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5章42話『血の悪夢』

 暗い。

 その空間を見たまま表すならその言葉が最も適切だ。

 しかしただ暗いだけじゃない。

 何重にも重なった混沌の色と螺旋のように渦巻くうねりが辺りを囲んでいた。


 耳にこだまする音は、グロテスクな音だった。

 悲鳴、怒号、断末魔。数え切れないほど聞いていたはずの音なのに、どうしてこんなにも恐怖を覚えるのだろう。


 あぁ、そうか。


 その音の主が大切な人だからか。


 そう思うと、辺りは更に闇を深くした。

 ねじれた空間は地獄より醜く、聴こえてくる彼女の声は憎しみに満ちている。


 目の前の黒い少女は言った。

 不気味な笑顔を見せて言った。


 わたしはあなたにころされた。


 わたしはあなたにころされた。


 わたしはあなたをころしたい。


 わたしはあなたをころしたい。


 わたしはあなたをゆるさない。


 わたしはあなたをゆるさない。





 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい

 わたしはあなたをゆるなさい






「きゃあぁああッッ!!!」


 自分が絶叫する声で、アリスは目を覚ました。

 いつもと同じ自分の部屋。

 なんの変哲もない朝の日差し。


 頭が痛い。ひどく喉が渇く。

 起きたばかりだというのに、アリスは酷く息切れしていた。

 夢の世界から急激に現実に引き戻された感覚。

 しかしそれはこの上ない救済だった。

 あれ以上あの夢を見ていたら、アリスはどうにかなっていただろう。


 アリスはふらつきながらカフェスペースへ向かった。


「おはよ〜…………」


「おはよ……ってどうしたアリス、顔真っ青だぞ」


 ヒロキが心配そうにアリスに近寄るが、ヒロキに何かできるわけもなく、とりあえず肩を貸すだけで終わった。


 カウンター席に座ったアリスにスッと朝食のプレートが出される。フレンチトーストにサラダ、スクランブルエッグを乗せたオーソドックスな朝食。これがアリスの朝の始まりだった。


 さっきの夢が頭にこびりついて離れない。

 あの少女の声が無限に繰り返される。

 トラウマなんて生易しいものじゃない。


 そうこうしているうちに、プレートは空になっていた。自分でもいつの間に食べたのだろうと不思議になるくらいだった。


「ごちそうさまでした」


 アリスはプレートを片付けてカフェスペースを出た。


「お、おい!」


 アリスを助けようとしたヒロキの声は届かなかった。






 ふらりふらりと風に揺られるように歩くアリス。かと言ってどこかに行くあてもなく、なんとなく友達の声が聞きたくてシュルバの部屋へ向かった。

 なお、今日レイナは資金集めの為ペルセウスの任務を手伝いに行っている。昔のように、リスクの伴う銀行強盗をしなくていいというのは大きい。

 ルカは自室にこもっているらしい。

 幼いのに本当によく頑張っているな、と尊敬の念が湧いた。


 シュルバの部屋の前まで来ると、中から話し声が聞こえた。声からしてシュルバとアルトが中にいるのは間違いない。

 アリスはドアに耳を当て、中の会話を盗み聞いた。


「で、レインヴェデンはその後どうなったんだ?」


「霧島さんがペルセウスを派遣して大規模な掃除をしたんだって。その時転がってた遺体を供養してくれたらしい。その中に、あの子の遺体もあったって…………」


「そう……か。あいつには話さないほうがいいだろうな」


「そうだね……一応遺骨は分けたらしいよ。今その身元を特定して遺族に返してるらしい。なんでもペルセウスの機械で遺伝子を分析してレインヴェデンの戸籍から遺族を特定してるらしい。相変わらずすごい技術力だよねペルセウスって」


 全くだ、と微笑するアルト。


「そのあとレインヴェデンの魔王様が、政治に協力してくれる代わりにって王宮の地下の空間をペルセウスにくれたらしいよ。なんでも大昔ここで地下都市が発展してたけど地震かなんかで壊滅しちゃってそれっきりだったらしい。その空間がペルセウスの現本部より広いから移転作業なうな感じらしい」


「へぇ。確かに日本の警視庁の下よりかは一国家の王宮の下のほうがいいだろうな」


「あ、それでね。お土産貰ったの」


「お土産?レインヴェデンの?」


「うん。耐震工事とか楯の移動とかもあってしばらく顔出せないからーって。クロノス様もそっちに行ってるらしい」


 なお、オルフェウス派のペルセウスは現本部にオルフェウスの聖地とされる鉱床があるため留まることを決めたらしい。対人課の面々が監視を任されているため、もし反乱が起きようものならすぐにレインヴェデン側に連絡が行くようになっている。


「1つは葵ちゃんから、もう1つは霧島さんから」


 前にも言ったがシュルバは『霧島葵』を友達として見るときは『葵ちゃん』、ペルセウスの団長として見るときは『霧島さん』と呼びわけている。


「まずこれ葵ちゃんから」


「…………これ、饅頭だよな?どっからどう見ても」


「お饅頭に限りなく近いレインヴェデンのお菓子。きのみをペースト状にして砂糖混ぜてあんこみたいにしたのを饅頭の皮で包んでるんだって」


「魔族の国家なのに、食文化は本当に人間と変わらないんだな」


「他にも蛇の砂糖漬けとか、蜘蛛の目のタルトとかあったらしいけど、変わりダネを持っていくよりこれのほうが、食べ慣れた味だから美味しく感じるかなーって葵ちゃんが言ってた」


「前言撤回すると同時に霧島さんにマジで感謝」


 その話を聞いていたアリスは蜘蛛の目タルト食べたかったなーと心の底で声を出した。


「これは夕飯のときみんなに出すとして…………問題はもう1つなの。見て、この資料」


「…………おい、まさか」


「見ての通り、吸血鬼の血の使用説明書」


 その時だった。アリスの中の何かが本能的に反応した。それが何か考えるのに時間はいらなかった。

 自分は間違いなく吸血鬼の血を欲している。

 信じがたいが信じるしかなかった。


「霧島さん、レインヴェデンで吸血鬼の血の密売人をとっ捕まえて投獄。その時に血をいくつかサンプルとして回収したんだって」


「さっすが霧島さん、行動力やべぇな」


「今、ルカちゃんが成分の分析に取り掛かってる。サンプルの大半はルカちゃんの専用倉庫の冷蔵庫に入ってると思うよ」


 チャンスだ。

 アリスは反射的にそれを求めてルカの倉庫へ向かった。

 自分でもどうしてこんなに走っているのかはわからない。むしろ、この状況をおかしいとすら思っている。

 にも関わらず、体は血を求めて走る。

 目的地はそう遠くない。

 端の階段から下階に降りて反対の端のルカの倉庫に駆け込まなければいけないが、そうだとしてもせいぜい300m。苦になる距離ではない。

 シュルバ達がサンプルを確認しようと倉庫を目指そうとしていたとしても、アリスには追いつかない。


 アリスは確実に血を手に入れられる。


 ゼェゼェと息を切らせながらも倉庫にたどり着いたアリスは重い鉄製の扉を開いた。

 いくつかの棚に様々な薬品や金属が並べられている。光が少ない部屋だが、どうやら掃除は行き届いているようだ。

 ルカの倉庫には初めて入るため、色々と手探りで探しながら、ついにその冷蔵庫を見つけた。


 真っ白く大きな冷蔵庫の扉を開けようとしたその時――――――。


 シュルバはアリスの手を掴んだ。


「シュルバっち…………どうしてここに……」


「アリスちゃんが吸血鬼の血を狙うことは勘付いていた。アルトと血の話をした後大きな物音がしたから、もしかしてと思って反対側のベランダからロープで下に降りて、ここで待ってたの」


 それを聞いたアリスの目に、涙が溢れ出した。

 それはあと少しだったのに、という悔しさからの涙ではない。

 なぜだか安心感が湧いて、アリスは泣いた。

 自分ではどうしようもできない血への欲望を止めてくれる友達がいたことへの安心感なのだろうか。


 アリスはシュルバの胸に顔をうずめ、しばらく泣いていた。シュルバは優しく彼女の頭を撫で、何も言わなかった。


「毎日……えぐっ……夢を見るの……うぅ……イリスが怖い顔をして……ぐすっ……アリスを許さないって言う夢…………アリス、怖かった……でも、心のどこかで……あの時アリスが無理矢理にでもイリスを止めていれば……えぐっ……イリスは殺されなかったんじゃないかって思うと……誰にも相談できなかった……!」


 シュルバはアリスを落ち着かせながら、難しい顔をした。


 霧島が密売人を拘束したとき、彼女は拷問を行っていた。その時、彼女はある情報を掴んでいた。


『吸血鬼の血には依存性がある』


 一定期間血を摂取しない状態が続くと、禁断症状が訪れる。

 アリスは本物の吸血鬼となったアディーショを喰い殺すことで無意識のうちに吸血鬼の血を経口摂取していたのだ。

 症状には様々なものがあるがアリスに現れたのは脳内の後悔を何倍にも増幅させる症状。それが悪夢として現れたのだ。


「うぅ……えぐっえぐっ…………」


 泣き続けるアリスをシュルバは優しく抱きしめる。彼女はそれしかしなかったが、それ以上すべきではないとわかっていた。


 彼女もまた、大切な人を失った後悔を抱えていたから。

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