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5章39話『紅い踊り子』

「ぁああッ!!!ガッッ!!ゲホッゲホッ」


 アディーショもがきながら咳き込むと同時に大量の血を吐く。ビチャッと音を立てて撥ねる血液がアリスの足にかかった。

 苦しみに歪んだ見るに耐えない表情。毒を盛られたような顔色。その光景がその場にいた全員を恐怖に引きずり込んだ。


 しかし、それは一瞬で一変する。

 先程までの表情が嘘だったかのように、アディーショの表情がだんだんと、且つ急激に笑顔に変わっていったのだ。


「アハハハハ!最高の気分だ!」


 彼女がそう叫んだ頃には、彼女の体は吸血鬼になっていた。

 口からは鋭く長い牙が姿を現し、全身に負った傷はみるみるうちに塞がり、目つきも鋭くなった。


 右手に持った注射器をレンガの地面に叩きつける。高い音を立ててパリンと割れたガラスが辺りに撒き散らされた。


「なんだこれは……今までとは感覚が違う!」


 全身に快楽が満ちている。体が新鮮な血を求めている。剣を持つ手に力が込められる。

 アディーショは確信した。


「私はついに…………本物の吸血鬼になったんだ!」


 アディーショはそう言うと、剣を持ってアリスに突っ込む。

 もちろんアリスにも魔鎌メリガルネがある。ボロボロになった鉄製の剣くらいなら受け止めることは可能だ。

 刹那に飛び散った火花がそれを証明していた。


 その光景を横目で見ていたシュルバが近くにいたレイナに問う。


「本物の吸血鬼になるなんて、そんなことありえるの?」


 レイナは静かに頷く。


「吸血鬼の血には相性がある…………。その相性が極めて良いと本物の吸血鬼になることがあると聞いた……」


「イリスの血は皮肉にも忌み嫌ったアディーショとの相性が最高だったというわけね……」


 レイナはまた、静かに頷いた。



「う…………くぅ…………」


 アリスはアディーショの剣を鎌で受け続けている。さっきとは比べ物にならないほど強い力がのしかかる。傷だらけの手で押し返すことは難しいだろう。

 血を打つ前のアディーショは身軽な動きでアリスを翻弄し、動きを封じていた。

 しかし今のアディーショは単純な力で無理やりアリスの動きを封じている。

 血を注射しただけで戦い方すら変わってしまった。この血がいかに恐ろしいものかが伝わってくる。


 アディーショは自分が圧倒的に有利だと確信し、あえて力を抜いた。

 アリスはバランスを崩して後ろに3歩歩き尻もちをつく。投げ飛ばされた鎌はレンガの地面に突き刺さる。それも、音もなくすんなりと。まるでレンガではなく豆腐に刺さったかのように。


 シュルバは、その様子を見て確信した。


「…………アルト、ちょっといい?」


「あ?なんだよ」


 シュルバは耳打ちでアルトにそれを伝えた。


「……わかった。できる範囲まで試してみる」


 アルトは目を閉じ、『生霊』を発動した。


「……多分70体くらいある。厳密な数字はわからねぇがな」


「70……か」


 シュルバは辺りを見渡す。

 アリスが倒した兵士、シュルバ達が倒した兵士、そしてイリス…………。それぞれの亡骸がそこらじゅうに転がっていた。

 彼女の隣には全身から血が吹き出しているヒロキ。『弁慶』でアリスへの攻撃を庇っている。

 しかし彼もいつまで耐えられるか、といったところだ。





 地面に座り込むアリスはアディーショを鋭く睨みつける。


「ほぅ……威勢だけはいいみたいだな」



 アリスは突き刺さったメリガルネを引き抜き、構えた。


「よくもイリスを最後の最後まで利用してくれたね…………」


「何を言い出すかと思えば。妹より自分の心配をしたらどうだ?」


「いいえ、その必要はない」


 アリスはそう言うと、右腕を横に突き出した。


「アリスは……イリスに何もできなかった。まだ小さいイリスが1人でこの国を変えようと背伸びしているのを、ただ影から見てることしかできなかった。それが、とても悔しかった」


 アリスの腕輪は覚醒し、幻想的かつ恐ろしくその姿を現した。


「だからさ…………今くらい、"お姉ちゃん"しててもいいよね?」


 アリスは、イリスの死体に語りかけるように言った。

 同時に、腕輪は勢い良くアリスの体に突き刺さった。その瞬間、アリスの脳に新たな能力についての情報が流れ込んできた。


「………………」


 アリスは黙り込んだ。いつもより低めに鎌を構え、アディーショの出方を伺った。


「どうしたぁ?攻めてこないのか?」


 アディーショは剣を持たない左手で、手をクイックイッと曲げて挑発する。憎たらしい笑顔を浮かべながら。


「………………」


 それでもアリスは喋らなかった。一切口を開かず、アディーショをただただ睨んでいる。

 彼女の目的は誰にもわからなかった。


「…………本当に腹が立つ娘だ!」


 しびれを切らしたアディーショがアリスに剣で攻め寄る。鬼の形相で迫りくるアディーショだったが、それを見てもアリスは動かなかった。

 まだその時ではないと判断したためだ。


「死ねッ!!!」


 アディーショがアリスの首めがけて力いっぱい振り下ろした剣はアリスの肩をかすっただけでダメージというダメージになっていない。

 その後も止めどなく剣を振るうアディーショだったが、アリスは涼しい顔のまま次から次へと攻撃を避けていった。これもまた、美しく踊っているかのように。


「くそっ…………ハァ……ハァ…………」


 アディーショの額から一滴の汗が垂れる。かなり前からお互い疲れが見えていたが、はっきりと目に見える形で現れた例は今回が初めてではないだろうか。

 アディーショはその隙をつかれることをこわがって、アリスから距離を取った。

 バサバサバサッというコウモリの飛ぶ音はなかなか心臓に悪い。


「血が…………血が欲しい…………」


 その発言は、アリスにアディーショが本物の吸血鬼になったと信じ込ませる材料の1つになった。それを身を持って体験するのはしばらく先の話になるが。


 一方、離れた場所のアルトは自分の能力を解除し始めていた。シュルバに依頼されたものを全て回収したからだ。


「集めてやったぞ。この辺りにある死体」


 シュルバは「サンキュ!」と敬礼をして、ぶつぶつと何かを唱え始めた。


「20…………70……………………130!」


 シュルバは唇を舐め、ニヤリと笑った。





「フフッ、いいざまね」


 アリスは少し高い声でアディーショに言った。


「貴様……私に何をした!」


「別に?ただ、()()()()()()()()()


 アディーショが目だけでアリスの足元を見ると、確かに彼女の足元にはさっき飛ばしたコウモリの影があった。


 しかしその影は動かなかった。


 影だけではない。その真上にはあたかもそこだけ時間が止まっているかのように空間に切り離されたコウモリが1羽、羽ばたくこともせず浮かんでいた。


 そしてそれと同じように、アディーショも全身が締め付けられているかのように身動きが取れなかった。


「これがアリスの新しい能力……『呪詛』」


 呪詛。

 対象の影を踏むと、踏まれた相手は金縛りに遭う。


「くそっ…………体が動かない……!」


「口だけは動くんだねー。まぁその方が便利だからいいけどさ」


 アリスはメリガルネを強く握りしめた。

 メリガルネが少しでも動くと、その周りに残像が生まれる。アディーショの視界はゆったりと、そしてぐるぐると歪み、ねじ曲がり、ひっくり返っている。

 その起点はメリガルネの刃ということにも、すぐに勘付いた。


「なぁシュルバ。なんで俺に死体なんて集めさせたんだ?」


 シュルバは先程、アルトに指示を出して周囲の死体をかき集めさせた。

 アルトはその目的がイマイチわからずにいた。


「最初の方アリスちゃんが攻撃したとき、メリガルネは床に弾かれてアリスちゃんは大きく仰け反った。でもさっきはメリガルネは音すらなく床に突き刺さった。メリガルネが徐々に強くなっていることはわかった」


 それに気づいたときはまだ、強化の原因までは気づいていなかった。と続ける。


「でもすぐにわかった。アディーショの剣はメリガルネに攻撃を与えるたび削れていった。そしてそのダメージはだんだんと深くなっていった。そう、私達が兵士を殺す度に」


 シュルバはついに結論を話す。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが私の出した結論」


「…………なるほどなぁ。もしその考えが正しいなら、これだけの死体が転がってる今メリガルネはダイアモンドですら斬り裂いてしまうだろうな」


「そうね…………。ここから先は私にもわからない。でもここにある死体の数は130。新能力で動きを封じられたアディーショの死は確定したね」


 その話を聞いていたアリスとアディーショ。


「お、おい…………本当に私を殺すのか?…………今見逃してくれれば、この国の安泰は約束しよう。市民も誰一人傷つけないさ…………。な?悪くない話だろ?」


 たとえアディーショのような人間でも、死を覚悟した瞬間は無様にも命乞いをしてしまうのだ。命より大切なものなどこの世にはないのだから。


「お、おい…………話だけでも聞いてくれよ。とりあえずそれを降ろせ……その鎌を一度しまえ…………平和的に解決しようじゃないか」


「なぁ…………頼むよ…………話だけでも聞いてくれよ……」


「おいおい…………何をするつもりだ……この距離じゃ当たらない。鎌を構えるな…………」




 その1秒に音はなかった。

 アリスが力強く鎌を振る。間違いなくそれはアディーショには当たっていなかった。

 にも関わらず、アディーショの足は消し飛ばされていた。そこにあったのは紅色の噴水だけだった。

 もはや痛いという感情すら湧かない。何が起きたか、脳が理解していない。


「シュルバ…………今の見たかよ」


「えぇ。どうやら私達は魔鎌メリガルネを甘く見ていたらしいね」


「シュルバおねーちゃん!いまのぐわーってやつなに!?」


「今メリガルネが斬ったのはダイヤモンドよりも斬れないもの。130の死体の力を得たメリガルネは、()()()()()()()()


 本人たちは気づいていないだろうが、メリガルネのひと振りの瞬間、メリガルネの周囲の空間が歪んだ。アディーショの足を含む空間が全て。


「平和的解決……?話だけでも聞け……?武器を構えるな……?」


 アリスは足を失ったアディーショに近づいた。彼女にはもう『呪詛』は必要ないと判断したためだ。


「話も聞かず武器を構えてイリスを殺したお前が笑わせるな」


 アリスの表情に光はなかった。

 シュルバの何倍も深い絶望が彼女を包み込んでいた。


「やっ……やめろ!来るな!」


「お前はイリスから血を奪った………………」


「やめろ!離せ!やめろやめろやめろ!」


「イリスの血を返せ」


 ゴシャァ。

 グチャッ。ゴキッ。ネチャッ。


 生きたままアリスに喰われるアディーショ。

 なんでもないただの少女が吸血鬼を食い散らかす様は恐怖以外の何も生まなかった。


「ぎゃああぁあっ!!!!」


 乳房を噛みちぎり、鎌で切れ目を入れ、綺麗な手で開き、血を啜る。

 アリスの犬歯はアディーショの心臓に達した。その頃にはもうアディーショはこと切れている。


 それでもアリスは彼女を喰うのをやめなかった。


 気づいた頃には、アリスが喰っていたそれは人の形をしていなかった。

 返り血を浴びたアリスは、まるで深紅のドレスを身にまとった踊り子のようにも見えた。

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