蛇はどこにいても追いかけてくる
「どうぞ」
「お邪魔します」
胡蝶さんに促され、僕は部屋に入る。
胡蝶さんの部屋はきちんと整理整頓されており、床にはゴミ一つ落ちていなかった。その一方で、クマのぬいぐるみも置いてあり、とても可愛らしい一面もある部屋となっていた。ピンクのカーテンが部屋をより明るくしている。
部屋の中は、とてもいい香りが充満しており、なんだか胸がドキドキした。
胡蝶さんは静かにベッドに腰掛ける。
「雨牛君も座って」
「う、うん」
僕は床の上に正座する。胡蝶さんは目をパチパチさせると、クスリと笑った。
「そうじゃなくて」
胡蝶さんはベッドをポンポンと叩く。
「こっちに」
「あっ……ご、ごめん」
僕は慌てて立ち上がると、胡蝶さんの隣に腰を下ろした。
「雨牛君、かわいい」
胡蝶さんは僕の顔を見ながら、クスクスと笑っている。
綺麗だ。そう思った。
僕は最初、胡蝶さんのことを可愛い人だと思った。でも、今は違う。
僕は今、胡蝶さんのことを綺麗な人だと思っている。
付き合ってから、五年で胡蝶さんは見違えるように大人っぽくなった。
まるで、幼虫が蛹を経て成虫に羽化するように胡蝶さんは可愛い人から、綺麗な人になった。
笑う動作も、とても色っぽく、目を逸らせない。
胡蝶さんは笑い終わると、今度は一転して真剣な顔となった。
じっと僕の目を見つめてくる。部屋の中に漂う香り、そして胡蝶さんの綺麗な顔に見つめられ、僕の心臓の鼓動はさらに高鳴る。
胡蝶さんはベッドの近くに置いてあったリモコンを天井に向けて、ボタンを押した。明るかった部屋が暗くなる。
闇の中、ベットに座る胡蝶さんは、絵画のように美しかった。
胡蝶さんはゆっくりと服のボタンに手を掛けると一つずつ外し始めた。
僕はそれを見て、自分の上着に手を掛けると一気に脱いだ。
胡蝶さんの手が僕の頬に触れる。そのまま僕達は深い口付けを交わした。長い、長い口付けの後、ゆっくりと唇を離す。
「雨牛君……」
「胡蝶さん……」
僕は胡蝶さんの肩を両手で掴むと、体重を掛け、ベッドに押し倒した。
ベットがギリシと軋む。仰向けになった胡蝶さんが下から僕を見つめる。
僕はもう一度、キスをしよと顔を下ろした。胡蝶さんも静かに目を閉じる。あと数センチで唇が触れそうになったその時。
『見付けました』
どこからともなく、声がした。
「ぐっ!」
突然、胡蝶さんが苦しみ始めた。僕は慌てて、胡蝶さんから離れる。
「胡蝶さん!?」
胡蝶さんは首を押さえて苦しんでいる。よく見るとその首には何かが絡みついていた。だけど、暗くてよく見えない。
僕はリモコンのボタンを押し、電気を点ける。部屋が一気に明るくなった。
「なっ!?」
目の前のあまりの光景に僕は一瞬、動けなくなった。
胡蝶さんの首には『白い蛇』が巻き付いていた。
白い蛇は、胡蝶さんの首を絞めながら僕を見る。そして、口を開いた。
「雨牛君」
白い蛇は人間の言葉で、確かにそう言った。綺麗な女性の声だった。僕は、その声に聞き覚えがある。
白い蛇が言葉を発した瞬間、部屋が消えた。
「え?」
いつの間にか、僕は暗闇の中にいた。部屋の電気が消えたわけではない。部屋そのものが消失したのだ。
「なんだ?一体何が?」
「ぐっ……がっ」
どこからか、胡蝶さんの声が聞こえた。
「胡蝶さん!?」
「ぐっ……ぐぅ」
胡蝶さんの声はとても苦しそうだった。僕は声がする方に向かって急いで走る。やがて、遠くに何かが見えた。それは信じられない光景だった。
何十メートルはあろうかという『白い大蛇』が胡蝶さんを締め上げていたのだ。胡蝶さんは『白い大蛇』に巻きつかれ、苦しそうに呻き声を上げている。
「胡蝶さん!」
僕は胡蝶さんを助けようと駆け寄ろうした。その時、『白い大蛇』の向こうに誰かがいるのに気が付いた。
その人物は少しずつこちらに近づいてくる。近づくにつれ、その人物の姿が明らかとなっていく。
その人物は少女だった。少女は僕を見ながら一言「雨牛君」と呟いた。
「がっ!」
猛烈な頭痛が僕を襲った。僕の頭の中に次々と映像が再生されていく。
それは、記憶だった。忘れていた僕自身の記憶。それが一気に蘇っているのだ。洪水のように流れる記憶。その映像の中に、目の前の少女がいた。
少女は、ほほ笑みながら、嬉しそうに、幸せそうに僕の名前を呼ぶ。
「雨牛君」
僕は、勢いよく顔を上げた。そして、少女の名前を呼ぶ。
「波布……さん?」
僕に名前を呼ばれた波布さんは、記憶の通りの笑顔で嬉しそうに、ほほ笑んだ。




