二匹
「シャー!」
大きく口を開けた『白い大蛇』が現れた。
『白い大蛇』は栗鼠山を睨みつける。しかし『白い大蛇』は栗鼠山を睨み、鳴き声を上げるだけで、動こうとはしない。
その様子を栗鼠山はじっと見ていたが、やがてニコリと微笑んだ。
「よかった。どうやら動けないみたいね」
栗鼠山は満足そうに頷く。
今、この場には二匹の『白い大蛇』がいる。
一匹は波布の体から飛び出した波布が『シロちゃん』と呼んでいる大蛇。
もう一匹は波布の体を縛りあげている『白い大蛇』だ。
「なるほどね。宿主を縛り上げれば、中にいる『化物』は動けなくなるんだ。いいことを知ったよ」
栗鼠山は、今まで解けなかった問題が解けた時の様な笑顔を見せる。
「じゃあ、波布さん、まずはその彫刻刀を離してくれる?」
波布に巻き付いている『白い大蛇』が彼女の腕をギギギと強く締め付けた。
言われた通り、波布は手に持っていた彫刻刀を離す。カンという音を立てて、彫刻刀は床に落ちた。
「こっちへ蹴って」
波布は黙って、栗鼠山がいる方へ彫刻刀を蹴った。蹴られた彫刻刀は床を滑り、栗鼠山の足元に届く。
「ひどいよ波布さん。刺そうとするなんてさ。これで刺されたら結構痛いよ?」
栗鼠山は彫刻刀を拾い上げると、ヒラヒラと振った。
「本当に刺そうとはしていませんでしたよ?」
「ん?」
「ただ、刺そうとすれば貴方が体の中にいる『奇妙な生物』の力を使ってくれると思っただけです」
「……そっか。まんまと嵌められたわけか」
栗鼠山から笑顔を消え、まるで仮面のような表情となる。
「ねぇ、波布さん。聞いてもいい?」
「何でしょう?」
「雨牛君は、どこまで知ってるの?」
「……何も知りません」
波布はゆっくりと首を横に振る。
「貴方の体の中に『奇妙な生物』いることも、貴方が鰐淵先輩を事故に遭わせたことも、奏人さんを殺したことも……今日、私達が会っていることもあの人は知りません」
「本当?」
「はい」
栗鼠山は、探るような鋭い目を波布に向けたが、彼女が嘘を言っていないと判断すると、ニコリと微笑んだ。
「良かった。雨牛君にも知られてたら、どうしようかと思っちゃったよ」
栗鼠山は心の底から安堵した声を漏らす。それから、頬をポリポリと掻いた。
「上手く騙せていたと思ってたんだけどなぁ。いやぁ、まさか、バレるなんて思わなかった。ねぇ、波布さん。私を此処に連れてきたは、私に『化物』が見えることを確認したかったからでしょ?」
「はい、そうです」
『白い大蛇』に拘束された状態で、波布は首を縦に振る。
「そうだよね。つまり、波布さんは私を疑っていた。少なくとも、昨日電話した時にはもう気付いていた」
「はい」
「やっぱりね。で、いつ気付いたの?」
栗鼠山は笑う。それは、いつも学校で見る栗鼠山の笑顔だった。
「私は最初、奏人さんが鰐淵先輩を事故に遭わせたと思っていました」
波布は淡々と自分の考えを述べる。
「皆の前で、私の中から『シロちゃん』が飛び出した時、奏人さんは『シロちゃん』から視線を逸らしていましたが、それはとても不自然でした」
あの時、『シロちゃん』が見える波布と雨牛は『シロちゃん』に視線を向けた。
鰐淵も視線を『シロちゃん』に向けたが、それは波布と雨牛の視線につられただけだ。鰐淵が『シロちゃん』に視線を向けた後、栗鼠山も同じ方向を見た。
しかし、奏人だけが、視線を逸らし続けていた。
「複数の人間が同じ方向を見ていたら、そこに何もないとしても、皆と同じ方向を思わず見てしまうものです。奏人さんは見えていることを隠そうとするあまり、過剰に『シロちゃん』から目を逸らし続けました。私と雨牛君は奏人さんを疑い、罠を仕掛けました」
「付き合ってるって嘘を付いて?」
「はい、そうすれば、怒った奏人さんは私を襲って来ると思ったので」
「ふうん」
『白い大蛇』が波布を締め付ける力が少しだけ強くなる。
「続けて?」
「……目論見通り、奏人さんは罠に掛かり私を襲いました。私と雨牛君は襲ってきた奏人さんを捕まえ、話をしました。奏人さんは鰐淵先輩を事故に遭わせたことを認めました」
栗鼠山は不思議そうに首を傾げる。
「だったら、どうして私を疑ったの?奏人が自分でやったって認めたのなら、私を疑う理由はないんじゃない?」
「確かにそうです。しかし、奏人さんが『白い大蛇』を使い、鰐淵先輩を事故に遭わせた犯人だとすると、おかしなことがいくつかあります」
「……おかしなこと?」
「まず、一つ目。奏人さんを捕まえた時ですが、奏人さんは私のことを『蛇女』と呼びました」
「それのどこがおかしいの?貴方の中にいる『化物』は蛇の形をしているのだから……」
「はい、普通なら……例えば、雨牛君が私を『蛇女』と呼んでも何もおかしくはありません。しかし、『蛇女』という言葉を『白い大蛇』を操っている人間が使うと、それは、そのまま自分に返ってくることになります」
例えば、子供が同じ年の子供を『ガキ』と罵倒するようなものだ。
普通、子供が同じ年の子供を『ガキ』と罵倒することはない。その言葉は自分にも返ってくるということを知っているからだ。
「ついつい、そう呼んじゃったってこともあるんじゃない?」
「はい、もちろんその可能性もあります。しかし、もう一つ奏人さんはおかしなことを言っていました」
「おかしなこと?」
「はい、こんなことを言っていました」
『私のアマに抱き付いて、キスまでして……穢らわしい!』
「……キス」
ギギギと『白い大蛇』がまた少し、締め付けを強くした。だが、波布は痛がる様子も見せず、話を続ける。
「奏人さんは私と雨牛君がキスをしていたことを知っていました。確かに、私は雨牛君と何度かキスをさせて頂きましたが、貴方を除けば、人に雨牛君とのキスを見られたことはありません。では奏人さんはいつ、どこで私と雨牛君のキスを見たのでしょうか?」
波布は辛うじて動かせる人差し指を立てる。
「実は、たった一度だけ、貴方以外に私と雨牛君とのキスを見た者がいます。ですが、それは人間ではありません」
「人間じゃない?」
「はい」
波布はゆっくりと頷く。
「『カナヘビ』です」
カナヘビ。
カナヘビ科カナヘビ属に属する爬虫類。蛇と名前が付いているがトカゲの仲間だ。体長は二十センチ程。日本全国で見ることが出来る身近なトカゲ。
波布は手紙で、雨牛を体育館裏に呼び出すと、強引にキスをした。波布が雨牛にキスをいた直後、二人の前に巨大な『カナヘビ』が現れた。
「私と雨牛君が見たカナヘビは通常のカナヘビよりも遥かに大きいものでした。もちろん、実際のカナヘビではありません。私の『シロちゃん』や先程、貴方が見た『彼』と同じ『奇妙な生物』です。私はもしかして、あの『カナヘビ』は奏人さんが操っていたのではないか?と思いました」
波布は自分の考えを詳しく語る。
「もし、奏人さんが『カナヘビ』を操っており、しかも視界を共有することが出来たのだとしたら、『カナヘビ』が見た私と雨牛君のキスを奏人さんも見ていたということになり、奏人さんが私と雨牛君とのキスを知っていたことにも説明がつきます」
波布は、さらに続ける。
「あの『カナヘビ』が突然、襲い掛かって来たのは奏人さんが襲う様に命じたためでしょう。私と雨牛君のキスを『カナヘビ』を通して見ていた奏人さんは激しく嫉妬した。そして、『カナヘビ』に私を襲う様に命じた」
波布は少し声を大きくする。
「私を『蛇女』と呼んだこと、そして、『カナヘビ』を操っていたと思われることから、私は奏人さんの体の中には『白い大蛇』はいないと結論付けました」
「奏人の体の中にいたのが、『白い大蛇の化物』じゃないのなら、奏人が波布さんのことを『蛇女』って呼んでもおかしくはないわけだ」
「そうです。そして『白い大蛇』を操っていたのが、奏人さんではないとしたら、鰐淵先輩を襲った犯人は別にいることになります」
「確かに、そうなるね」
「あの場で鰐淵先輩の傍に居たのは、雨牛君、私、奏人さん、栗鼠山さんの四人です。『白い大蛇』を操っていた人物が奏人さん以外でないとするなら、雨牛君か、私か、栗鼠山さんの内の誰かである可能性が高いです。私は鰐淵先輩を襲っていませんので、残るは雨牛君か、栗鼠山さんのどちらか……ということになります。ですが、雨牛君は鰐淵先輩を襲った犯人を捜そうとしていました。本当の犯人なら、そんなことはしないでしょう。となると、残るは……」
波布は真っ直ぐ栗鼠山を見て言った。
「栗鼠山さん。貴方だけです」