5章29話『水代わりの術』
「ヴァルハラだね、わかった!」
アリスはシュルバの指示を受け、自分の船の操縦席の扉を開いた。
「船を動かす必要はないよ」
シュルバはアリスの方を見ないまま言った。
「え?でも……」
アリスの案ずる通り、今の船の配置だとヴァルハラのヴの字も無い。全員が思うがままにその位置にいるだけだった。にも関わらず、シュルバはその位置から動く必要はない、と言う。
「今ね、後ろの方ではレイナちゃんとルカちゃんが隣同士にいるの」
「う、うん」
「だからしばらく待てば…………ここは陸地になる」
そう言って、シュルバはまた空砲を放つ。
「うわっ……うるさいなぁ、僕の耳に傷でもついたらどうするんだい!」
賢人はその文句を言うためだけに、わざわざ何百mを渡りアルタイルの下まで行くと決意した。
「今のだ…………始めようか、ルカ…………」
それを聞いたレイナは隣のルカに促す。そしてルカは緊張と自信に満ちあふれた表情でレイナに頷く。
2人は手を取り合い、叫んだ。
「「氷結」」
その一言と同時に、海中に無数の氷柱が生み出された。轟音を建てながら水中深くから現れる氷達は瞬く間にアルタイルの、及びロストチルドレンの船を囲い始めた。
「な、なんだこれは……氷?」
船の揺れを感じた賢人は窓から海の中を見て、すぐにその異変に気がついた。
そしてその数百m先にいたシュルバはポケットからあるものを取り出した。
「まさかこんなところで役に立つとはねぇ〜」
取り出したのはNaボムに使う用の塩、そのサンプルだった。
シュルバは塩が入ったビニール袋をひっくり返し、中の塩を一気に海にばら撒いた。
「足りないかな?コレ…………」
と、心配するシュルバだったが、そんなことはなかった。
海、氷柱、塩。それらはお互いを引き立て合い、陸地を生み出した。
正確には、陸地に近いものを。
一瞬の出来事……と言えるほどではないが、それが起きたのはとても早かった。
シュルバが塩を撒いた瞬間、その周りの海がメキメキと音を立てる。海はその表面に厚い空色の膜を作り出し、それはだんだんと広がっていった。
「うわぁあっ!な、なんだこれ!」
賢人は目を見開いて大声を上げた。いや、賢人だけではない。
「みっ見ろ!賢人様の周りに…………」
「そんな……ありえないだろ!」
「まさか……まさか海が凍るなんて!」
シュルバは自分の作戦通りに物事が進んでいることを嬉しく思い、ニヤリと笑った。
「海の温度は氷柱のおかげで0℃を下回っていた。そこに塩を入れて刺激を与えれば、あっという間に天然スケートリンクの完成♪」
シュルバはこれを狙っていたのだ。
ロストチルドレンはあくまで海上戦を仮定して準備をしていた。対してアルタイルはまさか海で戦う羽目になるとは思わず、地上戦の準備をしていた。この場合、不利なのは言うまでもなくアルタイル側だ。
ならば海上戦を地上戦に変えてしまえばいい。一見むちゃくちゃなことのようにも見えるが、彼女らにはそれがむちゃくちゃに見えない。
勝利のためなら、理想のためなら手段を選ばない。それがアルタイルというものだ。
「海を凍らせるから敵陣に突っ込めってか…………」
後方から様子を伺っていたヒロキは、凍りついた海面を凝視する。
彼はよく研いだ刀を鞘に納め、顔を上げて笑った。
「やってやるさコノヤロウ!」
ヒロキは足場の悪い氷の上を、踊るように美しく駆けた。
「ヒロキやる気だねぇ〜」
「ねー!アリス達も準備しないと」
「そだね、行こうか!」
2人は一度別れ、各々別の方向に走る。
前線から離れた場所に陣取り、前線を支援する形がヴァルハラの一部となったシュルバの役目だ。
「矢野さん、遅れてすいません!」
「いや、気にしなくていいよ。さ、私達もやろうか」
シュルバはアサルトライフルを矢野に渡し、自分も同じアサルトライフルを構えた。
「だめです賢人様、どんどん近づいて来ています!」
白い服に白いフードを被ったロストチルドレンが慌てた様子で賢人に伝える。
「そんな……このままじゃ僕に傷がつく!」
賢人はガタガタと震えながらヒロキの襲来に怯えていた。このままじゃ美しい自分に傷がついてしまう。頭の中を駆け巡るのは命の心配ではなく容姿の心配だった。
「そうだ!」
賢人は右手を前に突き出す。そして眉間に力を込め、指先に意識を集中させた。
次の瞬間、まだ凍っていなかった船の下から海水がじわじわと溢れ出る。
その水は氷の上を滑り、ヒロキの下までたどり着いた。
「うわっ!」
そしてヒロキは水に濡れた氷に足を取られ、バランスを崩す。
「よしっ!作戦通り!さすが僕!」
賢人は胸の前でガッツポーズをする。
しかし賢人のその作戦は全く持って成功とは言えなかった。
「け、賢人様!アルタイル、止まってません!」
ロストチルドレンは前方を指差す。
「なんだって!?」
賢人は今一度ヒロキを見た。
すると、ロストチルドレンの言った通りヒロキはバランスを崩しこそしたものの倒れるわけでもなく止まるわけでもなく、それどころか――――。
「それどころか、早くなっている!」
ヒロキは氷の上をサーフィンのような体制で滑っているのだ。それも何十mも。
更にその後ろに続くレイナとアリスも、ヒロキのように滑りながら移動してはいないが水の張った氷の上をいとも容易く駆け渡っている。
アルタイルは刻一刻と迫っていた。
「ダメだ……僕の顔に傷がつく!みんな!僕を守れ!」
「ハッ!」という声と共に3人のロストチルドレンが前に出た。彼らはエンジェルボウではない普通の弓を手にし、矢を放った。
「たかが弓矢ごときが俺に通用すると思うなよ!」
ヒロキは抜刀の勢いで飛んできた矢を全て弾き飛ばす。
「敵はナルシスト含めて4人…………いや、まだいるかも知れない」
シュルバは走りながらそうつぶやく。
「あぁ。まぁどちらにせよ、アンタは全員殺すって言うつもりなんだろ?」
矢野は困り顔で笑った。
シュルバもそれに返すようにギラリと歯を見せて狂気的に笑った。
ヒロキはついにロストチルドレンの乗る船にたどり着いた。焦りと恐怖で真っ青になる賢人の表情はなんとも間抜けで滑稽だ。
「よっしゃ、このまま突っ込むぜ!」
ヒロキは膝を深く曲げて力をため、それを一気に解放してロストチルドレンの船に飛び乗った。氷の上を滑っていたこともあり、ヒロキは空中で勢いを保ったままだ。
ヒロキはその勢いを殺すことなく体を回転させ、刀を大きく振り回す。壁となっていたロストチルドレンにはヒロキの行動に驚く程の余命はなく、脳が彼を認識する前に脳と胴体が接続を断った。
「う……うわああああ!!」
ゴロンと音を立てて転がるロストチルドレンだったもの達は開きっぱなしの目で賢人を見る。
「死んでもまだ……美しい僕の姿を見たいんだね…………」
四つん這いになりながら首だけとなった仲間に話しかける賢人。しかし、彼は下ばかり見て、上を全く気にしていなかった。
「次はテメェだ、ナルシスト」
首元に振り下ろされた同田貫・彼岸≪リリー≫は空気を切った音と、人ではないものを切った音の両方を鳴らした。
「これは…………」
先程まで賢人の形をしていたものは水となってバシャリとヒロキの足元に落ちた。
「なるほど……色々分かったぜ」
ヒロキは口から息を吸う。
「あのナルシストの能力は多分、『水を操る能力』だ」




