④
何故、生物は物を食べるのか。
生物が物を食べる理由は主に二つある。
一つ目は活動するためのエネルギーを得るためだ。
車が動くためにガソリンが必要なように、家電が動くために電気が必要なように、物が動くためにはエネルギーがいる。
それは、生物も同じだ。
生物は、食事により取り込んだ食べた物と呼吸により取り込んだ酸素を使って、熱を生み出している。この熱が生物が活動するためのエネルギーとなる。
特に恒温動物は、体温を一定に保つために、常に物を食べ続けなければならない。
二つ目の理由は、体の材料にするためだ。
子供は成長するに体の材料となる栄養の摂取が必須であり、大人も古くなった細胞を新しくするために、体の材料となる栄養を外部から取り込む必要がある。
骨を作るためには、カルシウムが必要だ。。
赤血球の中のヘモグロビンを作るためには、鉄分が必要だ。
そして、筋肉を作るためにはタンパク質が必要となる。
***
「くそ!」
スマートフォンを見ながら、赤坂は頭を掻く。何度もメッセージを送っているが、全く返信がない。
「一体、どこに……」
「今晩は、赤坂隼人さん」
「え?」
突然、声を掛けられた赤坂はスマートフォンから視線を上げる。
赤坂の目の前には、見覚えのある少女が立っていた。少女は、なにやら大きな鞄を持っている。
「私のことを覚えていますか?」
「う、うん。もちろん。波布さん……だよね?」
「はい、そうです」
「ど、どうしたの?」
「赤坂さんにお話があるのですが、少しよろしいでしょうか?」
「……お、俺に?」
赤坂は、警戒するような目で波布を見る。
「ご、ごめん。悪いけど、今、忙し……」
「立ち話もなんですから、そこのファミレスに入りましょう」
波布はそのまま歩き出す。赤坂は困惑しながらも。その後に続いた。一瞬、逃げようかとも思ったが、やめておいた。
何故か、この子からは逃げられない。そんな気がしたからだ。
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
「二名で」
「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」
店員に案内されたのは、一番奥の角の席だった。波布はステーキを注文し、赤坂はコーヒーを注文した。
「それで?俺に何の用?」
「雨牛君」
「……えっ?」
「雨牛君です……私の恋人の。私を覚えているのなら、彼のことも覚えていますよね?」
「えっ、あ、う、うん、まぁ……ね」
「五日ほど前になります。雨牛君と全く連絡が取れなくなりました」
「……え」
固まる赤坂に、波布は淡々と告げた。
「雨牛君は、現在行方不明です」
「……まさか」
赤坂の顔が一気に青ざめる。
「け、警察には?」
「もちろん既に雨牛君のご両親が捜索願を出しています」
「そ、そう……」
「ですが、私は警察に任せる気はありません。私自身で雨牛君を探しています」
「な、何で?」
「日本の行方不明者の数は年間数万人にも及びます。警察は、犯罪者の捜査で手一杯。彼らが真剣に雨牛君の捜査をするのかどうか、疑問です」
「で、でも……」
「高校生が失踪することは珍しいことではありません。単なる家出と処理されてしまうこともあるでしょう。実際、雨牛君のご両親も警察に家出の可能性はないか聞かれたそうです」
「ほ、本当に家出なのかも……」
「その可能性は低いです。家出をすれば、ご両親が悲しむことは、雨牛君なら分かります。雨牛君はご両親が悲しむことはしません」
「家出じゃないなら、彼はどこに?」
「誘拐です」
「……ゆ、誘拐!?」
「はい、私は雨牛君が誘拐された……と考えています」
赤坂はゴクリと唾を飲み込む。
「だ、誰が?」
「それは、貴方が知っているのでは?」
「えっ?」
「単刀直入に聞きます」
波布は赤坂の目をじっと見る。
「赤坂さん。雨牛君は、今、どこにいますか?」
赤坂はガタンと椅子を引いた。
「な、何で俺が……!し、知るわけないだろ!」
「いいえ、貴方は知っています。少なくとも心当たりがあるはずです」
「ど、どうして?」
「雨牛君がいなくなった話を始めてから、貴方の呼吸は荒くなり、目は泳いでいます。さらに、膝の上で拳を握っていますね?それも何かを隠している証拠です」
赤坂は、ハッとなる。確かに膝の上で拳を握っていた。完全に無意識だった。どうして、テーブルの陰になっているのに膝の上で拳を握っていることが分かったのだろう?
「……くっ!」
赤坂の目の動きがますます、せわしなくなる。波布は畳み掛けた。
「教えてください。貴方が知っていることを」
「し、知らない。俺は何も知らない!」
赤坂は勢いよく席を立つ。額からは大量の汗が流れていた。
「へ、変なことを言わないでくれ!俺は忙しいんだ。これ以上妙なことを言うのなら、もう帰……」
「赤坂さん。今、給料はどれぐらいですか?」
「……はっ?」
「俳優は活躍すればするほど、基本的に給料は上がっていきます。しかし、マネージャーはどうなのですか?スケジュール管理や仕事探し、依頼への対応、俳優や共演者への機嫌取り……有名俳優のマネージャーにふさわしい、満足する給料を貴方はもらっていますか?」
「……そ、それは」
赤坂は波布から視線を逸らす。それは、赤坂が決して現状に満足していないということを表していた。
「何か教えてくださるなら、これを差し上げます」
波布は鞄を開けると、その中の物を掴み、ドンとテーブルの上に置いた。
「えっ!?」
赤坂は目を見開く。テーブルに置かれた物……それは『札束』だった。
一万円札が何枚も重ねられており、それが帯でまとめている。
「百万円あります。これで、知っていることを教えてください」
「こ、この金……どうしたの?」
「私が稼いだお金です。これでも私、お金持ちなんです」
波布は自慢するでもなく淡々と話す。赤坂はまた唾をゴクリと飲み込んだ。普通、少女がこんな大金を出したら、どこからか盗んできたと思うだろう。
しかし、赤坂はこの少女が普通でないことを知っている。この少女は本まで出している天才なのだ。これくらいの金を稼いでいたとしても不思議ではない。
しかし、赤坂は口を紡ぐ。
「お、俺は何も知らない!」
「そうですか」
波布は頷くと、また鞄に手を入れた。ドサッとまたテーブルに札束が積まれる。
「では、二百万払います」
「……ッ!」
「足りませんか?では、もう一束。まだ足りませんか?でも、もう一束……」
波布はどんどん、鞄から札束を取りだし、赤坂の目の前に積んでいく。赤坂は目で札束を数えた。
(に、二千万!?)
赤坂の目は、完全に札束に固定されている。
「教えてくだされば、これは全て貴方の物です」
「あっ……あっ」
赤坂は札束に手を伸ばしかけた。
実は赤坂には借金がある。赤坂はマネージャーの傍ら、小さな劇団の団長もやっている。しかし、客の入りが少なく、借金だけが増えていく状態だった。
借金は事務所にも内緒なので、赤坂は誰にも相談できずにいた。
二千万あれば、借金を全額返せる上に、当面の資金にも困らない。
「……ッ」
だが、赤坂は口を閉じる。これほどの金を積まれても赤坂は話すことが出来ずにいた。
「……そうですか、残念です」
波布は札束を一つ掴むと、鞄の中に入れた。
「えっ?」
「何も話せないようでしたら、このお金はお渡しできません。他に有力な証言をされた方にお渡します」
波布はヒョイヒョイと札束を鞄の中に戻していく。全ての札束を鞄に入れると、波布はスッと立ち上がった。
「では、私は急ぎますのでこれで。ああ、私が注文したステーキは食べてくださって構いません。お代は私が払っておきますので」
波布はそのまま、店を出ようとする。
「まっ、待って!待ってくれ!」
「はい?」
「……は、話す」
赤坂は、観念したように項垂れる。
「全部……話すよ」
波布はもう一度席に座ると、札束の入った鞄ごと赤坂に渡した。赤坂は恐る恐る鞄を受け取る。
「では、貴方が知っていることを教えてください。くれぐれも正直に、嘘はなしでお願いします」
「あ、ああ。分かってる」
赤坂はテーブルに置いてあるコップを掴むと、勢いよく口の中に水を流し込み、喉を潤した。
「雨牛君を誘拐したのは、もしかしたら……」
赤坂は、二千万が入っている鞄をギュッと抱く。
「結城かもしれない」
***
赤坂は、決壊したダムのように結城のことを話し始めた。
女癖の悪さや、自分のことを優れた遺伝子を持つ選ばれた人間だと思っていること。そして、波布のことを気に入り、自分の子供を産ませようとしていることなどを正直に話した。
「……」
赤坂の話を波布は無言で聞き続ける。
「結城は言ってた。邪魔する人間は排除するって。君を自分の物にしたい結城にとって、一番邪魔なのは、君の彼氏だ。だから、もしかして、結城は……」
「やはり、そうですか」
最終的に受け取ったとはいえ、最初、赤坂は札束を前にしても、何も言おうとしなかった。赤坂がそこまでして、かばう相手は家族や親友……そして、結城しかいない。
「君は最初から、結城が彼を誘拐したかもって思ってたの?」
「はい。雨牛君が誘拐される前に起きた事といえば、結城さん達が学校に来たことぐらいですからね」
だから、波布は結城のマネージャーである赤坂に接触した。
普通の人間は有名俳優が誘拐事件を起こすなど、考えもしないだろう。しかし、波布にとって、雨牛以外の人間は全て同じだ。有名俳優も一般人も大差ない。
「それで、結城さんは今、どこに?」
「それが……連絡がつかないんだ」
「連絡がつかない?」
「うん、数日前から……」
「正確には何日前から?」
「……五日前から」
「雨牛君がいなくなった時期と一致しますね」
「……うん」
「警察には?」
「言ってない」
「何故ですか?」
「事務所の社長の命令。大騒ぎになるからしなくていいって」
「……」
「結城はこれまでも、フラッと、何日もどこかに行ってしまうことがあったんだ。どうせ今回もそれだから、警察には言わなくていいって社長が……」
「なるほど……」
波布は顎に手を当て、何かを考えている。
「すみません、赤坂さん」
「な、何?」
「もう一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
波布は、赤坂にあることを尋ねた。
「だ、ダメだよ。それは、教えられない!」
「どうしても……ですか?」
「う、うん」
赤坂は何度も頷く。すると波布はポケットから、ボールペンと紙切れを取り出した。そして紙切れに、ボールペンでスラスラと何やら記入する。
「教えてくだされば、これを差し上げます」
紙切れを見せられた赤坂は、思わず「ひっ!」と叫んだ。
波布が取り出した紙切れ、それは一枚の小切手だった。
その小切手には、三千万と記入されていた。
***
グチャグチャグチャ。
私はバラバラになった肉塊をさらに細かくする。この肉塊は、元は人間だ。
この人間は、あろうことか私の恋路を邪魔した。
だから、この人間は私に喰われることになった。
私はようやく、『新種』である私と混じり合うのにふさわしい遺伝子を持つ相手を見つけた。
しかし、私の相手となる人間には、既に別のパートナーがいた。
そのパートナーは、明らかに私よりも劣っていた。
私は、私の相手となるべき人間に『あいつは君にはふさわしくない』と言い、私を新しいパートナーにするように言った。
しかし、私の相手となるべき人間は、私の誘いを断った。
今のパートナーがいるから、私とは付き合えない……と。
私は、邪魔なそいつを排除することに決めた。
そうすれば、私の相手となるべき人間は、本来のパートナーである私の物になるはずだ。肉体だけでなく、心も私の物になるはずだ。
私は肉塊を細かくする。
怒りを晴らすために、そして、食欲を満たすために。




