、勇者を殺さないで。貴方が私の愛する弟である為に……………」
「なんで…………そんなこと言うんだよ…………」
「私は貴方の戦いをいつも一番そばで見守ってた。だからこそ私は、血を流してまで勇者を殺そうとするヒロキの姿をもう見たくない。私は、いつでも優しいヒロキを見ていたいの…………」
「姉ちゃん……………」
ヒロキは姉の手からするりと抜けて姉の顔を見つめる。
「それに…………貴方も救われない。こんなことしてて、貴方が持つはずが無い………………」
「だから、もう殺し合いはやめて……………」
姉の悲痛な叫び。
ヒロキは真摯に受け止めたかった。
「ごめん、それは出来ない……………」
ヒロキの答えに、姉は驚く。
「確かに、姉ちゃんの意見を聞いて勇者殺しをやめることも出来る。でもそれじゃ、姉ちゃんが救われない。俺の戦う理由はそれだけだ」
「申し訳ないが、俺は姉ちゃんを守る為に姉ちゃんに逆らう事にさせてもらう」
ヒロキは真っ直ぐな眼差しで言った。
「強く………なったね」
姉は嬉しそうな反面、どこか悲しそうにヒロキを見つめそう言った。
「次会えるかは分からないけど…………また会った時は声を聴かせて。私はいつでもここで待ってるから………………」
その声が聞こえている途中にヒロキの意識は途絶えた。
目を覚ますと、ヒロキは空中に浮いていた。
「姉ちゃんの為だ…………悪く思うなよ」
ヒロキは勇者に間合いを詰め、勇者の頬に血で1本の縦線を描いた。
「なっ……………」
勇者は必死に血を取ろうと顔を拭く。
しかしそんな努力も虚しく、勇者は肉片へと化した。
「お疲れ、ヒロキ」
カフェスペースにて、アリスが紅茶とクッキーをヒロキに差し出した。ヒロキはそれを受け取り、タクトやシュルバ達も交えて会話を始める。
その会話は何気ない雑談のようなものだったが、あるタクトの一言がヒロキの心に光を与えた。
「そういえばその刀、先の戦いの時になんか微妙に揺れてたんだよね」
ヒロキは刀の中の愛する人に向かって、小さく微笑んだ。