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蛇はどこまでも追いかけてくる  作者: カエル
新種
56/73

 とある部屋にあるベッド。そこに、雨牛は寝かされていた。


「う……ん?」

 ゆっくり目を覚ました雨牛の目に最初に飛び込んできたものは、見覚えのない天井だった。明らかに自分の部屋ではない。


(此処は……どこだ?)

 目覚めたばかりで頭が上手く働かない。雨牛はとりあえず起き上がろうとするが……。

(えっ?)

 雨牛は動くことが出来なかった。起き上がろうとするが、起き上がれない。

(か、体が……動かない?)

 そこで初めて、雨牛は自分の両手両足がベットの柵にロープで縛り付けられていることに気付いた。

(な、なんだ!?)

 雨牛は手足を動かすが、ロープが皮膚に食い込むだけで、解ける気配はない。

(くそ、何なんだよ?)

 暴れるのを一旦やめ、雨牛は周囲を見渡す。

 部屋の中は、かなり広い。

 見知らぬ家具に、大きな鏡台。ドアは一つで、窓はあるが赤いカーテンで閉じられていた。香水だろうか?部屋の中に甘い匂いが満ちている。

(一体……此処は?)

 

 その時、部屋のドアが開く音がした。誰かが中に入ってくる。

 

 雨牛は、ドアの方に視線を向けた。しかし、角度が悪く、よく見えない。


「だ、誰ですか?」

 雨牛が話し掛けると、その人物は、ゆっくりと雨牛が寝ているベッドに近づいてきた。

「え?」

 その人物の全身が見えた時、雨牛は驚き、目を丸くした。呟くように、その人物の名を口にする。


「管二……さん?」


 雨牛に名前を呼ばれた管二春は、「ニヤァ」と口元を歪ませた。


               ***


 今から、三日前。

 結城に呼び出された波布が戻ってくるのを待っていた雨牛の元に、一人の女性が現れた。


「雨牛様……ですね?」

「はい、そうですけど……?」

「私、管二のマネージャーをやっております白坂と言います」

「管二さんの?」

「雨牛さん。少し、よろしいですか?管二が会いたいと申しています」

「えっ、管二さんが僕に?」

 雨牛は一気に不安に襲われた。

 やはり、先程の体育館での事を怒っているのだろうか?

 テレビカメラも入っていたのに、こんなよく分からない男子高校生の話をずっと聞かされていたのだから怒るのも無理ないのかもしれない。

 だとしたら非はこちらにある。きちんと謝罪するべきだ。だが……。

「今、人を待っているのですが……」

「お願いします。管二がどうしてもお会いしたいと言っておりまして……」

「そうですか……」

 雨牛は少し考えたが、結局、行くことにした。

「……分かりました。行きます」

「ありがとうございます。それと、申し訳ありませんがもう一つお願いがあります」

「なんでしょう?」

「雨牛様の恋人であります波布様には、このことは内密にお願いします」

「えっ、どうしてですか?」

「管二が波布様には知られたくない……とのことで」

「そうなんですか……」

 体育館での様子を見る限り、管二は波布のファンだ。先程の事で雨牛を責めれば、波布に嫌われてしまうと考えているのかもしれない。

「分かりました。波布さんには言いません」

「重ね重ねありがとうございます。では、管二の元に案内します。こちらへ」

 歩き出した白坂の後ろに雨牛は続く。

(さて、どうしよう?)

 白坂に付いて行く途中、雨牛は波布へのメッセージをどうするか考えていた。

 波布が戻って来た時、雨牛の姿がなければ、彼女は心配するだろう。メッセージは必ず残さなければならないが、管二のことを秘密にする以上、本当のことは書けない。

(うーん)

 迷った末、雨牛は『用事を思い出したので、今日は帰ります。ごめんなさい』

というメッセージを波布に送った。


「こちらです」

 雨牛が案内されたのは、駐車場に止めてある一台の車の前だった。

 車には全く詳しくない雨牛だったが、この車が高級車であることは分かる。車体は真っ黒で、車の先端には何かのエンブレムがついていた。車の窓は黒いマジックミラーとなっており、外からは決して中が見えないようになっている。

 白坂が後部座席のドアを開けた。すると中から声がした。


「ようこそ、雨牛君」


 車の中にいた管二春はニコリと笑い、雨牛を手招きした。


「し、失礼します」

 雨牛が車に入り、管二の隣に座ると、ドアがバタンと閉められた。

 正直、本当に管二が自分を呼んでいるのか、半信半疑だった雨牛だが、隣にいるのは紛れもなく、管二春本人に間違いなかった。

 車の中で有名若手女優と二人きりという、ありえないシチュシチュエーションに雨牛は緊張して何も話せない。

「……」

 何も言えず俯く雨牛を見て、管二春はクスリと笑った。

「わざわざ、ごめんね」

「い、いえ……」

 体育館の壇上で話した時よりも崩れた口調で管二は雨牛に話し掛ける。元々、管二の方が年上なので特に気にはならない。

「あの……それで、僕に何のご用でしょうか?」

 雨牛は恐る恐る尋ねる。そんな雨牛を見て、管二はまたクスリと笑った。

「大丈夫。怖がらなくていいよ。何も責めるつもりはないから」

「え、そうなんですか?」

 意外な言葉に雨牛はキョトンとする。

「体育館で失礼な態度を取ってしまったので、てっきり怒られるのかと……」

「はははははっ、そんなことしないよ。君は何もしてないじゃない!」

「そ、そうですか?そう言ってもらえると……」

 雨牛はホッと胸を撫で下ろす。

「でも、それなら……」

 叱責の他に、管二に呼び出された理由が思いつかない雨牛は、不思議そうに首を傾げた。

「……ねぇ、雨牛君」

「は、はい!」

「年上ってどう思う?」

「えっ?」

 突然の質問。意味を測り兼ね、雨牛は聞き返す。

「どう……とは?」

「年上を恋人にすることについて、どう思う?」

「年上を恋人に……ですか?」

「そう、君は年上を恋愛対象として見れる?」

「……ええ、まぁ。相手を好きになるのに年齢は関係ないと思うので」

 質問の意図は分からないが、雨牛はとりあえず自分の考えを述べた。

「そう、よかった!」

 管二はパァと明るくなる。ますます、意味が分からない。

「あの、一体……えっ?」

 雨牛は、驚き固まる。菅二がそっと手を伸ばし、雨牛の頬に触れてきたのだ。

「雨牛君」

「は、はい!」

「私と付き合って」

「………………はい?」


「私と付き合って」


 菅二は、自然な動作で雨牛の唇に自分の唇を重ねた。


「んんっ!?」

 突然の口付けに雨牛は狼狽する。菅二は雨牛に覆い被さる様に抱き付き、さらに唇を密着させた。

「んっ、んっ、んんっ」

「んんんんんっ!?」

 菅二は強引に雨牛の口を開けると、自分の舌を滑り込ませた。菅二の舌はまるで獲物を仕留める蛇のように雨牛の舌に絡みつく。

「んんんっ……や、やめて……やめてください!」

 雨牛は菅二の肩を掴み、引き離す。

「な、何をするんですか!」

「ふふっ、可愛い」

 菅二は雨牛の太ももに手を置いた。雨牛の全身がビクリと震える。

「ねぇ、いいでしょ?」

 菅二は、雨牛の太ももを擦り始める。

「私と付き合ってよ」

「やめてください!」

 雨牛は菅二の手を払いのけ、怒鳴りつける。

「一体、何のつもりなですか!いい加減に……」

「君が好きなの」

「え?」

「私、君のことが好きになっちゃったの。だから、私と付き合って」

「な、何を言ってるんですか!僕達、今日初めて会って……」

「一目惚れだよ。一目見て、君を気に入ったんだ」

 そう言うと、菅二はまた抱きついてきた。雨牛は慌てて、菅二を引き剥がす。

「やめてください!」

「どうして?」

「どうしてって……」

「私の事嫌い?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「なら、いいじゃない。ね?」

 菅二は潤んだ目で雨牛を見つめ、甘い言葉を囁く。その姿は、テレビで見るより何倍も妖艶で艶めかしい。

 雨牛はそんな菅二に、思わず見惚れてしまう。

(だ、ダメだ。このまま流されたら……)

 雨牛は目をギュッと閉じる。すると、脳裏に一人の少女が浮かんだ。とっさに、雨牛は頭に浮かんだ少女に縋り付く。


「ぼ、僕には波布さんっていう彼女がいるんです。だ、だから、ダメです!」


 体育館で波布は雨牛のことを自分の彼氏だと言った。

 だから、菅二は雨牛と波布が恋人同士だと思っているはずだ。

「……」

 菅二は俯き黙り込む。雨牛は諦めてくれたかと、ほっと息を吐いた。だが、菅二が顔を上げた時、雨牛の背筋がゾクリと凍った。


 菅二春は、「ニヤァ」と口元を歪ませていた。


「ふさわしくない」

「えっ?」

「あいつは君にはふさわしくない」


 菅二は雨牛の右手を両手で包むと、自分の口元に寄せた。

「あんな奴、君にふさわしくないよ」

 波布のことを「あいつ」呼ばわりする菅二。雨牛は自分の耳を疑った。

「あ、貴方は、波布さんのファンじゃなかったんですか?」

「ファン?」

「だ、だって、波布さんに会いたいって言ってたし、波布さんの本を読んで、新作を楽しみにしてるって……」

「あいつに会ってみたかったのは本当だよ。でも、ファンってわけじゃない」

 菅二は雨牛の右手に頬刷りをしながら、本心を語る。

「あいつの書いた本は、知り合いに勧められて読んだんだ。でも、全然面白くなった」

「面白くなかった?」

 菅二の言葉に、雨牛は衝撃を受けた。

「で、でも体育館では……」

「私は『読んだ』って言ったけど『面白かった』とは一言も言ってないよ」

「……」

「勧められて読んでみたけど、私には、あれがどうして面白いって言われているのか不思議でならなかった。あんなにつまらない本をどうして、人間達は絶賛するんだろうって……」

「……人間達?」

 菅二の奇妙な言い方に、雨牛は疑問符を浮かべる。

「私にあの本を勧めた人間は、作者がとても綺麗だって言ってた。それで、興味を持ったんだけど、実際に会ってみてガッカリ。確かに、綺麗だったけど私に遠く及ばないんだもの」

 最初に波布を見た時、菅二春と結城明は固まっていた。

 結城は、波布の美しさに固まったのだろが、菅二は波布の美しさが期待外れで、拍子抜けしていたのだ。

「……」

 雨牛は息を飲む。ここまで、波布のことを悪く言う者に雨牛は初めて出会った。

 普通の人間が、波布のことを悪く言えば、多くの人間に避難されるだろう。ましてや、波布のことを自分より綺麗じゃない、などと言えば「何様だ」と責められるのは目に見えて明らかだ。


 だが、菅二春は別だ。


 菅二春。彼女の美しさは、波布に引けを取らない。

 波布光と菅二春。どちらが綺麗かと尋ねられれば、きっと意見は二等分されるだろう。


 彼女なら、波布を批判する資格がある。そんな雰囲気を菅二は持っていた。


「だから、あんな女とは別れて、私と付き合ってよ。私の方があんな女よりも綺麗だし、それに……」

 菅二は口元に寄せていた雨牛の右手を自分の胸部に移動させる。

「胸だって、きっとあの女より大きい」

 そう言うと、菅二は雨牛の右手を自分の胸に押し付けた。雨牛の右手が菅二の大きな胸を潰す。

「ちょ、ちょっと!」

「ねぇ、どう?私の胸とあいつの胸、どっちが大きい?」

 菅二は自分の胸に押し付けている雨牛の右手を動かす。雨牛の右手が動くと、それに合わせて菅二の胸の形も変わる。右手を通じて雨牛の脳に何度も電流が走った。

 これ以上は、もうダメだ。そう思った雨牛は菅二の体を手加減なく、思いっきり突き飛ばした。


「やめてください!」


 菅二の体が大きく仰け反る。

「ぼ、僕には波布さんがいます!申し訳ありませんが、貴方とは付き合うことは出来ません!」

 雨牛は車のドアを開け、外に出た。後ろから菅二が声を掛ける。

「ねぇ、雨牛君」

 動きを止めた雨牛に、菅二はこう言った。

「このこと、波布さんには言わない方がいいよ。きっと彼女、ショックを受けるから」

「……」

 雨牛は何も答えず、そのまま走り去った。

 走り去る雨牛の後姿を見送りながら、菅二は呟く。


「絶対に逃がさない。君は私のもの……やっと見つけた私の相手」


 菅二春は、「ニヤァ」と口元を歪ませた。


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