⑧
思わぬ訪問者に、菅二は驚いた。
波布光。菅二が排除しようとしていた相手が何故か家の前にいた。獲物が自分から捕食者の巣を訪れたのだ。
(どうして、此処に?)
管二は、雨牛のいる場所に目をやる。
(まさか、彼が此処にいることが分かったのか?)
いや、ありえない。
管二は、細心の注意を払って雨牛を攫った。周囲に人影はなかったし、防犯カメラもなかった。目撃者はいないし、物証も残していない。
気付かれるはずがない。その証拠に警察も来ていない。いくらなんでも、警察より早く気が付くはずがない。
気が付くはずが……。
どうする?ドアを開け、中に招き入れるか?
それとも居留守を使い、会うのを避けた方がいいのか?
此処で始末するか、それとも後で始末するか……。
菅二は悩む。
ピンポーン、ピンポーン。
菅二が悩んでいる間にも、玄関のチャイムは押され続けた。
ピンポーン。
『菅二さん、私です。波布光です』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてくれませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、お話があります』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてくれませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、お話ししたいことが』
ピンポーン。
『菅二さん、お疲れでしたら済みません。お話ししたいことがあります』
ピンポーン。
『菅二さん、開けていただけると嬉しいです』
ピンポーン。
『菅二さん、話を聞いていただけませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、話を聞いて下さい』
ピンポーン。
『菅二さん、話をしたいです』
ピンポーン。
『菅二さん、少しだけお時間を割いていただくことはできませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、お話をさせていただくわけにはいきませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてくださると助かります』
ピンポーン。
『菅二さん、お話があります』
ピンポーン。
『菅二さん、ほんの少しだけお時間を取らせてください』
ピンポーン。
『菅二さん、お話したいことがあります』
ピンポーン。
『菅二さん、開けていただけませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、少しだけ、お時間をいただけませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、話を聞いてくださると、とても嬉しいです』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、話を聞いてくださるだけでいいです』
ピンポーン。
『菅二さん、開けていただいてもよろしいですか?』
ピンポーン。
『菅二さん、話を聞いてください』
ピンポーン。
『菅二さん、お休み中でしたら申し訳ありませんが、出てきて頂きたいです』
ピンポーン。
『菅二さん、もう寝てしまいましたか?』
ピンポーン。
『菅二さん、まだ起きてますよね?』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、話があります』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、少しばかり、お時間をいただけませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、開けていただけると嬉しいです』
ピンポーン。
『菅二さん、話がしたいです』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、話を聞いてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてくれませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、お話があります』
ピンポーン。
『菅二さん、開けていただけませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、お話があります』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、お話ししたいです』
ピンポーン。
『菅二さん、開けていただけると嬉しいです』
ピンポーン。
『菅二さん、話を聞いてください』
ピンポーン。
『菅二さん、少しだけで良いのです』
ピンポーン。
『菅二さん、話がしたいです』
ピンポーン。
『菅二さん、ほんの少しだけ、お時間をください』
ピンポーン。
『菅二さん、お話をさせていただくわけにはいきませんか?』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてくださると助かります』
ピンポーン。
『菅二さん、話があります』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、お話をさせてください』
ピンポーン。
『菅二さん、お時間は取らせません』
ピンポーン。
『菅二さん、開けていただけると嬉しいです』
ピンポーン。
『菅二さん、話がしたいです』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けてください』
ピンポーン。
『菅二さん、開けて……』
(しつこいな……)
まるで借金の取り立てのような……いや、それ以上のしつこさだ。
菅二の動物的な勘が告げる「ドアを開けない方がよい」と。
(でも……)
ドアを開けなければ、それは、それで困ったことになるかもしれない。
これだけ、チャイムを押すということは、もしかしたら波布は、菅二が家の中にいることを確信している可能性がある。
そういえば、先程から波布は『開けてください』、『話があります』とは言ってはいるが、『いないんですか?』とか『留守ですか?』という言葉を使っていない。
もし、家にいることを確信した上で、これだけチャイムを鳴らしているのだとしたら……。
ピンポーン。
『菅二さん、もしかして具合でも悪いのですか?』
ピンポーン。
『菅二さん、もしかして……倒れていたりしていますか?』
ピンポーン。
『菅二さん、救急車呼びましょうか?』
ピンポーン。
『菅二さん、警察呼びましょうか?』
(やはり、そうくるか……)
菅二は確信する。
やはり、波布は菅二が家の中にいると確信している。心配している風を装ってはいるが、あれは間違いなく、菅二に対する脅しだ。
波布は、言っているのだ『ドアを開けなければ、警察を呼ぶ』と。
警察を呼ばれるのは少し、まずい。
勝手に家の中に入って来るとは、考えにくいが、万が一ドアを開けられ、家の中を調べられたら彼が見付かってしまう。それに『あれ』も発見されてしまう。
警察に、彼と『あれ』が発見されたら、今まで通りの生活を送ることは出来なくなるだろう。
(……仕方がない)
管二はドアホンについている受話器を取った。
『管二さん、開け……』
「今、開けます。少しお待ちください」
管二は、玄関のドアを開ける。そこには、直立不動で立つ少女がいた。
「今晩は、管二さん」
「今晩は、波布さん」
一方は微笑を浮かべて、もう一方は無表情で挨拶を交わした。
‘ ***
「申し訳ありません。すぐに出られなくて」
菅二は、にこやかに笑う。体の中に渦巻く凄まじい殺意を隠して。
「いえ、構いません」
波布は首を左右に振る。菅二はじっと波布を観察するが、その表情は全く動かない。完全な無表情。何を考えているのか分からない。
「それで?今日は何のご用で?」
「はい、此処に来た目的は二つありまして……」
波布はポケットからUSBメモリを取り出し、管二に差し出した。
「一つ目は、これです」
「これは?」
「新作を書いたら、読ませて欲しいと言っていましたよね?ですので、持ってきました」
「えっ?」
「まだ、本にはなっていませんが、この中には、新作の原稿が入っています」
管二は、波布の手からUSBメモリを受け取る。
「これは、いつ書かれたんですか?」
「昨日です」
「昨日?」
「はい、急いで書き上げました」
(一日で、本になるような量の文章を書いた?)
菅二は少しだけ眉根を上げるが、直ぐに表情を笑顔に戻す。
「そうですか……ありがとうございます」
管二は、USBメモリをそっと握りしめた。
「要件は二つあると言いましたよね?それで、もう一つのご用は?」
菅二の問いに波布は、無表情で答える。
「雨牛君がいなくなりました」
菅二はキョトンとした顔で、聞き返す。
「雨牛さん?……確か、波布さんの彼氏でしたっけ?」
「はい、そうです。私の大切な人です」
波布の表情が、揺らいだように菅二には見えた。しかし、それは勘違いかもしれないと思える程、一瞬の事だった。
「そのことについて、話したいので、中に入れてもらってもいいでしょうか?」
「えっ?」
「お願いします」
菅二の顔をじっと、見てくる波布の目からは、何の感情も読み取れない。
「……分かりました」
菅二は、ドアを大きく開けた。
「どうぞ」
大きく開くドアは、まるで巨大な魔物の口のようだった。ドアを潜れば、魔物の体内に入ることになる。
「ありがとうございます」
礼を言うと、波布は躊躇することなく、魔物の体内に自ら入った。波布と菅二の姿が中に消える。
巨大な魔物の口がバタンと閉じられた。
‘ ***
波布を家の中に招いた菅二は、リビングまで彼女を案内すると、テーブルに収めれていた椅子を引いた。テーブルも椅子も新車が買える程、高価なものだ。
「どうぞ、お掛け下さい」
「はい」
波布は勧められるままに、椅子に座る。
「今、お茶を用意しますね」
「いえ、お構いなく」
「波布さんは、お客様ですから」
菅二は、数分でお茶を用意すると、波布の前に置いた。お茶も百グラム、数万円は下らない高級な葉を使っている。お茶を入れている湯呑も高価だ
「どうぞ」
「ありがとうございます」
波布はお茶に口を付けることなく、礼を言う。菅二は波布の対面の椅子に腰を下ろした。
「お話を聞く前に、こちらからも一つよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「どうやって、私の家の場所を知ったのですか?」
「……」
波布は、お茶の入ったコップを眺める。湯呑の中で、お茶が湯気を立てながらユラユラと揺れている。
「ある方に教えていただきました」
「誰ですか?」
「申し訳ありません。言えません」
「何故?」
「それが、貴方の家の場所を教えていただく条件でしたので……」
「……そうですか。分かりました」
おそらく、テレビの仕事に関わるの誰かから聞いたのだろう。それしか、考えられない。
だが、普通知っていたとしても、有名人の家の場所を他人に教えるテレビ関係者はいない。そんなことをすれば、あっという間に問題になり、テレビの世界にいられなくなる。
どうやったのかは知らないが、波布はテレビの仕事をしている人間から、菅二の家の場所を聞き出したのだ。
波布を始末した後で、そいつも必ず始末しよう。と心の中で菅二は決めた。
「それで?雨牛さんがいなくなったとのことですが……」
「はい、五日前から行方不明です」
「そうなのですか……それは、心配ですね」
菅二は波布に、偽りの同情を向ける。
「でも、それでどうして、私の所に?」
菅二は何も知らず、戸惑う人間を演じる。それは、完璧な演技だった。
リアクションは大き過ぎず、小さ過ぎず。相手を心配する素振りを見せながら、何故、波布が此処に来たのか分からない。という不安な素振りも見せる。
普通の人間なら、彼女が雨牛を誘拐した犯人だとは夢にも思わないだろう。
普通の人間なら……。
「雨牛君がいなくなってから、数日の間に起きた出来事と言えば、貴方と結城さんが学校に来たことです。ですので、何か知っているのでは……と」
「私が?」
菅二は目を大きくして、驚く……演技をする。
「ええ、貴方が」
「申し訳ありませんが、私は何も知りません」
菅二は、首を横に振る。
「そうですか……」
波布は少し視線を下げる。菅二は、いかにも波布を心配しているという顔をして話し掛けた。
「あの、もしかしたら雨牛君は、家出したのでは……」
「雨牛君とご両親の仲はとても良好です。家出をする理由がありません。それに、雨牛君は、とても優しい人です。彼は、ご両親を悲しませることはしません」
「家出ではないとするなら……まさか、誘拐!?」
「私は、そう考えています」
「そんな……」
「しかし、金銭目的ではありません」
「どういうことですか?」
「営利目的の誘拐だとしたら、もっと小さな子供か女性を狙うでしょう。男子高校生の雨牛君を狙うとは考えにくいです。身代金の要求も未だ来ていませんし」
「お金が目的じゃない……だとしたら、どうして雨牛さんは誘拐されたのですか?」
「人間を誘拐する目的はいくつかあります。一つは、金銭目的。二つ目は恨み。相手に何らかの恨みを持ち、それを晴らすための誘拐です。私は、雨牛君を恨んでいる人物に心当たりがあります」
「誰ですか?」
「結城明さんです」
「結城さんが?どうして?」
「実は、私、彼に告白されたのです」
「告白……?」
「貴方と結城さんが学校に来た日、結城さんに『付き合って欲しい』と告白されました。もちろん、断りましたけど」
「そう……なんですか」
「あまり、驚いていませんね?」
「結城さんの女癖の悪さは、有名ですから。私も声を掛けられましたし……」
「そうですか」
波布は、あまり関心がなさそうな相槌を打つ。
「私は結城さんからの告白を断りましたが、結城さんはどうやら、諦めてくれなかったようです。雨牛君さえ、いなくなれば私を手に入れられると、本気で結城さんは考えていたようなのです」
「まさか……そんな!」
「結城さんが行方不明なのは、ご存知ですか?」
「はい……でも、どうしてそれを?」
「貴方の家の場所を教えてくださった方から聞きました。」
結城明がいなくなったことは、限られた者しか知らない。波布に菅二の家の場所を教えた人間は、そんなことまで話したのか。
「結城さんが行方不明になったのは五日前、雨牛君がいなくなった時期と一致します」
「ま、待ってください!まさか、波布さんは結城さんが雨牛さんを誘拐したと思っているのですか?」
菅二の表情に混乱と動揺が浮かぶ。
しかし、心の中では、菅二は笑っていた。
波布は、結城を疑っている。最初は、自分のことを疑って、此処に来たのかと思ったが、どうやら杞憂だったよう……。
「いいえ、そうとは限りません」
「えっ?」
波布の思わぬ言葉に、菅二は驚く。
「先程、私は、人が人を誘拐する理由を二つ挙げました。ですが、実はもう一つ人が人を誘拐する理由があります」
「……なんですか!?」
波布は一拍置き、ゆっくりと口を開く。
「恋慕による誘拐です」
「……恋慕」
「恋をした相手を自分だけの物にしたい。相手を独占したい。そんな想いが行き過ぎた結果、相手を誘拐し、監禁することがあります」
「……」
「雨牛君は、素敵な人です。彼を自分だけの物にしたいと思う人間は大勢いるしょう。そんな人間に狙われ、誘拐された可能性があります」
冷たい視線が菅二に向く。
「菅二さん」
「はい」
波布は、体温を感じさせない声で菅二に言った。
「貴方は、雨牛君に恋をしていますね?」
静寂が辺りを包む。
菅二が入れたお茶はすっかり冷めていた。




