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蛇はどこまでも追いかけてくる  作者: カエル
第一章
19/73

お見舞い

『アマ……助けて』

 学校の屋上で、血まみれの奏人が僕に助けを求めてくる。

『助けて……アマ……助けて』

「奏人!」

 僕は奏人に手を伸ばす。

『アマ』

 奏人は僕の腕を掴むと、そのまま屋上から飛び降りた。腕を掴まれている僕も一緒に落ちる。

『一人は……寂しい』

 奏人はニコリと微笑む。

『一緒に……行こう』

 奏人の笑顔はひどく悲しく見えた。僕は「うん」と頷こうする。


「雨牛君」


 女の子の声が聞こえた。すると、奏人に捕まれていない腕にシュルリと何かが巻き付いた。それは大きな……大きな白い蛇だった。

「シャー」

 白い蛇が大きく口を開け、奏人を威嚇する。奏人はビクリと怯え、僕の腕を離した。奏人はそのまま暗い闇に落ちていく。

「奏人!」

 僕は腕を伸ばすが、もう奏人には届かない。奏人とは反対に僕は白い蛇によって、上へと引き上げられていく。上にはまぶしく輝く光があった。僕は大きな白い蛇と一緒に光の中に入った。


 そこで、目が覚めた。


「おはようございます」

「うわっ!」

 目を覚ました僕の目の前に波布さんの顔があった。それも十数センチの距離で。

「な、な、なみ」

「はい、私です」

「な、な、何して」

「お見舞いに来ました」

 波布さんは大きなメロンを僕に見せる。とても高級そうなメロンだった。



 奏人が死んだというニュースを見た後、僕と波布さんは警察に呼び出され、事情聴取を受けた。

 警察の話によると、奏人は途中までは大人しくしていたが、警察署に到着した途端、突然パニック状態になり、逃げだしたとのことだ。

 町中にある監視カメラには、何かから逃げる奏人の姿が映っていた。

 奏人は何故か、持っていたスマートフォンを捨てると、あるマンションの屋上に出て、そこから飛び降りた。屋上の鍵は不運にも壊れていたらしい。もし、屋上の鍵が壊れていなければ、奏人は屋上に出ることが出来ず、飛び降りることもなかったかもしれないと警察は言っていた。


 奏人が捨てたスマートフォンは、誰かに拾われてしまった。

 スマートフォンはちょうど、監視カメラの死角になる場所に捨てられたので、拾った人物の顔は分からず、さらに電源も切られているため、追跡するのも不可能らしい。恐らく、もうどこかに売られてしまっているかもしれないとのことだ。


 警察は、奏人の行動に何か心当たりはないか?と執拗に聞いてきた。

 短期間の内に、僕の知り合いの一人が事故に合い、一人が自殺した。しかも、二人とも直前におかしな行動をとっている。僕達に何かあるのではないのかと疑うのも当然と言えば、当然だ。


 結局、奏人の死因は自殺として処理された。

 自分の人生がこれからどうなるのか怖くなった奏人は、警察署に着くなり、逃亡。その後、警察官から逃げていたが、このままでは逃げられないと悟り自殺。逃げる途中でスマートフォンを捨てたのは、スマートフォンから居場所を特定されるのを恐れたのだろうと結論付けられた。



 僕は今、学校を休んでいる。奏人の死因が自殺だと結論付けられたとの話を警察から聞いた直後、熱を出したからだ。登校できるのは少なくとも、明後日ぐらいになるだろう。


「メロン、此処に置いておきますね」

 高級そうなメロンを机の上に置くと、波布さんは僕が寝ているベッドの近くに正座した。僕はベッドから上半身を起こす。

「えっと、どうやって部屋の中に……あっ!」

 以前、波布さんが不法侵入した時のことを思い出し、僕は思わず窓に目を向けた。でも窓にはちゃんと鍵が掛けてあり、何処も傷付いていなかった。どうやら、今回は窓から入って来たわけではないようだ。

 ちなみに波布さんが穴を開けてしまった窓はもう、新しいものと交換してある。

「今日は、玄関から入ってきました」

「そ、そう」

 安心して「ほっ」と息を吐く。冷静に考えれば玄関から入って来るのが当然なのだが……。

「あれ?ってことは……」

 僕があることに思い至ると、部屋のドアをコンコンとノックする音がした。

「梅雨、起きてる?入るわよ?」

 ドアの向こうから母の声がする。「いいよ」と応えると、お盆を持って母が入ってきた。お盆の上にはジュースが入っているコップが二つ乗っている。

「お邪魔しまーす」

 部屋に入ってきた母は、いつもよりテンションが高かった。

「ジュース持って来たんだけど良かったら……」

 母がおずおずと波布さんにジュースを進める。

「ありがとうございます。頂きます」

 波布さんはニコリと微笑み、コップを受け取る。実に綺麗な姿勢でジュースを飲んだ。

「とてもおいしいです」

「あ、あら、そう?良かった」

 心なしか母の顔は少し紅くなっていた。どうやら、ジュースを飲む波布さんに見惚れていたようだ。

「じゃ、じゃあ、ごゆっくり」

 母は僕に軽くウインクを飛ばすと、部屋を出て行った。

「素敵なお母様ですね」

「ん……まぁ……ね」

 自分の親を褒められると変な気分になる。どう返せばいいのか分からない。僕はコホンと咳払いをした。

「母が波布さんを部屋に入れたの?」

「はい、本当は雨牛君の負担になってはいけないと思い、このメロンをお渡しして帰るつもりでした。でも、お母様が『是非、会って行ってやって』とおっしゃるので、喜んで部屋に上がらせていただきました」

「そう……」

 笑いながら部屋まで波布さんを案内する母の様子が目に浮かぶ。

「ご迷惑でしたか?」

 波布さんはシュンと悲しそうな顔をする。僕は慌てて「ううん」と首を横に振った。

「そんなことないよ」

「良かったです」

 波布さんはニコリと嬉しそうに笑った。

「でも、あんまり長く居ると波布さんに風邪移るかも……」

「雨牛君の風邪なら、大歓迎です!」

「そ、そう……」

 波布さんはさらに笑みを深める。対する僕は若干、引き攣った笑顔になった。

「雨牛君」

「何?」

「大丈夫ですか?」

 波布さんの言葉に不意を打たれた僕は思わず真顔になった。波布さんは心配そうな視線を僕に向けてくる。

 波布さんが心配しているのは、僕の体の具合についてだけではないだろう。きっと、心理的な不調も波布さんは心配している。

 僕は「大丈夫だよ」と言おうと、口を開く。でも、言えなかった。声を出そうとしても出ない。僕は口を開いた状態で固まってしまった。

「……雨牛君」

 何も言えなくなった僕を波布さんは優しく抱きしめた。

「……波布さん」

 波布さんはポンポンと僕の背中を叩く。僕は目から涙が流れるのを感じた。自分では気が付かなかったが、どうやら波布さんに「大丈夫ですか?」と聞かれた時から泣いていたようだ。

 僕は、ほとんど無意識に波布さんを抱きしめ返していた。

「ねえ、波布さん」

「はい」

「どうして、奏人は自殺したのかな?」

「警察の言った通り、怖くなったのだと思います。これから自分がどうなるのか、不安に思って」

「そう……かな」

「ええ、そうだと思います」

「そっか……ねぇ、波布さん」

「何でしょう」

「僕のせいなのかな?」

「……」

「僕が余計なことをしなかったら、奏人は死ななかったのかな?警察に任せるんじゃなくて、僕が『その力を使って、もう誰も傷付けちゃいけないよ』って奏人に言えばよかったのかな?」

「……」

「波布さん、言ってたよね『奏人は人を傷付ければ、僕が傷付くことに気付いた。だから、奏人はもう誰も傷つけない』って」

「はい」

「だったら、直接『奏人が誰かを傷付ければ、僕が傷付く』って言ってやれば、もう奏人は誰も傷付けなかったんじゃないのかな?」

「……」

「奏人を先輩に謝らせれば、それで十分だったんじゃないのかな?」


 奏人がやったことは、法律では裁けない。裁判で証明できないからだ。だから、僕達は無理やり奏人が法律で裁かれる状況を作り出した。でも、それは間違いだったのではないだろうか?

 奏人のことを本当に思うのなら、もうあいつが誰も傷付けないように、ずっと傍で見ているべきだったのではないだろうか?僕は奏人から逃げたのではないだろうか?


「雨牛君の言う通りなのかもしれません」

 僕の問いに波布さんは静かに答えた。

「警察に任せず、雨牛君がずっと奏人さんを見ていれば、彼女は……彼は死ななかったかもしれません」

「……うん、やっぱり、そう……」

「しかし、雨牛君のせいというのは違います」

 波布さんの口調が力強いものに変わる。

「奏人さんの死は、私に責任があります」

「え?」

「そもそも、奏人さんが法律で裁かれるように誘導したのは私です。ですから、責任は私にあります」

「い、いや、そんなことないよ。元々、僕が波布さんに協力して欲しいって頼んだんだから、責任は僕に……」

「では、二人の責任ということにしましょう」

 波布さんはぎゅっと、僕を抱きしめる腕に力を込める。

「大丈夫ですよ。雨牛君」

 波布さんは慈愛溢れる声で僕の耳に囁いた。


「貴方が抱えている罪の意識は、私も一緒に背負います」


 波布さんの言葉を聞いた僕は少しだけ、ほんの少しだけ波布さんを抱きしめる腕に力を込めた。

「ありがとう」

 僕も波布さんの耳に囁いた。抱きしめ合っているので、波布さんの顔は見えない。でも、きっと彼女は満面の笑みで笑っているだろう。

 暫く抱きしめ合った後、僕と波布さんはゆっくりと離れた。

「……」

「……」

 僕達はじっと見つめ合う。波布さんはそっと目を閉じ、顔を近づけてきた。唇が数センチの距離まで近づくと、僕も静かに目を閉じた。


「久しぶり!」


 部屋のドアが勢いよく開き、元気な声が耳に届いた。

「お見舞いに来た……よ?」

 閉じていた目をカッと開き、ドアの方に視線を向ける。ドアを開けた人物が、目を点にして僕と波布さんを見ていた。


 ドアを開けた人物の名前は栗鼠山兎。僕が思いを寄せている幼馴染の女の子だ。

 

 固まる栗鼠山と僕。波布さんも栗鼠山に視線を向ける。栗鼠山の後ろから、母がひょいっと顔を出した。

「梅雨、兎ちゃんも来てくれて……あら、あら!」

 僕達の様子を見て、何かを悟った母は「お邪魔だったみたいね」という顔をして、どこかに行ってしまった。

「こんにちは、栗鼠山さん」

 波布さんはいつもと変わらぬ調子で、栗鼠山に声を掛ける。

「えっと、あの、こ、こんにちは……波布さん」

 しどろもどろで、栗鼠山も返事を返す。

「栗鼠山さんも雨牛君のお見舞いですか?」

「う、うん。そう……波布さんも雨牛君のお見舞い?」

「はい、そうです」

「そ、そう」

 気まずい沈黙が降りた。部屋の空気が氷点下まで冷え込む。

「あ、あの……い、今、何をして……」

 栗鼠山は混乱した様子で、僕達に問う。

「あ、あの!」

 僕は、慌てて弁解しようとした。でも、その前に波布さんが口を開く。


「キスしようとしていました」


 部屋の空気が一気に絶対零度まで下がった。


「キ、キス……」

 栗鼠山は何ともいえない表情を僕に向けてくる。

(うがあああ!)

 心の中で僕は絶叫した。

「えっと、違うんだ!これは……」

 僕は、必死に弁解しようとするが舌が上手く回らない。

「そ……そうだったよね。二人は恋人同士だもんね……キ、キスぐらいしても当然だよね!」

「違うから!」

「い、いいよ。誤魔化さなくったって……あ、こ、これお見舞いのケーキ」

 栗鼠山は、ぎこちない動作でケーキの入った紙袋を机の上に置こうとした。でも、机の上には波布さんが持ってきた高級そうなメロンが置いてある。栗鼠山は自分が持ってきたケーキと波布さんが持ってきたメロンを何度か見比べた後、メロンを少し横にどかすと、空いた空間にケーキが入った紙袋を置いた。

「じゃ、じゃあね。波布さん。雨牛君、お大事に!」

 そう言うと、栗鼠山は凄い速さで、僕の部屋から出て行ってしまった。


 ぐったりと首を垂れる僕に波布さんが声を掛ける。

「さて、それでは私もお暇します」

「……うん、じゃあね」

 僕は力なく、手を振る。

「はい、それでは、また」

 波布さんは僕の頬に軽くキスをして、部屋から出て行った。


 栗鼠山と波布さんがいなくなると、僕は布団の中で盛大な溜息を吐いた。

「はぁああああ!」

 どうしよう。栗鼠山に誤解されてしまった。布団の中で、頭を抱える。何時も波布さんのキスは拒否していたのに、どうして今回は……!

(あああああああ!)

 後悔と恥ずかしさが、一気に押し寄せてくる。僕は、暫くの間布団の中で悶えていたが、いつの間にか眠っていた。


 夢の中に奏人が出て来ることはなかった。



 栗鼠山兎は混乱していた。雨牛の見舞いに行ったら、そこには、波布光がおり、雨牛とキスをしようとしていた。

 以前、雨牛は波布との交際を宣言した。それもクラス中に聞こえる大きな声で。学校でも有名人である波布が交際しているという話は、あっという間に学校中に広がった。

 雨牛と波布の交際を聞いた人間の反応は様々だった。

 二人の交際を純粋に祝福する者もいれば、からかう者もいた。『釣り合わない』と言って反対する者もいれば、全く興味がない者もいる。


 雨牛と波布が交際するということを聞いた栗鼠山が最初に思ったのは……。

 

 その時、栗鼠山のスマートフォンが鳴った。栗鼠山は鞄からスマートフォンを取り出す。知らない番号から電話が掛かってきていた。

(誰?)

 知らない番号だったので、少し迷ったが栗鼠山は電話に出ることにした。

「はい、もしもし?」

「もしもし、栗鼠山さんでしょうか?」

「はい……あの、どちら様ですか?」

「失礼しました。私です。波布光です」

「えっ?」

 栗鼠山は驚いた。波布がどうしてこの番号を知っているのだろう?いや、それよりも何の用だ?

「あ、あの……一体、何の用……」

「突然の電話、申し訳ありません。明日の放課後、お時間は開いていますでしょうか?」

「明日?」

「はい、栗鼠山さんとお話したいことがあります」

「私と?」

「はい」

 どうしようかと、栗鼠山は悩む。そんな栗鼠山に波布は言った。

「話したい事とは雨牛君のことです」

「雨牛君?」

「はい、彼の今後についての話です」

「……電話じゃ話せないの?」

「はい、直接お話ししたいです」

「……分かった。いいよ」

「ありがとうございます。では、また明日の放課後」

「うん、また明日」

 挨拶を済ますと、波布と栗鼠山はほぼ同時に電話を切った。


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