5章40話『罪滅ぼし』
「団長、これ」
ペルセウス本部の総司令官室に訪れた矢野はデスクに座って作業をする霧島の側に手提げ袋から取り出した資料をおいた。
「これは……?」
「西暦2068年の虐殺事件のデータ。悪いね、時間かけちゃって」
「いえ、いつもありがとうございます」
矢野が所属する調査隊は様々な時間軸の事件や戦争を常に調査している。内容によっては時間軸の保護のためペルセウスが介入して歴史を改変することもある。
「団長も熱心だよね。いずれ破壊する世界を守ろうとするなんてさ」
冗談半分で発言する矢野。
「たとえ世界を再構築するとしても、今ある世界の住民を蔑ろにすることは失礼ですからね」
霧島は微笑みながら言った。
矢野は「そうかい」と同じく微笑んで返すと、手提げ袋からあるものを取り出した。
「団長、今日何日かわかる?」
「今日……3月の22日でしたっけ?」
一瞬作業を中断して矢野の方に振り返った霧島が最初に目にしたものはとても美しかった。
鮮やかな白い花が数多く集められた花束。それが霧島に向けられていた。
「お誕生日おめでとう」
3月22日。この日は霧島の誕生日だった。
もっとも、ペルセウス本部は時間の流れが現世とは違うため暦が現世と異なる。よって本当の誕生日はこの日ではない。彼女が楯と契約し本物のペルセウスとして生まれ変わった日なのだ。本当の誕生日は霧島本人も覚えていない。
しかも、時間の流れが違うのはペルセウス本部だけではない。
「今年で何回目の17歳?」
「さぁ?8度目でしょうか?まだまだ若いですよ」
2人はそう言って笑う。
楯と契約した人間はそこで時間が止まる。
以前シュルバと同い年だと言ったことは間違いではないし、ペルセウスの大半が霧島を未成年と思っていることはあながち間違いではない。
しかし、もし楯と契約していなかったら彼女は今25歳。成人しているのだ。
ペルセウスの大半が未成年の霧島に運営を任せるのは遺憾だと言っているのは、ペルセウスの大半が楯と契約したことがなく、年齢の仕組みを知らないためである。
余談だが矢野は体は26歳、契約してなかったら38歳である。
「それと、お祝いついでにもう1つ嬉しいニュースだ。…………レインヴェデンの生存者達は少しずつだが日常を取り戻し始めたらしいよ」
「……そうですか。安心しました」
壊滅寸前のレインヴェデンは、レインヴェデン政府にはどうすることもできなかった。
それを矢野から聞いた霧島は直ちにペルセウスをレインヴェデンに派遣。霧島の指揮の下生存者の安否を確認と同時に物資を提供。また、怪我人は応急処置をした上で隣国の病院へ搬送された。
「それで、こんなものが団長宛に届いている」
矢野が内ポケットから取り出したのは1通の手紙。英語で書かれている。
「これは…………」
「ま、そういうことだ」
「…………」
霧島は黙り込んだ。というより、わからなかった。
これを受け取った自分は、素直に応じるべきなのか、それとも断るべきなのか。
責任と罪悪感の間に挟まれて身動きが取れない状態だった。
「彼女にお願いしましょう……恐らくそれが最適です」
霧島は苦渋の判断を下した。
「というわけなんです」
アルタイルの船にやってきた霧島はシュルバにそう告げていた。
椅子に座ったシュルバを霧島が立ったまま文字通り見下す様な状態である。
「何はともあれこれを見てください」
霧島はシュルバに手紙を渡した。
「これが例の手紙?」
「レインヴェデンの政府から私宛に届いた手紙です。英語、読めますよね?」
シュルバは頷いてそれを読み始めた。
「レインヴェデンの政治に協力……?」
「えぇ。アディーショとその兵士によって破壊された街の復興、国の治安維持、あとは外交の手伝い等を依頼されました」
「それで、なんでこれを私に?」
霧島は作り笑いを浮かべながら言った。
「この依頼をシュルバさんにお願いしたいんです」
シュルバはその言葉に驚きと疑問を同時に抱いた。
「以前述べたように、私達ペルセウスはレインヴェデンを襲撃してしまいました。私達を信じて国を任せてくれるのはとても光栄ですが、もし本当の事を知られたら私はレインヴェデン政府を裏切ることになります……。もしそうなったら、耐えられません…………」
霧島はうつむいて唇を噛んだ。
真面目で責任感の強い霧島だからこそ、自分の犯した罪を深く理解し、それ故に一歩を踏み出せないのだ。
「ふぅ〜ん……」
シュルバはメガネを布で丁寧に拭いて、かけ直した。
「断る」
シュルバは言い切った。一切の躊躇なく依頼を撥ね退けられた霧島は心底驚いた。
「霧島さん…………少し厳しい事を言うようになるけど……ここで私に依頼するということは自分の罪を理解する反面、無意識のうちに≪自分の罪から目をそらすことになる≫」
シュルバは立ち上がって霧島の肩を掴んだ。
「どうすればいいかはあなたが考えて。……と言っても、私もあなたがどうするべきかなんて分からない。だから私はあなたの罪を肩代わりすることも、あなたにアドバイスすることもできない」
「シュルバさん…………」
「私にできるのはあなたを信じることだけ。だからお願い、私を裏切らないで」
シュルバは最後に優しく微笑んだ。
それを見た霧島は拳を強く握りしめ、シュルバに礼をし、部屋を出た。
「いいなぁ……自分の罪を背負えて」
シュルバの頬に一粒の水滴が流れた。
太陽が沈んだ午後7時15分。霧島はレインヴェデンの王宮の目の前にいた。
「あぁお嬢さん、海外の人?ここから先は立ち入り禁止なん――――」
そう言って彼女を止めようとする警備兵に彼女は内ポケットから取り出した懐中時計を見せた。
懐中時計の示す時間は現在の時刻と大きくズレている。ペルセウス本部の時計に合わせてあるのだ。
そして懐中時計の蓋の裏には楯に白と黒の羽のマーク、その周りは赤かった。
「し、失礼しました!」
「ご苦労さまです」
霧島は兵士に開けられた道を足早に進んでいった。
ここはレインヴェデンの王宮。とは言っても、中はかなり荒れている。
あの後大規模な掃除があったのだろうが、それでも壁や床に飛び散った血はかすかに残っている。
霧島はそれらを出来るだけ見ないようにして目的地に向かった。
一際目立つその扉を強く押すと、その先には1人の女性がいた。白いドレスに身を包んだ長い金髪の彼女はレインヴェデンの魔王である。
彼女を囲む兵士の数々がそれを物語っている。
「これはこれは霧島様、お初にお目にかかります」
「はじめまして。ペルセウス総司令官、霧島葵と申します」
霧島は玉座の前で跪いた。
「副総司令官の矢野京子から話は聞いております。今回はその件で訪問させていただきました」
「ならば話が早いです。今回のペルセウスの迅速な対応、国民もあなたに、ペルセウスに本当に感謝しています。残念ながら先代の魔王はアディーショに殺されてしまいましたが……私は彼女の勇気と意思を継ぎ、未来へ託したいと思います」
魔王がそう言っている間に、霧島にのしかかるものがあった。
「その為にあなたに協力を依頼したいのです。レインヴェデンを救ってくれたあなたに――」
「ごめんなさい」
救ってくれた。
その言葉に霧島は耐えられなかった。
静まり返った空間に霧島の声が響く。
「以前、アリス・イミテイションが殺害された際の襲撃事件を覚えていますか?」
魔王は困惑しつつも頷いた。
「忘れるはずがありません……。先代の魔王の姉、アリス様が殺されたあの日のことは……」
霧島は唇を強く強く噛み締め、言った。
「あの日この王宮を襲撃したのは私達ペルセウスです」
魔王は思わず口を両手で覆った。
「あの頃のペルセウスの頂点はオルフェウスという神でした。私達は彼の指示の下、この王宮を襲撃しました」
そう言うと、霧島は立ち上がり、銀色のナイフを玉座の前に投げ捨てた。
小さな金属音だったが、その場にいる全員の注目を引くには十分だった。
「あの襲撃事件での死亡者は何人ですか?」
「…………13人です」
「魔王様、お願いがあります」
霧島はもう一度跪いた。
「≪私を今ここで、13回殺してください≫」
辺りに、言葉に表しにくい重さが加わった。
「ご存じないかも知れませんが、私は不死身。何度死んでもペルセウス本部で生き返るのです。私はここで一度殺され、ペルセウス本部に戻り、もう一度ここを訪れます。そしてまた殺され、訪れを繰り返します。私が13回死ぬまで」
「…………そんなことをして何になるというのです?」
「これであの事件の罪滅ぼしになるとは思っていません。ですが、少なくともこれくらいはしないと私はあなた方を裏切ることになります。私を信じて託してくれた方々を、私は裏切りたくありません」
霧島は本気だった。
今霧島は本気で殺されようとしている。
間接的にとはいえ、自分が殺した命は自分で償うつもりなのだ。
その霧島を見た魔王は玉座を降り、霧島に歩み寄った。
「確かに、あなたの犯した罪は決して無視できるものではありません。あの襲撃事件はレインヴェデンに負の歴史として刻まれるでしょう」
覚悟していたとはいえ、いざハッキリ言われると辛いものだ。
「しかし」
霧島は反射的に顔を上げた。
「あなたの今回の活躍も決して無視できるものではありません。先のペルセウスの救援も同じくレインヴェデンに美の歴史として刻まれるに違いありません」
「魔王様……」
「あなたは自分が13人殺したから自分も13回死ぬべきだと考えている。しかし今回あなたが救ったレインヴェデン国民の人数は13を遥かに上回ります。あなたはそれだけの人を生かしたのですから、同じ数あなたも生きるべきです。ここであなたが無駄に命を投げ出すことは、誰も望んでいません」
霧島はひと粒の涙を流しながら深々と礼をした。
「ありがとうございます……!」
罪悪感から解放された霧島は一安心した。
その後、霧島は魔王から詳細を聞き、現在の様子を把握するため一度レインヴェデンを見て回ることになった。
熱心な兵士がそのお供に名乗り出て霧島は街へ出た。
城に近い場所はレインヴェデンの兵士やペルセウス達の活躍もあり順調に復興していた。
しかし少し離れた辺境に来ると、建物は荒れ、国民はボロボロの服で街を彷徨い、道は血や肉の腐った臭いが漂っていた。
「兵士さん……ここはペルセウスが来た後もこんな感じなんですか?」
ペルセウスにはかなり広い範囲を回らせたはず。このような光景はありえないと考えたのだ。
「どうやらペルセウスからの物資を奪おうと暴動が行われたようです。他にも予め隠しておいた密造酒を物資と交換したり、自らの子を売りさばいたり、注射器に入った紅い液体と大量の物資を交換する光景も見られたとか」
その紅い液体の正体を霧島は知っている。
しかしそれより先に彼女の事が頭をよぎり、霧島に一刹那の葛藤を与えた。
そしてついに、アリスとアディーショが殺し合った場所にたどり着いた。
道は割れたり傷ついたり、血も広く塗りたくられており、辺りの家屋も血塗れだった。兵士は甲冑を着たまま死体として転がっていたり、少女に喰い荒らされた赤いドレスの肉片が散らばっていたり。
そして、"彼女"の遺体も虚ろな目のまま置き去りにされていた。
なぜだが妙に寒い。
すると前を歩いていた兵士は甲冑を脱ぎ捨て、その姿を霧島に見せつけた。
「霧島総司令官…………俺は今ここで貴様を始末する。失われた子供たち、ロストチルドレンとして!」
決意に満ちたその表情を見た霧島は闇を抱えたような黒い顔で兵士改めロストチルドレンを睨みつけた。
「やれやれ…………裏切り者のゴミ如きが私に立ち向かうとは。自殺の方法も進歩しているのですね」
霧島は一切笑わなかった。




