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蛇はどこまでも追いかけてくる  作者: カエル
新種
54/73

「あ、波布さん。こっち、こっち!」

 波布の姿を見付けると、結城は嬉しそうに手招きをした。

 結城のマネージャーである赤坂が波布を案内したのは、古い倉庫の裏だった。この古い倉庫はあまり使われておらず、近寄る人間もほとんどいない。密会するには打ってつけの場所だ。

 この学校の卒業生である結城は、こういった人があまり寄り付かない場所をいくつか知っているのだろう。

「まだ、学校にいたのですか?」

「次の仕事までは時間があるからね。その前にどうしても、もう一度君に会っておきたかった」

「私に何のご用でしょうか?」

「またまた、分かってるんでしょ?」

 結城は波布の目と鼻の先まで近寄ると、甘い声で囁いた。


「俺と付き合って欲しい。いいだろ?」


 結城はフッと笑う。出演しているCMやドラマで見るような爽やかな笑み。それは、普通の女性なら一発で恋に落ちる魔性のほほ笑み。


 だが、波布は普通ではなかった。


「それは、先程お断りしたはずですが?」

 波布の顔はいつも通りの無表情で軽く首を傾げた。その顔に変化は全くない。

「……ッ!」

 結城は軽く歯ぎしりをしたが、直ぐにまた表情を笑みに戻す。

「俺と付き合えない理由って、あの雨牛って彼氏がいるからだよね?」

「はい、そうです」

「でも、あの男は君には釣り合ってない」

 結城がそう言うと、無表情だった波布の表情が微かに揺れた。


 波布の表情の変化に、結城は心の中で「おっ?」と思う。

(この女も、そう思っているのか?)

 もしかしたら、この女は、もうあの男に冷め始めているのではないか?と結城は思った。

 さっきは、あの男を愛しているということを言っていたが、あれはテレビを意識した言葉で、内心ではもう別れたいと思っているのではないか?

 仲の良いカップルが、実は破局寸前の状態だったという事例を結城はいくつも知っている。

 テレビカメラの前では、さも仲良く振る舞っているが、その数か月後に離婚したり破局したりということは、テレビ業界では珍しくない。


 この波布という女はスタイルが良く、結城が目を奪われるほどの美人だ。それに、聞いた話じゃとても頭が良いという。

 どう見ても、あの雨牛とかいう男とじゃ釣り合いが取れない。この女自身もそう思い始めているのだとしたら……。


  結城は「ニヤァ」と不気味に笑った。


「そうですか……釣り合っていませんか……」

 波布は軽く溜息を吐く。それを見た結城は笑みを深めた。

「そうだよ!釣り合ってない!」

「やはり、そうですか……」

 落ち込む波布を見て、結城は心の中でガッツポーズをした。今までの経験から、彼氏と別れた直後、もしくは別れようと考えている女が一番簡単に手に入る。

 ちょっと、傷付いた心を癒すような優しい言葉を掛けてやれば、直ぐに心を開くからだ。

 結城は早速、波布に優しく甘い言葉を掛けようとする。


 だが、波布はそんな結城の妄想を粉々にした。


「確かに、今の私では雨牛君にふさわしくないのかもしれません」


(はっ?)

 結城は開きかけていた口を閉じた。そんな結城に気付く様子もなく波布はさらに続ける。

「貴方の言う通り、雨牛君に私では不釣り合いないのかもしれません。しかし、私は必ず雨牛君に並んで歩けるような人間になるつもりです。いえ、必ずなります」

「あっ……は?」

 高らかに宣言する波布に、結城は混乱する。

「あ、あのさ」

「はい」

「釣り合わないって……君があの男に釣り合わないと思っているの?」

「はい、そうですが?」

「いやいや、逆でしょ!あの男の方が君に釣り合ってないじゃん?」

「はい?」

 波布は、心底理解できないという表情をしている。

「いや、俺言ったじゃん『あの男は君には釣り合ってない』って」

「ああ、あれは言い間違いですよね。貴方は『君はあの男に釣り合ってない』と言ったのですよね?」

 

 この女、マジか!?


 結城は驚愕する。この女は本気で、自分はあの男に釣り合っていないと思っている。だから、結城が言い間違いをしたと思ったのだ。

 自分があの男より上だとは、微塵も考えていない。

「いや、言い間違いじゃない。俺は、確かに『あの男は君には釣り合ってない』って言った」

「……」

「君は美人で頭が良くて学校でも有名人だ。それに比べて、あの雨牛って男は冴えない。良い所がまるで見えない。確かに性格は優しいのかもしれないけど、それだけだ。あの男にはそれだけしかない。子供の頃から色んな人間を見てきた俺には分かる!」

「……」

「だから、君はあんな男とは別れてもっと君にふさわしい男と付き合うべきなんだ。そう例えば、俺とか……」

「……すみません。少しいいですか?」

 波布は手を上げて、結城の話を遮る。

「ああ、うん、何?」

「もしかして、貴方、先程から……」

 波布は、結城と会ってから、初めて彼の目をまっすぐ見る。


「雨牛君を中傷しているのですか?」


「うっ!」

 結城は思わず後ずさった。そして、思い出す。以前、テレビ番組で出会った男のことを。


 その男は、オーラという人間が作り出す生命エネルギーが見えると豪語していた。

 その男曰く、オーラの形や色は人によって違うらしい。赤色だったりするし、黒色だったりする。人の姿をしていることもあるらしい。

 結城にはそういったものは見えない。だから、その男が言っていたことは全て嘘だと思っていた。


 だが今、初めて結城にもオーラが見た。波布の体から出ているオーラが。


 波布のオーラは……『白い大蛇』の形をしていた。


(な、なんだ?こいつ……)

 結城の頬から冷や汗が流れる。波布が一歩、結城に近づいた。


 こ、殺される!

 

「ご、ごめん!」

 本能的な恐怖を感じた結城は、反射的に謝罪をしていた。

「ちょっと、調子に乗り過ぎてた!ごめん、謝る!」

 結城は頭を下げる。波布は冷たく、温度の通っていない声を口から出した。

「謝罪をする相手が違います」

「えっ?」

「私ではなく、雨牛君に謝罪してください」

「い、いや……でも、此処には……」

「『雨牛君、すみませんでした』と言ってください」

「で、でも」

「早くしてください」

「……雨牛君、すみませんでした!」

 結城は、此処にいない雨牛に謝罪をする。もちろん、雨牛に此処での会話は聞こえていない。先程の結城の雨牛への中傷は伝わっていないし、謝罪も雨牛に伝わることはない。

 しかし、結城は雨牛に謝罪した。全身全霊を込めて。でないと……。

「……」

 謝罪する結城を、感情の通わない目でじっと見つめていた波布は、結城の耳元に口を寄せ、そっと囁いた。


「二度と雨牛君を悪く言わないでください。約束ですよ?」


 まるで壊れたおもちゃのように、結城は首を何度も上下動かす。

「わ、分かった。もう二度と言わない!」

 波布は氷のような冷たい視線を結城に向けていたが、やがて、興味を亡くしたかのように、クルリと踵を返した。

「では、私はこれで。雨牛君をお待たせしていますので」

 波布は「失礼します」と言って結城に軽く頭を下げると、その場から去った。早く、愛しい人の元に行きたいという軽やかな足取りで。


 一人残された結城は呆然とたたずむ。やがて、波布と入れ替わる様に、赤坂がやって来た。


「どうだった?」

「……」

「おい?」

「……」

「まさか……ダメだったのか?」

「……」

「そうか……ダメだったのか。お前を振る女がいるなんてな」

「……」

「まぁ、仕方がないさ。そういうときもある。さぁ、これから仕事だ。気持ちを切り替えて頑張……」


「見つけた」


「はっ?」

「見つけたぜ!」

 くっくっく。はっーはっはっ!

 結城は声高々に笑う。

「お、おい!」

 結城の様子がおかしい。生まれて初めて女に振られておかしくなったのか?

「だ、大丈夫……」

「初めてだ!女に……あんなに女に恐怖したのは生まれた初めてだ!惚れた。惚れた。惚れた。惚れた。惚れたぜえええええ!!」

「惚れたって……まさか、本気で……か?」

「ああ、もちろんだ!」

 赤坂は目を見開く。結城はこれまで数多くの女性と付き合ってきた。

 だが、『本気で惚れた』などと言ったことは一度もない。

「おい、俺は決めたぜ!」

「な、何を?」


「俺はあの女と子供を作る!」


 結城の言葉に赤坂は耳を疑う。

「はぁ?おま、今、なんて!?」

「あの女こそ、俺の優秀な遺伝子を残す器にふさわしい!いや、あの女しかいねぇ!」

 結城は両手を上げ、歓喜している。自分の遺伝子を残す器を出会えたことに。

「ばっ、お前、馬鹿なこと言うなよ!」

 赤坂は結城の肩に手を置く。

「そんなことできるわけないだろ?相手は高校生だぞ!?それに、そんな事ファンや事務所に知れたら……」

「うるせぇ!」

 

 結城は赤坂を殴りつけた。殴られた赤坂の鼻から血がドクドクと流れる。

 

「あが……」

「もう決めたんだよ。あの女には俺の子供を産んでもらう。無理やりにでも俺の物にしてやる!誰にも邪魔させねぇ!」

 そう、誰にも邪魔させない。誰にも……だ。


(あの女を俺の物にするのに今、一番邪魔な奴は……)


 その人間の顔を頭に思い浮かべ、結城は「ニヤァ」と不気味に笑った。


                  ***


 波布はウキウキしながら、雨牛といた場所に戻る。しかし、どこにも雨牛の姿はなかった。

「雨牛君?」

 波布は雨牛に連絡してみようとポケットからスマートフォンを取り出した。

 ちょうど、そのタイミングで、波布のスマートフォンに雨牛からのメッセージが届いた。


『用事を思い出したので、今日は帰ります。ごめんなさい』


 メッセージには、申し訳なさそうに謝るイラストが添えられていた。

「……」

 波布は雨牛に『気にしないでください。また、明日』と返信を送ると、そのまま無言で帰宅した。


                  ***


「おはようございます。雨牛君」


 次の日の朝、波布はいつものように、雨牛の家の前で彼が出てくるのを待ってい

た。

「おはよう。波布さん」

 雨牛もいつもと同じ挨拶を波布に返す。


 しかし、波布には分かった。雨牛の挨拶がいつもと違うことに。

「雨牛君、どうかしましたか?」

「えっ?」

「普段より挨拶の声が少し高かったので」

「そ、そう……なの?」

 雨牛は驚き、目を丸くする。普通、ささいな声の高さの違いなど、他人はおろか本人さえ気づかない。

「何かありましたか?」

「いや、別に……何もないよ」

「そう……ですか」

 波布は少し、視線を下げた。そんな波布の様子を見て、雨牛は慌てる。

「いや、ちょっと、あの、風邪気味なんだ。だから……」

「風邪!?」

 今度は波布が驚き、目を丸くした。

「雨牛君、今、体調が悪いのですか?」

「う、うん。まぁ……」

「……」

「えっ、波布さん?」

 波布は雨牛の額に自分の手をそっと当てた。

「三十六度五分……雨牛君の平熱ですね。よかった」

「えっ……手で分かるの?」

「はい、もちろん」

 波布はあっさりと答える。

「雨牛君の体温でしたら、手で触れれば簡単に分かります」

「そ、そう……なんだ」

「はい」

「あと、どうして僕の平熱を知って……」

「ひょっとして、昨日、先にお帰りになったのも、体調が悪かったからなのですか?」

 雨牛の質問は波布の質問で打ち消された。雨牛は諦めて、波布の質問に答える。

「う、うん。実は……そうなんだ」

 雨牛は両手を合わせて、波布に謝罪する。

「昨日は、ごめんね。先に帰っちゃって」

「いえ、大丈夫です。全く問題ありません。私よりも、ご自身の体調を優先してください」

「……うん。ありがとう」

「学校に行っても大丈夫ですか?」

「それは大丈夫」

「そうですか……熱はないようですが、これから酷くなる可能性もあります。くれぐれも無理をしないでください」

「うん、分かった。ありがとう」

「辛いようでしたら、今日一日中、雨牛君のお世話をしますから」

「う……ん、あ、ありがとう」

「なんでしたら、一生お世話をしても……」

「あ、もうこんな時間だ!」

 雨牛はわざとらしくスマートフォンで時間を確認する。

「い、急ごう!」

 そう言って、雨牛は歩く速度を上げた。波布は心配そうに、雨牛の後に続く。



 雨牛が行方不明になったのは、この日から三日後の事だった。


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