争いを止めるもの
「シャー!」
「ウガアアアアア!」
八つの頭と尾を持つ大蛇と人間のような蝶の争いは、この世のものとは思えないものだった。
蝶が大蛇の頭の一つを潰す。
大蛇が蝶の羽をむしる。
蝶が大蛇の首を刎ねる。
大蛇が蝶に毒液を掛ける。
蝶が大蛇の尾を切り飛ばす。
大蛇が蝶に牙を突き立てる。
蝶が竜巻を起こし、大蛇を吹き飛ばす。
大蛇が火を吐き、蝶を燃やす。
此処は夢の中、だからイメージさえすることが出来れば、なんでも出来る。火を吐くこともできるし、竜巻だって起こせる。
そして、どんなに傷付いてもすぐに元に戻る。
頭を切られようが、羽をむしられようが、毒液を吐きかけられようが、竜巻で飛ばされようが、火で焼かれようが、次の瞬間には元に戻る。
『シロちゃん』と違って、あの大蛇は波布さんがイメージして作ったものだ。だから、どんなに傷付いても死ぬことはない。
それは、胡蝶さんも同じだ。『夢を操る奇妙な生物』と一体化した胡蝶さんも夢の中で死ぬことはない。
いつ、決着がつくのかも分からない争いが続く。
二人が傷付け合う光景に耐えられず、僕は何度も叫んだ。
「波布さん、胡蝶さん、やめて!」
だけど、二人は争うことをやめない。二人とも僕を傷付けることがないようにしている。それでも、争いそのものをやめようとはしない。
僕は波布さんに詰め寄る。
「波布さん、もう、やめ……」
「それは、できません」
波布さんはきっぱりと拒否した。
「雨牛君の体は三日間も意識不明の状態です。これ以上、長く夢の中にいれば、現実の雨牛君の体がどうなるか分かりません」
大蛇の八つの頭が胡蝶さんに噛み付いた。大蛇は頭をそれぞれ、別の方向に胡蝶さんの体を引っ張る。胡蝶さんの体が、八つに引き裂かれた。
それでも、胡蝶さんの体はたちまち元に戻る。そして、すぐに争いが再開される。
「彼女を排除すれば、雨牛君が悲しむことも、苦しむことも分かっています。しかし……」
大蛇が鎌首を上げた。大蛇の八つの頭が同時に口を開く。
「私は雨牛君の命を優先します」
八つの口の中から、炎、雷、氷、毒、岩、蟲、剣、光が飛び出す。大蛇の口から放たれたものに巻かれ、胡蝶さんの体はバラバラになるが、あっという間に元に戻る。
「雨牛君が悲しむとしても、苦しむとしても、私は貴方の命を優先します」
「……波布さん」
波布さんの意思は固い。僕が何を言っても意見を変えることはないだろう。それを悟った僕は今度は胡蝶さんに呼び掛ける。
「胡蝶さん、やめ……」
「ダイジョウブダヨ」
胡蝶さんが羽を動かす。数センチの小さな玉が無数に舞った。小さな玉は全て大蛇の体に付く。
やがて、小さな玉の中から、無数の芋虫が生まれた。
「ワタシハ……マケナイ……ダカラ、マッテテ!」
小さな芋虫達が、大蛇の体を凄まじい勢いで喰っていく。
すると、大蛇の体が赤く燃え上がった。大蛇の体を喰っていた無数の芋虫も炎に巻かれ、ボトボトと落ちる。
芋虫が全て地面に落ちると大蛇を包んでいた炎が消えた。喰い荒らされていた大蛇の体はすっかり元に戻っている。
「ガアアアアアア!」
胡蝶さんは再び大蛇に襲い掛かり、大蛇もそれを迎え撃つ。
「……胡蝶さん」
僕は胡蝶さんからも強い意志を感じた。波布さんにも負けない強い意志を。
「……波布さん……胡蝶さん」
蛇と蝶は争い続ける。その原因は、僕にある。
僕が此処にいる限り、二人は争い続ける。
(どうすればいい?)
この不毛な争いを止めるにはどうすればいい?
僕も波布さんのように、何かを生み出すことができないだろうか?二人を止められる何かを……。
いや、無理だ。僕に波布さんのような想像力はない。せいぜい思い浮かべることが出来るのは、現実にあるもので、僕が実際に見たことがあるものだろう。
それじゃあ、あの二人の争いを止められない。
それなら……僕がいなくなるというのはどうだろうか?僕がいなくなれば二人が争う理由もなくなるのではないか?
(夢の中で死ねば……)
夢の中の僕が死ねば、現実の僕が目覚める……そんなことはないだろうか?
死ぬための道具を用意するのは簡単だ。ナイフであれば、僕もイメージすることができる。そして、造りだしたナイフで喉を突けばいい。
でも、もし違ったら?
夢の中で死ねば、現実の自分も死ぬ。その可能性だってある。
(いや……ダメだ!)
夢の中で僕が死に、その結果、現実の僕が目を覚ますとしても、そのまま死んでしまうとしても、それで二人の争いが止まる保証はない。
現実で僕が目を覚ませば、胡蝶さんは再び僕を夢の中に引きずり込もうとするだろう。そして、波布さんがまた夢の中にやって来て、僕を取り戻そうとする。
現実の僕が死んでしまえば、その後、波布さんがどんな行動に出るか分からないない。胡蝶さんに復讐しようとするかもしれないし、僕の後を追って最悪、自ら命を絶ってしまうことだってありえる。
(そんなのは……絶対ダメだ!)
なら、どうすればいい?どうすれば、二人の争いを止められる?
二人が争う原因は僕だ。僕がいるから、二人は争う。それは間違いない。
でも、僕がいなくなっても、二人が争いを止める保証はない。
(どうすれば……一体どうすれば)
僕が原因で二人は争う。僕が原因で二人は争う……僕が原因で?
そうだ、僕が原因で二人は争うんだ。それなら!
僕の頭に一つの答えが浮かんだ。
でも、そんなことが出来るのだろうか?いや、出来るはずだ。
波布さんは言っていた。「ここは夢の中。イメージすることさえ出来れば、どんなものでも造り出すことが出来るのです」と。
なら、正しくイメージすることさえ出来れば……造り出すことが出来るはずだ。
僕はイメージする。波布さんと胡蝶さんの争いを止めるためのものを。
そして、それは意外な程、あっさり造り出すことが出来た。




