5章38話『メリガルネの涙』
「覚悟……だと?」
アディーショは鼻で笑った。
「覚悟を決めるのは貴様の方だ、すぐに妹の下に送ってやるよ」
そう言うとアディーショは左腕をスッと上げ、アリスに向けて振り下ろした。真っ直ぐと伸びた腕の先を見つめる周りの兵士が、重い鎧をカチャカチャと動かしてアリスに迫った。
全方向から集まった20人ほどの兵士がアリスを取り囲んだ。その全員が厚い鋼の鎧と槍を装備している。たった1人の少女に行う行為にしてはやり過ぎにも見える。
しかしアディーショに慈悲はない。
アディーショは一言、「やれ」とだけ言った。
兵士達はアリスに槍を向けるが、アリスは一切動じず、それどころか冷静にその槍を鎌でなぎ払った。バランスを崩した兵士に詰め寄り、至近距離で鎌を振るう。
アリスは自分の身長ほどはあるような鎌を軽々と振り回す。まるで踊っているかのように。
鎌は兵士の鎧に少しずつ傷を入れる。その傷は、溝になり、切り口になり、いつしか刃は鎧を貫通した。
それを見ていた他の兵士にも仲間を助けようという意志はあるものの、アリスが鎌を振り回しているため近づくのは容易ではない。
みんな最後は自分の命が惜しいのだ。
結果、この戦いで初めて、アリスによる被害者が生まれた。
その時点でアリスは疲れを感じていたが、逆に加速して次、また次と斬り裂いていく。
なんとか槍で応戦を試みる兵士もいたが、槍ごと斬られ、終了。
アディーショへの忠誠を忘れて大急ぎで逃げ出した者もいたが、鎧を着た大柄な男がアリスから逃げ切れるわけがない。背後から心臓を貫かれて死亡。
20という数字がとても小さく思える出来事だった。
「やるねぇ〜アリスちゃん。ちょーかっこいい」
「いや……確かにアリスは身軽に振る舞っていたが、完全に避け切れてたわけではねぇみてぇだな」
アルトは、全身傷だらけのアリスを見て言った。
もちろん、アディーショもそのことには気づいていた。
かすかだが、アリスは息切れしている。あれだけの敵を同時に相手すれば当然である。
それでもアリスは頬の返り血を拭い、鎌を握りしめた。
それを見たアディーショも戦闘態勢を取る。
しばらく睨み合った両者だが、先に仕掛けたのはアリスだ。
地面を強く蹴り、アディーショに向かって鎌を振り下ろす。地面のレンガに弾かれて大きく後ろに仰け反ったアリスをアディーショは見逃さなかった。
刹那のうちに抜刀した血塗れの剣がアリスを斬らんと輝いていた。横一線に振り払われた剣を回るように回避したアリスはすぐさま次の攻撃に出る。
「シュルバ……私達も加勢しよう……!」
レイナが提案するも、シュルバは動かなかった。
「あれはアリスちゃんの殺し合い…………私達が手出しするわけにはいかないよ」
ただ、と続ける。
「あのアディーショっていう女はアリスちゃんに兵士を仕向けた。既に体力を削られてるアリスちゃんに数的不利を負わせるわけにはいかないよね」
シュルバはナイフを逆手に持ち、飛び出した。
それに続くように、他のアルタイルも武器を持って駆け出した。
「ぐっ…………!」
アディーショに翻弄されるアリス、既に両者共大幅に体力を削られているが、それでもアディーショの方が有利だ。
イリスを殺された憎しみから本能のまま殺戮を行うアリスの戦い方は普段の戦いと全く別物だ。体力、精神力ともに消費が激しい。
決して有利とは言えない対面だった。
しかし、それだけではない。
アリスはアディーショの剣を鎌で受ける。強く力が込められた剣を必死で抑えるアリスの横っ腹をアディーショは見逃さなかった。
アディーショは無駄のない動きでアリスの腹を斬り払おうと試みる。もしアリスが剣を拳で叩き落とすのがあと1秒でも遅れていれば、彼女の胴体は真っ二つだっただろう。
しかも、命は助かったとはいえ叩き落とした手は血塗れだった。アリスは右手を押さえたかったがそんなことしてしまえば武器が握れない。
アリスは真っ赤な手で鎌を握り直す。
それを見ていたヒロキが言う。
「あの無駄のない動き…………まるでアイツみたいだ」
アイツ。
ヒロキがそう言うのはかつて戦った剣の名手。強すぎて手も足も出せなかった、狼の仮面の男。
ゴースト。
「あのゴーストとほぼ同じ戦い方だ……」
ヒロキは兵士の相手をしながらそう呟く。
そう、アディーショの剣さばきは完璧なのだ。
剣を振っている間は本当に一切の隙がない。守りに徹することしかできないほどにだ。
「仕方ねぇ、アルトこっち手伝ってくれ」
「あぁ?お前一人でもいけるだろ」
「いや、これから俺は大ダメージを喰らう。お前の手助けが必要だ」
「…………ったく」
アルトは兵士に蹴りを入れて、倒れた兵士の頭にゼロ距離でライフルをぶち込む。
そのままヒロキの方に駆け寄った。
「あとは任せろ。お前はお前の能力に集中しな」
アリスとアディーショの戦闘が始まって既に30分が経過していた。アリスは依然アディーショに押されっぱなし――――ではなかった。
アディーショの持つ剣は固まった血がところどころ剥げていて、剣本体もボロボロだった。
にも関わらず組み合っていたアリスの鎌は鋭いままだ。むしろ、戦闘開始時より鋭利になっているようにすら感じる。
それが余計にアディーショの剣を傷つけ、砕いているのだ。
「隣国…………」
レイナは兵士との戦闘中、アリスの持つ鎌について考えていた。
隣国からの贈り物……黒いイヤリング……鎌……。
レイナの検索はその3つのキーワードで1つの本を絞り込んだ。
魔鎌メリガルネ。
聞き覚えのある言葉だった。
その時、ちょうど自分と同時に敵を片付けたシュルバと背中が当たった。
「シュルバ…………アリスの持つあの鎌は魔鎌メリガルネ……。ヒポカローリで造られたものだ」
「なるほど……あの鎌はヒポカローリから贈られたものなのね……」
レイナが頷く。
「そしてメリガルネはヒポカローリ語…………。その意味は……『嘆き』……」
「嘆き?」
「あぁ……。本来、魔鎌メリガルネはおとぎ話の上の架空の存在…………その物語に出てくるのがあの黒いイヤリング『メリガルネリタカノリヲ』……日本語訳すると『嘆きの涙』……」
「なるほどねぇ……今のアリスちゃんにピッタリだ」
シュルバとレイナはそう言いながら、次の兵士の相手を始めた。
「ぎっ………………!」
アリスがアディーショの剣を受け止める。
それを繰り返すうちに、アディーショは剣のダメージによって自分がだんだんと不利になってきていることを実感した。
戦いを続ければ続けるほど剣が壊れていく。この鎌には武器を破壊する効果でもあるのだろうか。そう考え始めた。
その思考は、久しぶりの隙となった。
アリスは僅か0.3秒の隙を見逃さなかった。傷だらけの手で鎌を大きく振る。そのまま押し負けたアディーショに更に踊るように鎌を叩きつける。アリスの攻撃にも隙がなく、それどころか美しいとすら思える。
「くっ……!血が足りん…………」
アディーショはそう呟くと、腕一本と引き換えに地面に転がるイリスの亡骸を抱え上げた。
アディーショは亡骸を盾にするように構え、アリスの攻撃を止めさせた。
「時に貴様は、なぜ姉である自分ではなくて妹のイリスが魔王に選ばれたのか考えたことがあるか?」
「それは…………イリスの方が、魔力が高くて頭脳や身体能力も……」
「違う」
アディーショは嘲笑うように笑みを浮かべた。
「頭脳も身体能力も魔力も確かに上回ってはいるが…………その差はほぼ0。誤差の範囲なのだ。そうなれば今までの歴史上、姉である貴様が魔王になるはずだった…………ではなぜ妹のイリスが魔王になったと思う?」
「…………そんなこと分からない」
「そうか、ならば教えてやろう」
アディーショはイリスの亡骸を地面に叩きつけ、懐から空の注射器を取り出した。
「最近は暖かいから、まだ使えるだろうな」
「……何をするつもり?」
アディーショはイリスの心臓の辺りに注射器を刺した。イリスの血が注射器に吸われていく。
「イリスが魔王になった理由……それは…………」
イリスの血を含んだ注射器を持ったまま、アディーショは腹の辺りに切れ目の入ったドレスを破いた。布の下からは綺麗な白い肌が見えるが、一部分だけ異常に硬質化しているように見える。
「イリスが6億人に1人と言われる、天然の吸血鬼だからだ」
アディーショは注射器を腹に刺した。




