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蛇はどこまでも追いかけてくる  作者: カエル
第一章
20/73

 雨牛梅雨の見舞いをした翌日の放課後、栗鼠山兎は校門の前で彼女を待っている波布光に声を掛けた。

「お待たせ」

「いえ、お呼びして申し訳ありません。お時間は大丈夫ですか?」

「うん、今日は部活もないし、親も家にいないから遅くなっても大丈夫」

 栗鼠山はニコリと微笑む。

「それで?あの……雨牛君の話って何?」

 今日一日、波布からの電話が気になって授業が全く手に付かなかった栗鼠山は単刀直入に尋ねた。

「その前に場所を変えたいのですが、よろしいですか?」

「ここじゃ駄目なの?」

「はい、どうしてもそこで話がしたいのです」

「……うん、分かった。いいよ」

「ありがとうございます。では、こちらへ」

 そう言うと、波布は歩き出した。その後を栗鼠山は付いていく。十五分ほど歩くと、とある建物の前で波布は止まった。

「此処?」

「はい、此処です」

 栗鼠山は建物をじっと見る。五階建ての立派な建物だ。

「さぁ、どうぞ中へ」

「え?入っていいの?」

「はい、この建物は私の物ですので」

「ええっ!?」

「買ったのです。半年ほど前に」

「かっ、買った?」

「はい、ですのでどうぞご遠慮なく」

「えっと……」

 波布の言っていることは本当なのだろうか?

 栗鼠山は建物をもう一度見る。不気味なことに、建物の中に何羽もの鳥が出入りするのが見えた。栗鼠山は帰ろうか迷う。

 その時、波布が栗鼠山の腕を掴んだ。

「ちょ、波布さん?」

「さぁ、どうぞ中へ」

 栗鼠山の腕を掴むと、波布は歩き出した。腕を掴まれた栗鼠山は強引に引っ張られる。

「な、波布さん?い、痛いよ!」

「……」

 栗鼠山は抗議の声を上げるが、波布は構わず栗鼠山を引っ張っていく。


 こうして、二人は建物の中に消えた。



 ジリリリリリリリ。


 けたたましく鳴る目覚まし時計の音で、僕は目を覚ました。鳴り続ける目覚まし時計を止め、ベッドから起きる。

(うん、もう大丈夫だ)

 熱もなく、体もだるくない。それどころか、寧ろ軽い。どうやら風邪は完治したようだ。朝食を食べ、学校へと向かう。


(どうしようかな?)

 体はとても軽い。でも、気持ちはとても重かった。

 二日前、見舞いに来てくれた栗鼠山に、同じく見舞いに来てくれた波布さんと僕がキスをしようとしている所を見られてしまった。

 あれから、何度か栗鼠山にメッセージを送ってみたが、返信は一度もない。

(う~ん)

 どうしようかと悩みながら歩く。何とか栗鼠山と話がしたい。でも、何と話せばいいのか分からない。僕と波布さんがキスをしようとしていたのは事実だ。だから、僕が何を言っても、それは言い訳に過ぎない。

(あああああああ!)

 どうして、僕はあの時、波布さんを拒絶しなかったのか?もし、拒絶していたら言い訳もできたのに。

 奏人を誘導するために、僕と波布さんは嘘の交際宣言をした。その時、栗鼠山もあの場にいた。だから、栗鼠山は僕と波布さんが付き合っていると思っている。

 あの交際宣言が嘘だったことだけは、何とか栗鼠山には伝えたい。


(それとも、波布さんとの交際が嘘だったと他の皆に伝える方が先かな?)

 皆が、僕と波布さんが交際していると信じていう今の状態では栗鼠山も信じてくれそうにない。

(でもなぁ……)

 僕と波布さんが交際しているという話は、すでに大きく広まってしまっている。

『お前じゃあ、波布さんとは釣り合わない。別れろ!』と言ってくる人間もいたが『応援してるよ。頑張ってね!』と言ってくれる人もいた。

もし、交際が嘘だと分かれば、応援してくれた人はとても怒るだろう。


(いっそのこと、『波布さんとは別れた』と言おうか……いや、それも駄目だ)

『波布さんと別れた』と言ってもやはり、応援してくれた人達は怒るだろう。『別れろ!』と言った人間は喜ぶかもしれないが……。


(そもそも、皆の前で言う必要があったのかな?)

 奏人を誘導するのが目的なら、奏人一人だけに『僕と波布さんは付き合っているんだ』と言えば良かったのではないだろうか?波布さんは『多くの人達が、私達の交際を認識していた方がリアリティがあります』と言っていたが……。

 まぁ、あの時は納得していたので、今さら不満に思うのは筋違いだ。

(う~ん)

 色々と考えるが、僕のツルツルの脳では碌な考えが出ない。結局、何も考えが浮かばないまま、学校に着いた。


 学校に着くと、昇降口に栗鼠山がいた。声を掛けようか、止めようか迷ったが、見舞いに来てくれた礼を言うくらいならいいかと思い、声を掛けることにした。

「おはよう」

「!!」

 背後から声を掛けると、栗鼠山は勢いよく振り向いた。そして、いきなり走り出した。

「……え?」

 固まる僕を置き去りにして、栗鼠山はそのまま、凄い勢いで階段を駆け上がって行った。

 

 教室のドアを開くと栗鼠山は既に自分の席に座っていた。

「……っ!」

 栗鼠山は僕と目が合うと、スッと目を逸らした。ショックを受けた僕は、栗鼠山に何も言うことが出来ず、スゴスゴと自分の席に着く。

(やっぱり、怒ってるのかな?)

 風邪で学校を休んでいたにも拘らず、女の子と二人、部屋の中で如何わしいことをしているのを見たら、怒るのも当然だ。

(一限目の授業が終わったら……いや、それじゃ短いな。よし!)

 昼休みになったら、栗鼠山を昼食に誘おう。そして、きちんと謝ろう。僕はそう心に決めた。


 数学の授業が終わると昼休みになった。クラスメイトは持参していた弁当を出したり、購買部に向かったりしている。

 栗鼠山も持参した弁当を取り出す。以前は、栗鼠山と僕と奏人の三人で昼食をとっていた。でも、今日の栗鼠山は(一瞬、僕を見た後)女子グループの所に向かった。どうやら、彼女達と一緒に食べるつもりらしい。

(急がないと)

 僕は栗鼠山が女子グループと合流する前に話そうと、大急ぎで、栗鼠山の所に向かう。すると、その時、教室のドアが静かに開いた。


「雨牛君」


 聞き慣れた声で名前を呼ばれた。振り向くと、案の定、教室の入口に波布さんが立っていた。

(しまった!)

 僕は心の中で叫んだ。栗鼠山と話すことばかり考えていて、波布さんのことをすっかり忘れていた。

 波布さんは、周りの生徒の目を気にすることなく、教室に入り、スタスタと僕の傍まで歩いてきた。

「な、波布さん……」

 波布さんはグッと僕に顔を近づけてきた。頭の中に、キスをしようとした時の記憶が蘇り、自然と顔が紅くなる

「雨牛君」

 吐息が掛かりそうな距離で、波布さんは囁いた。

(近い、近い、近い、近い、近い!)

 顔がさらに紅くなり、沸騰しそうな程熱い。

「な、何?」

 裏返った声で、僕は尋ねる。すると、波布さんはニコリと笑った。

「お弁当を一緒に食べましょう!」

「え?あ、弁当ね。弁当……」

 吃驚した。一瞬、キスされるのかと思ってしまった。

「あ、あの波布さん……」

 僕はチラリと栗鼠山を見る。栗鼠山は僕達を見ていなかった。明らかに目線を逸らしている。

「今日は……」

 僕は波布さんの誘いを断ろうと、口を開きかける。でも、その前に腕をガシッと組まれてしまった。

「今日は、天気がいいので中庭で食べましょう」

「えっ、あ、あの……」

「さぁ、行きましょう」

 波布さんはグイッと僕を引っ張って歩き出した。大きくて柔らかい胸の感触が腕から脳に伝わる。心臓が凄まじい早さで高鳴り出した。

「ちょっ……波布さん!は、離して!」

 僕は波布さんの腕を外そうとするが、全く外れない。波布さんは、そのまま僕を教室の外に連れ出した。

「雨牛の奴、久しぶりに登校して来たかと思ったらこれだよ!」

「バカップルめ!」

「見せつけてくれるな!」

「波布さん、カッコいい!」

「波布さん、素敵!」

「何であんな奴と!」

 教室から聞こえてくる様々な声を後に、僕は中庭まで引っ張られた。


 中庭に着くと、波布さんは僕をベンチに座らせ、弁当を開いた。波布さんはタコの形に切ったウインナーを箸で掴み僕に差し出す。

「はい、あーん」

 差し出されたウインナーに思わずのけぞる。中庭には僕達の他に何人か人がいるが、そのほとんどが友達と来ており、男女のカップルで来ているのは僕達の他にあと一組だけだ。

 しかし、その一組もこんなあからさまにイチャついてなどいない。公衆の面前でイチャつく僕らは当然、好奇の視線にさらされることになる。とても恥ずかしい。

「はい、あーん」

 波布さんは僕がのけぞった分だけウインナーを近づけてきた。こうなれば、僕が食べるまでウインナーを差し出し続けるだろう。

 仕方がない。僕は波布さんのウインナーをパクリと食べた。

「おいしいですか」

「うん、おいしい」

「ありがとうございます」

 波布さんは嬉しそうに笑う。周りの人達も僕達を見て、ニヤニヤしている。

 嘘の交際宣言をした時から、僕と波布さんは一緒に昼食をとっている。その度に、このような好奇の視線にさらされてきた。波布さんは全く気にしていないが、僕は周囲の視線がとても気になる。

「はい、では次はこちらの唐揚げを……」

「波布さん!」

「はい」

 僕が波布さんの名前を呼ぶと、波布さんは唐揚げを箸で掴むのを止め、僕の顔を見た。

「何ですか?」

「あ、あの……」

「はい」

「あのね」

「はい」

 僕を見る波布さんの目はとても綺麗だった。その目に思わず、気圧されそうになる。

(しっかりしろ!)

 僕は波布さんに向き合う。


「こんなことは、もうやめよう!」


 シンとした静寂が辺りを包む。あまり大きな声ではなかったため、周りに人間には聞かれなかっただろう。しかし、波布さんの耳には、しっかり届いたはずだ。

 そうだ、僕が最初にしなくてはいけない事、それは栗鼠山と話すことでも、皆に交際が嘘だったと言うことでもなかった。


 波布さんと話すことだった。


「僕達は本当に付き合っている訳じゃない。だから、もう付き合っている振りをするのは、やめよう」

 僕達が嘘の交際をしていたのは元々、奏人の事件を解決するためだ。それが終わった今、僕と波布さんが嘘の交際を続ける理由はない。

「……」

 重く苦しい沈黙が続く。波布さんの口がゆっくりと開いた。

「……雨牛君は」

「……うん」

「私のことが嫌いですか?」

 波布さんは静かで、落ち着いた声でそう言った。怒っているのか、それとも悲しんでいるのか……その声から、波布さんの感情を読み取ることは、僕には出来なかった。

「嫌いじゃ……ないよ」

「では、このまま本当に私と付き……」

「それは、出来ない!」

 僕は波布さんの声を遮ると、真剣な目で波布さんの目を見た。


「他に好きな人がいるんだ」


 初めて波布さんからの告白を断った時と同じ言葉を、僕はもう一度、波布さんに言った。

「だから……ごめんなさい。波布さんとは付き合えない」

「……」

 波布さんは僕を見続ける。その目からは、やはり何の感情も読み取れない。

「……どうしても、駄目ですか?」

「うん」

「どうしても?」

「……うん」

「そう……ですか」

 波布さんは、静かに頷いた。

「分かりました」

 そう言うと、波布さんは僕に向けて頭を下げた。

「えっ!?」

 予期せぬ波布さんの行動に僕は驚く。

「な、波布さん?」

「ありがとうございます」

 波布さんは頭を下げたまま、僕に礼を言う。

「嘘とはいえ、雨牛君と付き合うことが出来て、私はとても幸せでした」

「波布さん……」

「私を幸せにしてくれて、ありがとうございます」

 そう言って、波布さんはさらに頭を下げる。


 何度、僕が拒絶しても諦めなかった波布さんが、ようやく諦めてくれた。


 それは、僕が望んでいたことのはずだ。

 でも、頭を下げる波布さんの姿を見て、僕は胸にナイフを刺されたかのような痛みを覚えた。僕は波布さんの肩を掴み、顔を上げさせる。

「礼を言うのはこちらの方だよ」


 波布さんは、僕を助けてくれた。僕を励ましてくれた。

『貴方が抱えている罪の意識は、私も一緒に背負います』

 そう言ってくれた。波布さんの優しい言葉に僕は救われた。

 波布さんがいなかったら、僕は奏人の死を乗り越えられなかっただろう。僕がこうして此処にいられるのは、間違いなく、彼女のおかげだ。


 頭を下げる波布さんを見て、一瞬、ほんの一瞬だが『やっぱり、このまま付き合おう』と言いそうになった。でも、やっぱりそれはできない。


 僕は出来るだけ、優しく波布さんにほほ笑んだ。波布さんも僕と同じようにニコリと笑い返してくれた。その笑顔を見て、胸に温かいものが広がる。

 もし、僕に好きな人がいなかったのなら……たぶん、僕は波布さんのことを好きになっていただろう。


「ありがとう、波布さん」

「はい、どういたしまして」

 短く別れの挨拶を交わした後、僕達はしっかりと握手を交わした。


 こうして、僕達の嘘の交際は終わった。


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