ハッピー・ハロウィン
「ああっ、くそ!」
その日、俺は家で一人、酒を飲んでいた。
「くそっ!」
最近は嫌なことばかりだ。派遣切りに遭って職を失うし、それを彼女に話したらあっさり振られるし……。
とにかく良いことが一つもない。酒を飲まないとやってられない。
「何か面白いことねぇかなぁ」
誰もいない部屋で、俺はボソリと呟く。
ピンポーン。
そんな時、チャイムが鳴った。
(誰だ?)
俺は玄関に向かい、ドアを開ける。
「……誰?うわっ!」
ドアの前にいた奴を見て、俺は思わず叫び声を上げた。
そこにいたのは、子供だった。背丈が一メートルくらいしかない小さな子供。
俺が何故、単なる子供を見て叫んだのかというと、その子供が奇妙な格好をしていたからだ。
その子供は黒いマントで全身で覆い、頭に大きなカボチャの被り物をしていた。
カボチャは目と鼻と口にあたる部分がくり抜かれており、まるで、笑っているかのようだ。
カボチャの被り物をした子供は、ゆっくり俺に手を出しこう言った。
「トリック・オア・トリート」
(ああ、そうか……)
俺は玄関先に飾ってあるカレンダーを見た。やっぱりそうだ。
今日は、ハロウィンか。
ハロウィン。
詳しくはないが、化け物の姿に仮装する祭りだ。毎年この時期、色んな所で化け物の姿に仮装した人間の姿を見ることができる。
確か外国では、化け物に仮装した子供が他人の家の前で『トリック・オア・トリート(お菓子かイタズラか)』と言って、お菓子をねだるのだ。
人の顔にくり抜かれたカボチャも、この季節にはよく見る。
「トリック・オア・トリート」
子供は、手を出してお菓子を求めてくる。俺は首を横に振った。
「悪いけど、お菓子はないんだよ」
俺はきっぱり断る。カボチャ頭が首を傾げた。
「トリック・オア・トリート」
子供はもう一度、同じことを言う。
「だから、ないんだよ」
「トリック・オア・トリート」
「いや、だから……」
「トリック・オア・トリート」
何度も同じことを繰り返す子供に、俺はカチンときた。
「しつこいな!ないって言ってるだろ!」
俺は子供の手を振り払うと、ドアを勢いよく閉めた。
「ったく!」
大人げないかとも思ったが、俺は今、とてもイラついている。
子供の遊びに付き合う必要はない。
「飲みなおすか……」
俺はリビングへ戻ろうと、振り返る。
「トリック・オア・トリート」
「なっ!」
驚きのあまり、後ずさる。背中にドアが当たった。
「お、お前、どうやって!?」
ドアを閉めた時、此奴は確かに外にいた。どうやって中に入ったんだ?
「トリック・オア・トリート」
子供は手を差出しながら、近づいてくる。俺は恐怖のあまり、腰が抜けてその場に座りこんだ。
「ひっ、く、来るな!」
「トリック・オア・トリート」
「こ、来ないでくれ!」
俺は、力いっぱい叫ぶ。
「お菓子はないんだ!」
子供の動きがピタリと止まった。
「お菓子ないの?」
子供は初めて「トリック・オア・トリート」以外の言葉を口にした。
俺は慌てて頷く。
「そ、そうだ。お菓子は此処にはない。だ、だから……もう帰って……」
そこまで言って、俺はハッとなった。
「トリック・オア・トリート(お菓子かイタズラか)」
お菓子をあげた場合、相手は何もせず立ち去る。
じゃあ、もしお菓子をあげなかったら?
「キャハ」
甲高い声でカボチャの頭が笑った。
「えっ?」
その時、俺は気付いた。
カボチャ頭が笑った時、口の部分が大きく歪んだことに。そして、カボチャ頭の目の部分がギョロリと動いたことに。
「ひいい!」
そう、俺は気付いてしまった。
カボチャの頭が被り物などではないことに。
目の前にいる子供の頭は、本当にカボチャの形をしていたのだ。
「キャハハハハハハハ」
カボチャ頭の子供は甲高い声で笑いながら、俺に近づいてくる。
「やめろ、来るな、来るなああああ!」
パニックになる俺を見て、カボチャ頭の子供は楽しそうな声でこう言った。
「ハッピー・ハロウィン」
***
カボチャ頭の「それ」がいつ生まれたのか誰も知らない。
カボチャ頭の「それ」の正体を誰も知らない。
カボチャ頭の「それ」は、毎年10月31日に現れ「トリック・オア・トリート(お菓子かイタズラか)」と言いながら、家々を訪ねる。
お菓子を渡せば、カボチャ頭の「それ」は相手にお返しをする。
お菓子を渡さなければ、カボチャ頭の「それ」は相手に「イタズラ」をする。
「キャハハハハハハハ!」
お菓子を渡してくれなかった男に「イタズラ」をし終えたカボチャ頭の「それ」は、次の家に向かった。
ピンポーンとチャイムを鳴らし、この家の人間が出て来るのを待つ。
しばらくすると、ドアが開き、この家の人間が顔を出した。
「はぁい」
「トリック・オア・トリート」
「え?」
この家の人間は、カボチャ頭の「それ」を見て、驚いたような顔をする。
「トリック・オア・トリート」
カボチャ頭の「それ」がもう一度繰り返すと、この家の人間は「ああっ」と言って頷いた。
「そうか、今日は……ちょっと、待ってて!」
人間が家の奥に消える。だが直ぐに、また戻ってきた。
「はい、どうぞ」
人間はニコリとほほ笑みながら、カボチャ頭の「それ」に袋に入ったスナック菓子を渡した。
「ごめんね。それしかなくて……」
人間が申し訳なさそう顔をする。カボチャ頭の「それ」はフルフルと首を振った。
「ありがとう」
カボチャ頭の「それ」が礼を言う。
「お菓子のお礼に、これ、あげる」
「えっ?」
カボチャ頭の「それ」が渡してきたのは、近日公開される『恐竜展』のチケットだった。しかも、二枚もある。
「これ……」
「あげる」
「い、いいの?」
「うん」
「ありがとう」
人間は、ニコリとほほ笑み、礼を言った。カボチャ頭の「それ」も楽しそうに「キャハ」と笑う。
「じゃあね。『雨牛梅雨』」
キャハハハハハハハと甲高い笑い声を上げながら、カボチャ頭の「それ」は走り去った。
「今の子……なんで僕の名前を知ってるんだ?」
雨牛は不思議そうに首を傾げると、手に持っている『恐竜展』のチケットを見た。
ちょうど行きたいと思っていたので、このプレゼントはとても嬉しい。
(一人で行ってもいいけど、チケットは二枚あるからなぁ……誰か誘うか)
そう思った雨牛の脳裏に、一人の少女が思い浮かんだ。
雨牛は、少し顔を紅くしながら、ポリポリと頬を掻く。
「ま、まぁ、日ごろ世話になってるし……」
雨牛はスマートフォンをポケットから取り出すと、頭に浮かんだ相手に電話を掛けた。
「もしもし、波布さん?」
***
カボチャ頭の「それ」は、家の前に来ると玄関のチャイムを鳴らした。
「はい」
出てきたのは女だった。女はカボチャ頭の「それ」の姿を見て怪訝そうに眉根を寄せる。
「トリック・オア・トリート」
カボチャ頭の「それ」が手を差し出すと、女は直ぐに今日が何の日かを察したようで、「少し待ってて」と言い残し、家の中に消えた。
「これしかないけど……いいかな?」
女は透明な袋を持ってきた。その中には、赤い色をした丸い塊がいくつも入っている。
女はニヤアと笑いながら、特殊な材料で作られたお菓子をカボチャ頭の「それ」に渡した。
「ありがとう」
「いいえ」
「お菓子のお礼に、良いこと教えてあげる」
「うん?何?」
「今度来る仕事、断らない方がいいよ」
「え?」
「そうすれば、夢が叶うから」
女が目を見開く。
「それはどういう……」
その時、女のスマートフォンが鳴った。女の視線が一瞬、スマートフォンに落ちる。顔を上げた時、いつの間にか子供は消えていた。
「じゃあね。『管二春』」
キャハハハハハハハ。
どこからか甲高い笑い声が聞こえた。
「……」
管二はスマートフォンの画面を見る。画面にはマネージャの名前が書いてあった。
「はい」
「新しい仕事の依頼が来ました」
「どんな仕事?」
「教師ものです」
「教師ものか……」
教師ものは共演者が多いので、人間関係が面倒だ。管二は断ろうか少し悩む。
だが、先程の子供の言葉を思い出し、考えを変えた。
「いいよ。引き受けて」
「分かりました」
「よろしく」
そう言って、管二は通話を切った。
(夢が叶う……か)
ニヤアと管二は笑う。
「さて、食事の続きをしようかな」
管二はもう一度、そのまま家に戻るり、バタンとドアを閉めた。
***
「こ、これしかないけど……い、いい?」
家に尋ねてきたカボチャ頭の「それ」に、その女子高生はクッキーの入った小さな容器を渡した。
「うん、ありがとう」
カボチャ頭の「それ」は女子高生に礼を言う。しかし、女子高生はビクッと震え、カボチャ頭の「それ」から目を逸らした。女子高生は全身を小刻みにブルブルと震わせている。
女子高生が震えている原因は、カボチャ頭の「それ」が化け物の格好をしているからだけではない。
女子高生は、以前の学校での出来事がトラウマとなり、極度の対人恐怖症となっていた。
前は明るい性格をしていたが、今はその面影もない。新しい学校では、友人はおろか、話す相手すらいない。
「も、もういいかな?」
女子高生はオズオズとカボチャ頭の「それ」に尋ねる。たまたま両親がいなかったので、対応したが、本当は一刻も早く自分の部屋に戻りたかった。
カボチャ頭の「それ」が「キャハ」と笑う。
「お菓子をくれたお礼に、良いこと教えてあげる」
「え?」
カボチャ頭の「それ」は、女子高生を指さした。
「君、もうすぐ死ぬよ」
「……は?」
「君、もうすぐ死ぬよ」
「な、何言って……」
「死ぬまでの時間を楽しく過ごしてね」
キャハハハハハハハ。
カボチャ頭の「それ」は楽しそうに笑う。
「じゃあね。『栗鼠山兎』」
そう言い残すと、カボチャ頭の「それ」は凄まじいスピードで走り出した。
「ま、待っ……!」
栗鼠山が呼び止めよとするが、もう既にカボチャ頭の「それ」の姿はどこにもなかった。
「し、死ぬ?私が……?」
栗鼠山はその場に蹲った。
普通の人間でも『もうすぐ、死ぬ』と言われれば、気になるし、恐怖を感じるだろう。今の栗鼠山は、深い心理的トラウマを負っている上に、かつてあった『力』を失っている。
感じる恐怖は、常人のものと比べ物にならない。
「助けて……」
栗鼠山はポツリと呟く。
「助けて、雨牛君……」
***
キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。
カボチャ頭の「それ」が新たな家に舞い降りた。カボチャ頭の「それ」は玄関にあるインターフォンを押す。
「はい」
家の中から声が聞こえた。ガチャリとドアが開く。
「トリッ……」
ガブッ。
家の中から出てきたのは、人間ではなかった。家の中から出てきたのは、巨大な『白い大蛇』だった。『白い大蛇』はカボチャ頭の「それ」に噛み付くと、アッという間に巨大な胴体で締め上げる。
「ギャアアアア!」
カボチャ頭の「それ」が悲鳴を上げる。『白い大蛇』はさらに強くカボチャ頭の「それ」を締め付けた。
「今夜はハロウィンですから、人ではない『何か』が尋ねてくるかもしれないとは思っていました」
家の中から一人の少女が出て来た。少女は静かな目で『白い大蛇』に締め上げられているカボチャ頭の「それ」を見る。
カボチャ頭の「それ」を締め上げている『白い大蛇』は、その少女の体の中から出ていた。
「グギギギギギギ」
カボチャ頭の「それ」は自分を締め上げる『白い大蛇』の胴体の隙間から、腕を出した。カボチャ頭の「それ」は、その手を波布に向かって差し出す。
「トリック・オア・トリート」
『白い大蛇』に締め上げられながらも、カボチャ頭の「それ」はキャハッハハハと楽しそうに笑う。
「……」
波布は少し考えた後、ポケットから飴玉を取りだし、カボチャ頭の「それ」の手の上に置いた。
「あり……が……とう」
カボチャの口がニイイイイと笑う。
「お礼に……いいこと……教えて……あげる」
「……なんでしょう?」
カボチャ頭の「それ」は波布に向かって首を伸ばした。
「大切な人を救いたかったら……人の頼みを断らないで……ね」
ガブッ。
『白い大蛇』がカボチャ頭に噛み付いた。『白い大蛇』は、ゆっくりとカボチャ頭の「それ」を飲み込んでいく。
「じゃあね。『波布光』」
キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。
甲高い笑い声が、周囲に響く。その声は波布にしか聞こえない。
キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。
甲高い笑い声は『白い大蛇』がカボチャ頭の「それ」を完全に飲み込むまで続いた。
***
「……」
カボチャ頭の『奇妙な生物』が『シロちゃん』に完全に飲み込まれるのを見届けると、波布は家の中に戻ろうとした。
すると、スマートフォンから着信音が鳴った。画面を見た波布は、即座に電話に出る。
『もしもし、波布さん?』
「はい、雨牛君」
『今、大丈夫?』
「はい、勿論です。雨牛君より優先する用事などありません」
『そ、そう……』
「どうかしましたか?」
『えっとね。実はさっき、今度博物館でやる“恐竜展”のチ……』
「喜んで、ご一緒させていただきます」
『……あ、相変わらず、波布さんは凄いね』
「ありがとうございます」
『そ、それで、どうかな?今度の休日とか……』
「勿論、大丈夫です。雨牛君とのデート、楽しみにしています」
『デ、デート……』
「デートではないのですか?」
『えっと、まぁ、うん……』
「雨牛君、顔が赤いですよ」
『なっ!そ、そんなことないよ!』
「とても、可愛いです」
『うっ!じゃ、じゃあ。また今度ね!』
「はい。ところで、雨牛君」
『何?』
「そのチケットですが、どなたに貰ったのですか?」
『ああ、さっき、家にカボチャの被り物を被った子供が来たんだ。その子に貰ったんだよ』
「……」
『きっと、ハロウィンの仮装だね。お菓子を上げたら、お礼にってくれたんだよ』
「……そうですか」
『波不さん?どうかした?』
「いいえ、では、デート楽しみにしてますね」
『うっ、あっ、う、うん』
「では、また」
『……うん、またね』
電話の先にいる顔を紅くした雨牛を想像しながら、波布は通話を切った。
「どうやら、一匹ではないようですね」
波布はポツリと呟く。
『トリック・オア・トリート』
と、あの『奇妙な生物』は言っていた。雨牛は、あの『奇妙な生物』にお菓子をあげたからお礼にチケットをもらった。だが、もし、お菓子をあげなかったらどうなっていたのか……。
「来年のハロウィンはカボチャ狩りをしないといけませんね」
波布は家の中に入ると、バタンとドアを閉めた。
***
「トリック・オア・トリート」
「えっ?お菓子ないの?」
「キャハ」
「キャハハハハハハハ」
「キャハハハハハハハ」
「キャハハハハハハハ」
「キャハハハハハハハ」
「キャハハハハハハハ」
「キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ。キャハハハハハハハ」
「ハッピー・ハロウィン」




