告白②
「はい、では今日はこれで終わり」
担任がそう言うと、掃除をする者以外、皆一斉に教室から出て行く。栗鼠山も同じ部活の人間と教室を出ようとしている。
「栗鼠山!」
僕は、教室を出ようとした栗鼠山を呼び止めた。栗鼠山はビクリと体を振るわせた後、顔を伏せながら、教室を出ようとする。
「待って!」
僕が背後から大声で叫ぶと、栗鼠山はピタリと止まった。僕は急いで、栗鼠山の傍に駆け寄る。
「先、行ってて」
「う、うん、分かった」
栗鼠山に先に行くよう促された女子は、僕と栗鼠山をチラと見ると、先に部活へ向かっていった。
「……何?」
栗鼠山は冷たい視線を僕に向けた。小さい時からの付き合いだが、僕にそんな目をむけたことは今まで一度もない。思わずたじろぐ。
「あのさ……」
「何?……」
「話したいことがある。部活が終わったら会えない?」
「……でも」
「お願い」
僕は真剣な目で栗鼠山に懇願した。栗鼠山は、一度深く息を吸うと小さな声で答えた。
「……分かった」
栗鼠山が了承したことに僕は「ほっ」と息を吐く。
「ありがとう。じゃあ、部活が終わったら体育館裏で待ってて!」
「分かった」
そう言うと栗鼠山は、小走りで部活へ向かった。
数時間後、僕が体育館の裏で待っていると部活を終えた栗鼠山がやって来た。
「……何、話って?」
栗鼠山はどこか怯えたような目で僕を見る。
「この前のことなんだけど……」
僕がそう言うと、栗鼠山の体がビクリと震えた。
「あれはさ……その……」
「べ、別に……私には関係ないよ。雨牛君と波布さん、付き合ってるんだし、別にキスしても……」
「違うんだ!……あれは」
「……」
栗鼠山は、僕から視線を逸らす。その体は小刻みに震えていた。栗鼠山が震えているのに気付いた瞬間……。
「僕が好きなのは、栗鼠山なんだ!」
言い訳は色々と考えていた。でも、震える栗鼠山を見た瞬間、それらは全て吹き飛び、気付けば、僕は自分の想いを叫んでいた。
「僕は栗鼠山が好きだ!ずっと前から……栗鼠山が好きだった!」
栗鼠山が目を大きく見開く。僕はさらに言葉を続けた。
「波布さんとは、色々と理由があって付き合うことになった。でも、本当に付き合っていたわけじゃないんだ」
「……どういうこと?」
「実は事情があって、付き合っている振りをしていたんだ」
「付き合っている……振り?」
「うん」
栗鼠山は訝しげな視線を僕に向ける。
「事情って?何?」
「それは……言えない」
波布さんと付き合う振りをしていた理由を言うことは出来ない。言っても信じてくれないだろう。嘘を付くことも考えたが、それはやめておいた。
「どうして、言えないの?」
「それも……言えない」
「そう……」
栗鼠山は黙って俯いた。
「でも!」
僕は叫ぶような声を上げると、栗鼠山に一歩近づいた
「もう、それも今日で終わりにした」
俯いていた栗鼠山が顔を上げた。僕はさらに言葉を続ける。
「今日の昼休み、波布さんに『もう付き合う振りは止めたい』って言ってきた。そして、波布さんもそれを了承してくれた」
「!!」
「だから、僕は今、誰とも付き合っていない」
大きく目を見開いた栗鼠山に、僕はもう一度、自分の気持ちを伝えた。
「僕は栗鼠山が好きです。僕と付き合って下さい」
風の音や木の葉が揺れる音がはっきりと聞こえる程の静寂が辺りを包んだ。ドクン、ドクンと心臓が尋常じゃない程早く波打つ。
それでも、僕は栗鼠山から視線を逸らさなかった。
栗鼠山は僕と波布さんがキスしようとしたのを見て、激しく動揺していた。そして、今日は僕をずっと避けていた。僕は思う。
『ひょっとしたら、栗鼠山も僕のことが好きなのではないのだろうか?』と。
栗鼠山がずっと僕を避けていたのも、震えているのも、
『波布さんと付き合っているので、もう会わないようにしよう』
と僕に言われるのを恐れているためではないだろうか?
僕は、そんな思い上がった希望を抱いた。抱いてしまった。
栗鼠山も僕と同じ気持ちなのではないだろうか?という愚かな希望を……。
でも、そんな希望は、やはり僕の幻想に過ぎなかった。
「ごめんなさい」
栗鼠山は頭を深く下げた。
「私、雨牛君とは付き合えない」
体の中で、ガラスが割れるような音がした。それはさっきまで抱いていた僕の愚かな幻想が粉々に砕ける音だった。目の前が真っ暗になる。
「どう……して?波布……さんのことなら……もう」
告白を断られたのなら、僕はもう此処にいるべきではない。「分かった」と言って、直ぐに立ち去るべきだ。
でも、僕は立ち去りもせず、未練がましいことを口走っていた。
「違うの!」
栗鼠山は首を左右に振った。
「波布さんのことは関係ない」
「じゃあ……」
「雨牛君のことは、好きだよ。でも、恋愛とかの『好き』じゃない。友達としての『好き』なの」
栗鼠山は顔を伏せる。その体は未だに震えていた。
僕は勘違いをしていた。
栗鼠山の体が震えていたのは、きっと、僕に告白されるのを怖がっていたからだ。僕に告白されたら、断らなくちゃいけない。だから、告白されるのを恐れていた。
告白をするのは勇気がいることだ。でも、告白を断るのもとても勇気がいる。そのことを僕は知っている。
「それから……その……」
何も言えず、その場に立ちすくむ僕に栗鼠山は言った。僕をさらに絶望に落とす言葉を。
「これからは、できるだけ話さないようにしよう」
「え?」
僕は最初、何を言われたのか分からなかった。しかし、徐々にその言葉の意味を理解していくにつれ、体の血がサッと引いていくのを感じた。
「どう……して?」
栗鼠山は震えながら、僕を見た。
「思い出すの、雨牛君といると……」
「思い……出す?」
「鰐淵先輩が事故に遭った時の事とか……奏人の事とか」
「あっ」
口から小さな声が洩れた。
そうだ。栗鼠山は先輩が事故にあった時、事故を止められなかった自分を責めていた。先輩のことで、栗鼠山はかなり傷付いていた。
そこに、今度は奏人の自殺だ。
僕は鰐淵先輩が事故を起こした原因も知っているし、奏人のこともある程度分かっている。でも、栗鼠山は鰐淵先輩の事故の原因も奏人の自殺の理由も何も知らない。
何も知らない栗鼠山は、気持ちの整理をつけることもできない。
(くそ!)
栗鼠山の気持ちに気付けなかった自分に猛烈に腹が立った。奥歯を強く噛みしめると、ギシリという音がした。きっと僕の見舞いに来てくれた時は、僕を慰めようとして強がっていたのだろう。
僕は、先輩や奏人の家族を除けば、二人のことで一番傷付いたのは自分だと思っていた。でも、そうではなかった。僕と同じように、いや、僕以上に傷付いた人がいたのだ。
それなのに……僕は。
「……分かった」
僕は静かに頷いた。
「ごめんね。嫌な思いさせて……」
「ううん」
「……じゃあ、帰るね」
「うん」
「あっ、送って行こうか?」
「……いい」
「そう……分かった。じゃあ、ね」
「うん。さよなら、雨牛君」
「……さよなら、栗鼠山」
自分が情けなくて、たまらない。波布さんのように「ありがとう」と感謝の言葉を贈る事すら、僕にはできなかった。
(波布さんも……こんな気持ちだったのかな?)
そんなことを考えながら、僕は夜道をトボトボと歩く。すると不意に、あることを疑問に思った。
(昔は確かにそうだった。でも今は違う。それが、いつの間にか元に戻っている?)
僕が疑問に思った事、それは、栗鼠山が僕の……。
(いや、もういいか)
今さら、そんなこと考えても仕方がない。
栗鼠山は僕と話したくないと言った。もう僕と関わるのも嫌なのだろう。なら僕も、栗鼠山のことは考えるべきではないのかもしれない。
僕は出来るだけ、栗鼠山の事を考えずに家へと帰った。
雨牛が帰った後も栗鼠山は、体育館の裏に立っていた。その体は未だに震えている。
栗鼠山は雨牛の告白を断った。栗鼠山が震えている理由が、雨牛の告白を断るためだとしたら、栗鼠山の震えは、ある程度治まっているはずだ。
しかし、栗鼠山の震えは治まることはなかった。むしろ、先程よりも震えは大きくなっている。
栗鼠山が震えていると、物陰から一人の人間が出てきた。
その人間を見た瞬間、栗鼠山の震えはさらに激しさを増した。物陰から出てきた人間は、栗鼠山にゆっくりと近づいて来る。暗くて、その顔は分からない。
だが、栗鼠山はその人間が誰なのか知っている。
その人間は、雨牛が栗鼠山に告白する様子を全て見ていた。雨牛には見えない位置で、そして、栗鼠山の視界にギリギリ入る位置でじっと、見ていたのだ。
物陰から出てきた人間は栗鼠山の前でピタリと止まった。栗鼠山の震えは、全身に広がっている。顔は血の気が引いたように真っ青で、目はせわしなく泳いでいる。
雨牛は最初、栗鼠山が震えている原因は
『波布さんと付き合っているので、もう会わないようにしよう』と自分に言われるのを恐れているためだと思った。しかし、それが間違いだと気付くと、今度は『告白を断るための緊張』で震えていると結論付けた。
しかし、それも間違いだった。
栗鼠山が震えている原因、それは『恐怖』によるものだった。ほとんどの生物が持っているもっとも原始的な恐怖。『捕食者に喰われる』という死の恐怖だ。
「こ、こ、これで、良かったんでしょ?」
栗鼠山は震える声で、目の前の人物の名前を言う。
「波布さん」
風が吹き、雲が動く。雲に隠れていた月が顔を出し、月光が少女を照らした。
「はい、よくできました」
月光に照らされた波布は冷たく、凍りついた笑顔を栗鼠山に向けた。




