5章30話『事故愛』
水を操る能力。それはこの戦場において最強とも考えられる能力だ。
その能力は水があればあるほど強力になる。そんな能力を持つ者を相手に海上を舞台にするなど自殺行為もいいところだ。
「厄介な相手だな全く…………」
ヒロキは冷や汗を流しながら虚勢を張るように笑った。
とはいえ、海の水は大半凍らせてある。もし操れるのが氷だけだとしたら、まだ勝ち目はあるだろう。
しかし問題はもう1つある。
シュルバは顎に手を当てて目を細めた。
「本体は一体どこに…………」
先程ヒロキが斬った賢人は賢人の能力で操られていた水の人形。だとしたらそれをどこかで操っている本物がいるはず。
さらに言えば、ヒロキが接近してきた時に焦りを見せる賢人は恐らく本物。水を操れるとはいえ水の人形が言葉をも喋れるとは思えない。
つまり賢人はヒロキに斬られる寸前に自分と人形を入れ替え、自分はどこかに移動したと考えられる。
ならばそれはどこだ?シュルバが抱えている問題はそれだった。
「ヒロキ、一旦様子を見よう。敵の位置が掴めない以上、迂闊に動くのは危険だよ」
シュルバは前方にいるヒロキに大声で伝えた。
ヒロキはそれを聞き、一度シュルバに近づいた。
「シュルバ、俺はこのあとどう動けばいい?」
「敵の位置がわからないからなんとも言えないけど…………場所が分かり次第突っ込むしかない」
「ま、そうなるか」
「ごめん、頼りなくて………………」
シュルバは服の裾をぎゅっと握りしめ、ヒロキから目を逸した。言いようのない空気に耐えかねたヒロキが、「頼りなくなんかねぇよ」と言おうとした瞬間だった。
バリンッ!
ガラスが割れたにしては音が濁っている破壊音。その方向に振り向いた一同は驚愕した。
アリスは氷上で尻もちをつきながら、目の前に刺さった白い矢を凝視していた。
「敵だ!まだ近いよ!」
ヒロキとシュルバは背中を合わせて周囲を見渡す。
「いた!シュルバ!あそこだ!」
ヒロキが指をさした方向にはぼんやりと人影が5つ、蜃気楼のように浮かんでいた。
「アリスちゃん!逃げて!」
そりゃあアリスだって逃げたいのは山々だ。しかし彼女はあまりに突然の襲撃に腰を抜かしてまともに動ける状態ではなかった。
「このままじゃアリスがやられる…………!」
その時のヒロキは冴えていたが、同時に常識破りでもあった。
ヒロキは矢野と一緒に敵との距離感を測りとろうとしていたシュルバの腕を少々強引に引っ張る。彼にその意志があったため、シュルバも声は勝手に出た。
「「疾風」」
次の瞬間、ヒロキは氷上を疾風のように走る。削れた氷がまるで砂煙のように舞っていた。
しかしヒロキとシュルバが疾風を発動したと同時に、賢人は音速を超えるエンジェルボウの一撃を放っていた。賢人の狙いは正確で、矢は一直線にアリスに向かっていた。
それは一瞬の出来事だった。
バチッと何かと何かが衝突するような音。矢の襲来に恐れて目を閉じていたアリスは恐る恐るその大きな目を開いた。
そこには胸からダラダラと血を流しながらアリスの前に立つヒロキの姿があった。彼の血が流れ出る部位には一筋の白い矢が突き刺さっている。刺さり具合からして、そこまで深くは刺さっていないようだ。
彼は強い眼差しで敵陣を睨み、息を切らせながらその場に仁王立ちしていた。
「ヒロキ…………なんで?」
ヒロキは胸に刺さった矢を引き抜き、捨てる。
「アリスは、アルタイルは死なないのに…………なんでアリスを庇ってくれたの?」
ヒロキは、迷うことなく答えた。
そしてその左腕は――――――。
アルトの時のように、周りに鉄の棒を浮かばせていた。
「死ぬとか死なないとかじゃねぇ…………アリスは俺が守る。たった今決めたんだ」
鉄の棒はヒロキの腕に吸収された。
「ヒロキも2つ目の能力を…………」
遠くからその様子を見ていたシュルバは、自分より先に能力を開放されたことに少し悔しさを覚えた。
「ヒロキ、自分の能力…………わかる?」
「あぁ。なんか頭ん中に能力を使った時の映像がバッチリと映ってるんだ。……そうだな」
ヒロキは人差し指を立て、宣言した。
「今目覚めた2つ目の能力、俺はこれを『弁慶』と名付ける」
ヒロキは日本史に残る英雄の名前を自らの力に借用した。そしてその名前は彼の能力にピッタリの名前だった。
「アリス。今言った通り、俺はお前を死ぬまで護る。だからお前は気にせず敵陣に突っ込め」
アリスの脳内には一瞬不安がよぎる。しかし、彼の自分を見る強く美しい目を信じ、アリスはサブマシンガンを手にした。
「うおおおおー!」
そう叫びながら自らを奮い立たせ、エンジェルボウ、及びロストチルドレンの恐怖に立ち向かうアリス。ロストチルドレンまでの距離は352.6m。遠いわけではないが、決して近い距離でもない。
「賢人様!迎え撃ちましょう」
「あぁ、そうだね。僕の顔が傷つく前にあの女を射殺そう」
賢人はエンジェルボウ、残りのロストチルドレンは普通の弓を握りしめ、その矢をアリスに向けて放った。音速を超えるエンジェルボウの一撃だけがいち早くアリスにたどり着き、残りの4本はそれより少し遅くアリスを襲う。
「お、おかしい!なぜだ!」
賢人は声を震わせた。
「矢は命中したはず…………なのになぜあの女は傷1つつかない!」
その通り、アリスには傷1つついていない。それどころか放った弓すら行方不明だ。
「なるほど、ヒロキは面白い能力を手に入れたねぇ」
矢野は体をぞくぞくと震わせる。
「愛の力は…………偉大だな………………」
柄でもなくレイナもそうつぶやく。
その2つの言葉は、両方とも船の上で傷だらけになっているヒロキに向けられた。
ヒロキの能力『弁慶』。
その効果は、アリスへの攻撃を全て肩代わりするというもの。
「賢人様!このままではあなたのお美しい顔にき――――」
ゴトン。
アリスはサブマシンガンによる一撃でロストチルドレンの1人を討ち取った。
いや、1人だけではない。賢人を除く全てのロストチルドレンは脳を蜂の巣にされてこの世を去った。
「こ、こうなったら!」
賢人は両手を前に突き出して、力を込めた。
「あの女だけでも僕の水の力で溺れさせれば…………!」
そう言って彼は海の水を操ろうと両手を強く伸ばす。それは彼がその行動に全力を尽くしていることを表している。
故に、今この瞬間賢人の死亡が確定した。
パンッ!
乾いた銃声と共に賢人は首筋に直径2cmの穴を開けた。
「あたったー!やったやった!」
ロストチルドレン賢人。
彼は800m離れたルカに狙撃され、船の床に血だまりを作った。
「あれ…………僕、まだ生きてる?」
賢人はうっすらと目を開けた。
「そうか…………ギリギリ死には至らなかったのか」
賢人は周りの様子を見渡す。アルタイルは勝利を分かち合い互いにハイタッチしている。今なら彼女らを殺せるが、彼にそんな強い精神は残っていなかった。
賢人は船を降りて氷の上に乗り、四つん這いになって氷に映る自分の顔をうっとりと眺めた。
「あぁ…………僕はなんて美しいんだろうか」
そんな台詞で自分の顔を褒める賢人の後ろに、ある影があった。
「ナルシストっていう言葉の語源になった神様は神話の中で湖だかに映る自分の顔に酔いしれて、そのまま溺れて死んでしまったそうな」
え………………。
賢人の頭はその声を理解できなかった。
「つまりどういうことかっていうとね」
賢人は振り返ることさえもできなかった。背後にいる女に、シュルバに恐れおののいたから。
「このまま自分に溺れて死になッ!」
シュルバは四つん這いになっていた賢人の頭を強く踏みつける。氷に叩きつけられた頭はメリメリと氷を砕いていき、最後には厚い氷を破り冷たい海面に入水した。
「がっ!ごぼぼっ!ごぼっ!」
もがき苦しむ賢人だったが、そんなもの、殺戮を楽しんでいる今のシュルバには通用しない。それどころか足はだんだんと力を増す。
「アハハハハッ!どうしたの?あんなに大好きな自分の顔に溺れてるんだよ?もっと喜びなよ♪」
賢人の目には自分の口からぶくぶくと溢れ出る二酸化炭素、そして先の見えないほど暗い海底しか映っていない。
あんなにも美しかった自分は今、とても醜いだろう。一瞬でも想像してしまった賢人の意識はゆっくりと薄れていった。




