5章37話『お姉ちゃん』
意外な出会いだった。
いくらレインヴェデンに行くとはいえ、王宮にいるイリスに会うことはありえないと確信していた。それはアリスだけでなく、その場にいた全員が。
一同はイリスに、しかもこんな形で会うという現実に驚いていた。
しかしそれとは桁違いなほどイリスは驚いていた。
「なんで……お姉ちゃんが生きてるの……?」
悪意があるように聞こえるが、これは心の底から湧き出てきた声だ。
かつて殺されたはずの姉が、殺した犯人と共に目の前に現れた。現実味がなさすぎる出来事が現実に起きてしまった。
脳の処理が間に合うわけがない。
「えっとアリスはあの後――――」
「待った」
シュルバが割って入った。
「イリスちゃん、あなた追われてるのよね?だとしたらまずは身を隠すことが優先」
「わ、わかりました。それなら、この近くのレストランに行きましょう。こうなった時のために予め話をつけておいた隠れ家なんです」
イリスの案内の下たどり着いたのは洋風レストラン。
中に入ると嗅いだことのないような香ばしい匂いが鼻腔を通る。客の料理を見てみると、見慣れない食材こそ使われているもののパスタやドリアなど見慣れた料理だった。
魔族の国といえど、食の文化は人間と大差ないようだ。
レストランに入るやいなや、店主がイリスに駆け寄り、厨房の奥にある地下室へと案内してくれた。これだけ大騒ぎになっていれば心配にもなるだろう。
薄暗い地下室は少し肌寒い。部屋も掃除こそされているようだが、半分物置のような状態だった。ほとんど使われていなかったのだろう。
つまり、この隠れ家はつい最近まで不要だったということだ。レインヴェデンの治安がいきなり悪くなったということを予想するには十分だった。
「まずはお姉ちゃん達の話を聞かせて。状況が整理できないの」
困り顔で頭を抱えるイリスを見た一同は、アリスが殺された後のことやアルタイル達の目的、何をしにレインヴェデンへ赴いたかを説明した。
「……いまいちピンとこないけど、大丈夫」
「じゃあ次は、アリス達の番だよ。今この国で何が起きてるか教えて」
イリスは頷いた。
「お姉ちゃんが殺された後、新しい影武者としてアディーショさんっていう女の人が来たの。その人は影武者だけじゃなくて私の政治のお手伝いをしてくれたり、時には話し相手になってくれたり、お姉ちゃんを失くした私にとって心の支えになる人だった」
でも、とイリスは続ける。
「アディーショさんはある日を堺に私を差し置いて勝手に政治を行い始めた。ほぼ独裁と変わらないような政治を。もちろん、そんなこと私は望んでない。だから必死に止めようとしたよ。でも、できなかった。それどころかアディーショさんは私の事を『貴様は偽りの王だ』とか『貴様がいるからこの国は乱れるのだ』とか…………その末路が今の状況。アディーショさんの家来が私の命を狙っているの」
「アリスが死んでから、そんなことが……」
アリスはうつむいた。
もとはと言えば、アリスがアルタイルに加担しなければアディーショが新しく配属されることもなくレインヴェデンは平和なままだった。
今さらアリスにはどうすることもできない問題だが、だからこそ取り返しのつかない問題の引き金を引いてしまったと、後悔で頭がいっぱいだった。
「落ち込んでる暇はないよ、アリスちゃん」
シュルバがアリスの頭をポンポンと叩く。
「そうだよね……いつまでも下を向いてちゃダメだよね」
「……いや、それもなんだけど」
シュルバは壁際に立ってちょいちょいとアリスを手招く。その様子を見た一同もシュルバもとい壁による。
アリスがそっと壁に耳を当てると、壁の奥からはドン……ドン……と鈍い音が響いてきた。
「これって…………」
「近くの家が襲撃されている音ね」
シュルバは冷静に地上1階への階段へ向かった。
「待って!なんでこの地下室を出るの?」
「いずれこのレストランも襲撃される。そのまま地下室が見つかったら、私達に逃げ場はない」
「急いでここを離れるべきってわけか」
シュルバが頷いた。
「イリス様、ここの他に隠れ家は?」
「ここから1時間ほどの場所にあります」
それを聞いた一同はアイコンタクトをとる。
かつてこの場所で殺戮を行ったアルタイルは皮肉にも殺戮者から少女を守るという目的を掲げた。
外に出ると案の定鎧を着た兵士が槍を持って辺りをうろついていた。顔は見えないが身長や鎧の形から見ておそらく男性。それが何十人もいるとなると流石に戦うわけにはいかない。
しゃがんで低木に身を隠しながらゆっくりと進んでいった。
「ここでしばらく兵士が動くのを待つか」
アルトはそう言うと、建物と建物の間に隠れながら様子を見始めた。
「お姉ちゃん……」
ふと、イリスが呟く。
「私……この国をよくできるかな?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「あの日、私はアディーショさんを止めようとした。でもアディーショさんの形相を見て、すっかり恐怖に支配されてしまった。だから……勇気のない私にはレインヴェデンを変えるなんて無理なんじゃないかって……」
イリスは目に涙を浮かべながら訴えた。
たった1人の少女が責任を負いきれるほど、この国は小さくない。それを知っていながら、イリスは誰が考えても不可能なことを可能にしようとしている。
そしてそれは彼女の使命でもあり、望みでもある。
アリスはその様子を見て、こう言った。
「アリスは……王様にはなれなかった。いつもイリスの偽物だって言われてとても辛かったし、イリスを憎く思ったことも数え切れないほどあった。でもさ……」
アリスは笑ってみせた。
「あなたはそんな私すら笑顔にしてくれた。影である私に光をくれた。だから、あなたならこの国のみんなを笑顔にできる。あなたなら、魔王イリス・イミテイションならね」
その言葉を聞いたイリスの胸の中には懐かしさが広がった。
あぁそうだ。これがお姉ちゃんだ。
大好きな大好きな、私のお姉ちゃんだ。
そう感じていたその時だった。
「なぁ、ちょっといいか……?」
アルトがイリスを呼ぶ。
「あれが、アディーショとかいう奴か?」
アルトが指差す先には一際派手な赤いドレスに身を包んだ女が立っていた。
彼女は血に塗れた剣を右手に持ち、返り血を浴びたドレスは美しい赤と残酷な朱が波動のような模様を生み出し、顔には同じように波動のような血がはねていた。
それを見たイリスは頷く。
「なるほど……確かに危なそうな奴だな」
アルトがそういった頃には彼女は既にそこにいなかった。
イリスはアリスの耳たぶにイヤリングをつけた。
小さな黒色の宝玉に金色のフレームが被さったシンプルなデザインだが、それ故に美しさを醸し出していた。
「これは?」
「隣国からの贈り物。きっとあなたなら……」
イリスはアリスの手を取るがアリスにだけ、その手が微かに震えていることがわかった。
「あなたは偽物なんかじゃない。あなたは、本物のアリス・イミテイション。そして紛れもない――――」
私のお姉ちゃん。
イリスは女性のもとに駆け出した。
「イリス!」
アリスがそう言って手を伸ばした頃にはイリスとアディーショの会話が始まっていた。
「待ってください!私はここにいます!これ以上の破壊活動はこの魔王イリス・イミテイションが許しません!」
「魔王だと?笑わせるな。貴様のような小娘に魔王が務まるわけがない!」
「……あなたはなぜ変わってしまったのですか!あの頃のあなたは、とても優しかったのに!」
「黙れ、偽りの魔王が出しゃばるな」
「黙るのも、偽りの魔王もあなただ。私は魔王としてあなたを断罪しなくてはならない」
「断罪ねぇ……おぉ怖い怖い」
アディーショはイリスの胸ぐらを掴み、持ち上げた。
「では、断罪される前に貴様を始末するとしようか」
「や…………やめて、離して………………」
「魔王に歯向かった罪、その命で払ってもらおう」
アディーショはイリスのこめかみに拳銃を突きつけた。
それを見ていたアリスの中に、大量の絶望が流れ込んだ。
上空で離されたイリスはもう二度と起き上がらなかった。こめかみに空いた穴からは赤黒い液体が流れ出し、イリスだったそれの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
口を「お」の形にしたまま横たわるそれを蹴り飛ばし、高笑いするアディーショ。
「あの野郎、許せねぇ――――」
アルトが銃を構えようとするも、それをアリスが止める。
アリスはゆっくりと歩いて、アディーショに近づく。
「貴様、もしやアリス・イミテイションか?」
「………………もしこの世から光が消えたら、何が残ると思う?」
アリスは無意識に、耳についたイヤリングに触れた。
「…………闇だよ。真っ黒い、ね」
イヤリングから黒い霧が漏れ出し、アリスを包む。まるでアリスの周辺だけが夜になったようだった。
「貴様は……何が言いたい?」
霧は1箇所に集まり、だんだんと固体に近づいていく。いつしか黒色の球体となったそれにアリスが手を突っ込む。
「あなたはイリスに手を出した」
霧はその姿を鎌に変えた。一切の光を反射しない黒色の鎌に。
「覚悟はできてるよね?」
アリスの目は絶望で塗りつぶされていた。




