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蛇はどこまでも追いかけてくる  作者: カエル
第二章 胡蝶の夢
36/73

蛇はどこにもいない

「それにしても……」

 今朝見た夢はとても長かった。実際には一晩しか経っていないのだが、僕の感覚では一日中、胡蝶さんと一緒にいた。

 仮に僕が胡蝶さんに惹かれているのだとしても、あんなに長い夢を見るだろうか?

 

 それに、胡蝶さんが出てくる夢は妙にリアルだ。

 僕は夢を見ていても、夢の中ではそれが夢だとは自覚しない。でも、目を覚まして見ていた夢を思い出してみると、明らかにおかしいことが多い。

 出てくる人間の言動が支離滅裂だったり、時間が飛んだりと、どうして夢だと気付けなかったんだろう?と思える程だ。

 でも、胡蝶さんが出てくる夢は、なんというかとても現実に近い。

 物に触れれば、現実と同じように感触が伝わるし、暑さや風を感じることもできる。何より、夢の中の胡蝶さんは本物の胡蝶さんと全く変わらない。

 きっと胡蝶さんが病気になっていなかったら、こんな風に過ごしていたんだろうという確信が持てるほど、夢の中の彼女は現実の彼女と瓜二つだ。


「梅雨、起きてるの!?」

 部屋の外から、母親の声がした。慌てて返事をする。

「う、うん。起きてるよ」

「早くいらっしゃい。あの子また来てるから。待たせちゃダメよ!」

「あの子……あっ」

 僕は急いで部屋から出ると朝食を掻き込み、家を出た。


「おはよう、雨牛君」

「おはよう、胡蝶さん」


 四度目の夢の中で、僕は胡蝶さんと三日間過ごした。


              ***


「おかしい……絶対おかしい」

 目を覚ました僕は、そこで初めて恐怖を覚えた。

 いくらなんでも、夢の中で三日間も過ごすなんて絶対におかしい。そんなこと、ありえない。


 悩んだ末、僕は彼女に相談することにした。

『いつも、同じ女の子が夢の中に出てきて、しかも、その時間が段々長くなっている』なんて、普通の人間に言っても笑われるか、冷やかされるだけだろう。

 でも、彼女ならきっと、僕の言葉を真剣に聞いてくれるはずだ。


 僕は布団から出ると、朝食を済ませ、家を出た。玄関先に彼女が待っていた。

「おはよう、雨牛君」

「おはよう、胡蝶さん」

 胡蝶さんはニコリと笑う。相変わらず、とても可愛い。

「あ、あのね。胡蝶さん」

「何?」

「実は、相談したいことがあるんだ」

「相談?私に?」

「うん」

 胡蝶さんは僕の手をそっと握る。

「何でも言って。雨牛君のためなら、なんでもするから」

「……ありがとう」

 胡蝶さんの優しさに胸がときめく。僕はさっそく胡蝶さんに相談しようとした。

「実は……あれ?」

「どうしたの?」

「いや……」

 何を相談するんだっけ?あれ、おかしいな。さっきまで覚えていたのに。

「えっと……あの」

「うん」

「あの」

 思い出せ、思い出せ、何か大切なことを……そうだ!思い出した。


「今度の休みなんだけど……デートしない?」


 僕の相談事。それは、父から貰った二枚のチケットをどうするのかとういことだった。

「実は、父さんから博物館のチケットを貰ってさ。でも、それが二枚あるんだよね。父さんは誰か誘って行って来いって言ったんだけど……も、もしよかったら、胡蝶さん、僕と一緒に……」

「喜んで」

「えっ、いいの?」

「もちろん、雨牛君のお誘いを断るなんて、ありえないもの」

 胡蝶さんはそう言ってニコリと笑う。僕は思わずガッツポーズをとった。

「じゃ、じゃあ、今度の日曜日に駅前で待ち合わせしよう!」

「うん、楽しみにしてる」

 花のような笑顔を僕に向けてくれる胡蝶さん。僕は、自分の手の甲を指でつまんだ。痛い。良かったこれは『夢じゃない』。


 これはまぎれもない『現実』だ。


「よかった」

 僕は安堵する。その時、違和感を覚えた。

(あれ?僕が相談したかったのって、このことだっけ?)

 違うような気がする。

 そもそも、相談しようとしたのは胡蝶さんにだったけ?別の誰かに相談しようとしていたような……。

「雨牛君」

 考え事をしていた僕に、胡蝶さんがスッと手を伸ばしてきた。

(まぁ、いいか)

 胡蝶さんとデートをすること以外に、重要な相談なんてあるはずがない。

 差し出された胡蝶さんの手を僕は迷わず取る。手をつないだまま、僕達は学校へと歩き出した。


「シュー」


 背後から蛇のような鳴き声が聞こえた。僕は後ろを振り返る。しかし、蛇はどこにもいない。

「どうかした?」

「……ううん、なんでもない」

 きっと、気のせいだったのだろう。僕は前を向いて歩き出した。


                ***


 日曜のデートは大成功だった。胡蝶さんはとても楽しんでくれたし、僕もとても楽しかった。幸せだった。

 それから、僕達は何度もデートを重ねた。デートには僕から誘うこともあったし、胡蝶さんから誘ってくれることもあった。


 動物園、水族館、遊園地、映画。美術館デートをすることもあった。


 動物園に行って分かったことは、胡蝶さんが『象』が好きだということ。

 水族館に行って分かったことは、胡蝶さんが『マンタ』が好きだということだった。胡蝶さんの色々な面が見れて、とても嬉しかった。

 

 映画は、いつも恋愛物を見た。

 胡蝶さんは普段はミステリーやサスペンスが好きだと言っていたが、僕と一緒に映画を見る時は、決まって恋愛映画を見たがった。

 感動的な場面になると、胡蝶さんはいつも僕の手を握ってきた。そうなると、僕はもう映画どころではなかった。

「どこが面白かったと?」と聞かれて「ドキドキして分からなかった」と答えると胡蝶さんは「もうっ」と言って頬を膨らませた。

 顔をトマトのように真っ赤にしながら。


 そうして、僕と胡蝶さんは一歩一歩、少しずつ距離を縮めていった。


 それから、五年の歳月が流れた。


 僕達は同じ大学に進み、同じサークルに所属した。

 ある日、いつものようにデートを終え、僕は胡蝶さんを家まで送った。普段なら、そこで別れるのだが、その日は違った。

 胡蝶さんは頬を紅く染めながら、僕の裾を掴む。

「今、家に誰もいないの」

 胡蝶さんの話によると、ご両親は今、海外に行っていて、帰ってくるのは明後日になるとのことだった。

「ねぇ、雨牛君」

 胡蝶さんは僕の目を見ながら、真剣な表情でこう言った。

「今日、泊まっていかない?」

 彼女の家に泊まることが何を意味しているのか、流石に僕でも分かる。

 高校生の時なら、きっと断っていただろう。高校生の頃の僕は、ずっと胡蝶さんと付き合っていたかったから、節度のある交際を心掛けていた。

 でも、今の僕はもう子供じゃない。

 僕は胡蝶さんの手をそっと握る。そして、緊張している様子の胡蝶さんに「喜んで」と言った。


 胡蝶さんは嬉しそうに笑うと、僕を家の中に招き入れた。


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