二日目
「皆……集まってくれてありがとう」
放課後。赤町美弥は近くにある公園に皆を呼び出した。
集まったのは、赤町美弥の他に、
山本武彦、館川典秀、堂本英俊、氷川彩音、森本智子、川本亜里沙。
皆、同じ座布高校の生徒だ。
他には別の学校に在籍している波布光と丘諸秀川がいる。
「重道さんはいないんだね」
「うん、バイトがあるから来れないんだって」
赤町がそう言うと、氷川がハァと溜息を付いた。
「来なくていいよ。あの人耳にピアスしてたりして、ちょっと怖かった」
「私も。ちょくちょく話しかけてきたから適当に相槌打ってたけど……」
「絶対女の子目的だったよね」
「まぁ、まぁ」
赤町は皆を宥めると、波布と丘諸に視線を向けた。
「波布さん、丘諸さん。ごめんね。遠くから……」
「いいえ、お気になさらずに」
「……」
波布は何事もないような声で返す。
丘諸はペコリと頭だけ下げ、何も言わなかった。
「ねぇ、それよりも早く始めましょうよ」
川本亜里沙が早く話し合いを始めるように急かす。
「う、うん。分かった。えっと……じゃあ……」
自然と進行役を買って出た赤町だったが、何から話せばいいのか分からない。
「では、いいでしょうか?」
すると、波布がスッと手を上げた。
「え……う、うん。何?波布さん」
「彼女が死んだというのは、間違いないのですか?」
波布の言葉に、皆がシンとなる。
「うん。本当だよ……」
赤町が目を伏せながら、ゆっくりと口を開いた。
「先生に言われたし、その後、全校集会があって説明されたからね」
「そうですか」
「本当、信じられないよ。どうして、ヤスが……どうして」
赤町の目から涙が流れる。そんな赤町を氷川が支える。
「ねぇ、それなんだけど……」
暗くなった雰囲気を川本の発言が一変させた。
「死んだのって、あの沼に行ったことが原因じゃないの?」
再び場を沈黙が支配する。今度の沈黙は悲しみの沈黙ではない。
恐怖による沈黙だった。
「そ、そうとは限らないんじゃ……」
「そうかしら?」
森本の意見を川本はバッサリと斬る。
「だって、おかしいじゃない?あの沼に行ってからたった二日で死ぬなんて。どう考えてもおかしいわ!」
「そ、それは……」
「彼女が亡くなった原因は何なのですか?」
「えっ?」
「彼女が亡くなった原因です。誰か、聞いていませんか?」
混乱しかけた場が、波布の冷静な声によってほんの僅かだが落ち着きを取り戻した。
「えっと、確か……心臓麻痺だって言ってたよ」
涙を拭きながら赤町が答える。
「心臓麻痺ですか」
「そう。寝てる最中に心臓麻痺で亡くなったんだろうって、先生が言ってた」
「うん」
「全校集会の時、校長も言ってた」
皆が口々に赤町に同意する。
「死亡時刻は何時頃でしょう?」
「えっ?」
「彼女が亡くなった時間です。何時頃か分かりますか?」
「分からない。先生もそこまでは言ってなかった」
「あっ、俺分かる」
堂本英俊がスッと手を上げた。
「午前三時頃だってさ」
「えっ、ど、どうして知ってるの?」
「俺の担任が言ってた。あいつの傍でスマートフォンが見付かったんだけど、それが午前三時ちょうどで止まってたんだって」
堂本の言葉に赤町が驚く。
「え、うちの先生。そんなこと言ってなかったけど」
「此処に来る前に、ちょっと聞いてみた。そしたら教えてくれた」
その教師は生徒から色々と聞かれ、つい口を滑らせてしまったのだろう。
警察から教えられたことを、そのまま堂本に伝えたのだ。
「担任の話じゃ警察は、苦しんだあいつが助けを呼ぼうとしてスマートフォンを掴んだけど、操作を間違えて時間を止めたんだろうって考えてるらしいぜ。だから、あいつが死んだのも、多分それくらいの時間だろうってさ」
「……なるほど」
波布は口元に手を当て、何かを考える。
「ほら、やっぱりおかしいって!」
またしても、川本が声を荒げた。
「だって心臓麻痺って、年寄りがなるものでしょ?高校生が心臓麻痺だなんてどう考えてもおかしいよ!」
「た、確かに……」
高校生である彼らは、自分や友達が心臓麻痺で死ぬなどと考えた事すらない。彼らにとって、心臓の病気は年寄り特有の病気なのだ。
「いや、そうとは限らない」
その時、一人の男が話に割り込んできた。
館川典秀。彼の親は病院を経営している。
「若い人間でも不摂生や睡眠不足、ストレスを抱えていれば心筋梗塞になることだってある。健康な人間でも何らかの衝撃を受けて心臓の動きが止まる『心臓震盪』になることだってある。心臓麻痺は決して、年を取った人間がなるものだとは限らない」
館川は続ける。
「僕は彼女が死んだ事と、あの沼で起きた事とを簡単に結び付けるのは早計だと思うよ」
館川の発言によって、皆の空気が変わる。少し安堵した雰囲気が流れた。
「そうでしょうか?」
その緩んだ空気を波布の声が切り裂く。
「私には彼女が亡くなった原因は、あの沼での出来事が関係していると思います」
皆の視線が、一気に波布に集中する。
「ど、どうして?波布さん!」
赤町が波布に問う。
「あの声が言っていた事と、今回の彼女の死亡の状況が酷似しているからです。もしかしたら彼女は、あの沼にいた者に命を奪われたのかもしれません」
皆が目を丸くして波布を見る。
「波布さん、分かったの?あの声がなんて言っていたのか!」
「はい」
波布はあっさり頷く。
「教えて、あの声はなんて言っていたの?」
懇願する赤町に波布は答える。
「あの声はこう言っていまた」
『ぬしらのねがいたしかにきいたにえになりしものきゅうのうちのとらのこくしょこくにくらうとおののちねがいかなえしものきまる』
波布はあの声が言っていたことを、一言一句間違わず復唱した。
「よ、よく覚えてたね」
皆が波布の驚異的な記憶力に唖然とする。
「でも、どういう意味だか……」
「文章に区切りがなく、抑揚もないため分かりにくいですが、恐らくあの声はこう言っていたと思われます」
波布はスマートフォンに文字を入力して、それを皆に見せた。
『主らの願い確かに聞いた。贄になりし者、九の内の寅の刻初刻に喰らう。十の後、願い叶えし者決まる』
「えっと……これって」
「どういう意味?」
ほとんどの者が意味が分からず首を傾げる。波布は「此処を見てください」とある一文を指さした。
それは『寅の刻初刻』という文字。
「寅の刻?」
「寅の刻とは、現代の午前三時から午前五時に当たります。初刻とはその時間の初め。つまり、『寅の刻初刻』とは……」
波布は指を三本立てる。
「午前三時のことです」
波布の説明を聞いて皆の背中に冷たいものが走った。
午前三時。それはまさしく彼女が亡くなった時間だ。
「ちょっ、ちょっと待って!それじゃあ、ヤスは……」
「はい、あの沼にいるという『トウカの怪物』に殺された可能性があります」
「そ、そんな!」
森本が叫ぶ。
「なんで『トウカの怪物』があの子を殺すの?『トウカの怪物』って願いを叶える存在じゃないの?」
「『トウカの怪物』はこう言っています『主らの願い確かに聞いた』と。そしてさらに『贄になりし者』を『寅の刻初刻』に『喰らう』と言っています。つまり『トウカの怪物』は単に願いを叶える者ではなく……」
「願いを叶える代わりに、生贄の命を奪う怪物だった」
今日、いや、あの日の晩から見ても丘諸が声を出したのはこれが初めてだった。
***
「生……贄?」
その言葉に、皆が絶句する。
「う、嘘だよ!だ、だって、SNSじゃあ、そんなこと一言も……」
「人から人へと話が伝わる内に、その話が変化することはよくあります。もしかしたら『トウカの怪物』に関する話も間違って広まったのかもしれません」
「そ、そんな……」
赤町はヨロヨロと後ずさる。
「『生贄を差し出す代わりに願いを叶える』。そういった者は、古今東西数多く語り継がれています。もしも『トウカの怪物』もそのような者達と同じ存在なのだとしたら……」
「ちょ、ちょっと待って!」
突然、氷川が大声で叫んだ。
「た、確か、『トウカの怪物』が叶えてくれる願いって一人だけだったよね?」
「う、うん」
「じゃ、じゃあさ……」
氷川は一瞬息を止め、唾をゴクリと飲み込む。それから、恐る恐る口を開いた。
「願いを叶えてもらえなかった残りの人達って……どうなるの?」
氷川の言葉に皆がハッとなる。
「そ、それは……」
「生贄になるんだろうね」
誰もが言葉に詰まる中、丘諸がなんの抵抗もなくあっさり答えた。丘諸は親指の爪をガジガジと噛みながら、さらに続ける。
「『贄になりし者、九の内の寅の刻初刻に喰らう。十の後、願い叶えし者決まる』だったよね?九とか十って数字は多分、日の事だと思う。九日後だとか、十日後って意味だ。つまりさ、あの怪物はこう言ってるんだよ……」
丘諸はニヤァと嫌な笑みを浮かべる。
「『九日で願いを叶える人間以外を全員殺す。そして、十日後。生き残った最後の一人の願いを叶える』ってね」
丘諸の言葉を聞いた皆の顔から血の気が引く。
「な、何?それじゃあ、私達が一人になるまで、死人が出続けるっていうの?」
「そうだよ。そう言ってるじゃない」
丘諸はさらに不気味な笑みを深めた。
「お前!いい加減にしろよ!」
堂本が丘諸の胸ぐらを掴む。
「さっきから、ニヤニヤしやがって気持ち悪いんだよ!」
「ふっ、ふふふ。ふへへへへ」
「て、てめぇ、何がおかしい?」
「ぼ、僕はずっと会いたかったんだ!」
丘諸は唾をまき散らしながら喚く。
「こ、子供の頃から憧れてた。こんな人智を超えた超常的な存在に。でも、ずっと会えなかった。怪物がいるって噂があるところには何度も行った。でも、会えなかった、何度も会おうとしたけどダメだった……でも!」
丘諸の顔がパアアと輝く。
「ようやく会えた!初めて会えたんだ。いや、正確には姿を見たわけじゃないから……初めて聞こえたんだ!超常的な存在の声が!」」
丘諸は目をランランと輝かせる。
「僕はもう満足だ。いつ死んだって構いやしない。むしろ超常的な存在の生贄になるなんて光栄の極みさ!皆はそう思わないのかい?」
「てめぇ!」
堂本が丘諸を殴る。堂本の鋭い一撃に、丘諸は一発で倒れた。
だが、その不気味な笑みが消えることはない。
「皆はさ。どうしてあの沼が『トウカの沼』って呼ばれてるか知ってる?」
地面に倒れながら、丘諸は皆に問う。誰も答えない。
そんな皆の様子を見て、丘諸は満足げに頷いた。
「名前の由来には諸説あるけど、その中の一つにこういうのがある。『トウカの沼』は元々『十日の沼』だったって」
「『十日の沼』?」
「そう、『十日の沼』。それがいつしか訛って『トウカの沼』になったって説だ」
「は、初めて聞いた」
赤町が驚き、目を見開く。
「じゃ、じゃあ、どうして『十日の沼』なんて呼ばれてたのか?それは、この沼に願った事は十日後に叶うからなんだってさ。でも必ず、その願い事が叶う間に他の誰かが死ぬんだって……」
「じゃ、じゃあ……本当に?」
「ああ、きっとそうさ……」
丘諸はまたしても、ニヤアアと嫌な笑みを浮かべる。
「『トウカの怪物』は生贄を殺し続ける。最後の一人になるまでね」
***
「ケッ」
送られてきたメッセージを見て重道利通は舌打ちをした。
メールは赤町から送られてきたもので、内容は『トウカの沼』について書かれていた。
「何が生贄だ。くだらねぇ」
重道はスマートフォンを放ると、ベッドに横になった。
「あーあ、せっかく可愛い女と知り合うチャンスだったのにな」
重道は元々、願いを叶えるという『トウカの怪物』など信じてはいなかった。ただ、こういうイベントには必ず女が参加しているだろうと思い、自らも参加したのだ。
重道が目論んだ通り、女は何人もいた。だが、いくら声を掛けても重道が相手にされることはなかった。
「チッ、くそが……」
悪態をつきながら、重道は目を閉じる。
あの日、起きた出来事には確かに驚いた。しかし、冷静に考えてみれば怪物そのものの姿を見たわけではない。ただ単に声を聞いただけだ。
きっと、あの声は誰かが音声を流していただけだろう。
水しぶきが上がったのは、何かのトリックで、服がすぐに乾いたのもそういう薬品か何かを使ったからに違いない。
「バカバカしい」
人が一人死んでいるのに、重道には悲しんだり恐怖に怯えるという感情はない。
ただ、次はどうやって女をものにするか。それだけを考えていた。
重道はそのまま眠りに落ちる。深い眠りへと。
「う、うううん?」
夜。重道は寝苦しさを感じていた。
「……暑い」
今まで感じた事の暑さだった。重道の眠りは深い。一度起きたらなかなか起きることはない。そんな。重道でも思わず目の覚める暑さだった。
いや、これは“暑い”というよりも……
「熱い?」
重道はゆっくりと目を開けた。最初に目に飛び込んできたのは白い風景だった。
「何だ?」
まるで霧のように辺りが白く覆われている。
次に聞こえたのはパチパチという音。そして、嫌な臭い。
そして、この異様な熱さ。
重道は理解した。
「も、燃えてる!」
重道の部屋は、パチパチという音をたて燃えていた。
「な、何で!?」
重道はパニックとなる。だが、そんな重道に構うことなく火は燃え広がっていく。
(に、逃げなければ!)」
重道は急いでベットから飛び起きた。しかし、既に煙が部屋中に充満している。全く前が見えない。
「くそっ!」
重道は手探りで部屋の外へ逃げようとする。だが、その時。重道の足から突然、力が抜けた。
「なっ!」
重道はその場にへたり込む。立とうと思っても立てない。
気分が悪く、激しい頭痛と吐き気がする。
「く、苦しい!」
立つことが出来ない以上、最早、部屋のドアまで行くことは出来ない。息が出来ない重道は床を這いながら、ベッド近くの窓の方に向かう。
なんとか窓またでどり着いた重道は、窓に手を掛けると、勢いよく全開にした。
新鮮な外の空気が、勢いよく部屋の中に入ってくる。
その瞬間、炎が一気に燃え上がり、重道に襲い掛かった。
「ああああ!」
炎に包まれた重道は、窓の外に放り出された。地面を転がり消そうとするが逆に炎は、どんどん大きくなる。
「がやあああああ!」
重道はその場に倒れた。
「あ……たす……た……あ」
助けを呼ぼうとするが、喉が焼かれ声が出ない。
炎は、動けなくなった重道の体を隅から隅まで燃やしていく。
それは、まるで獲物を喰らう怪物のようだった。
―残り九人―