首
僕は確かに波布さんを疑っている。『白い大蛇』そして、屋上に現れた波布さん。僕は、波布さんが『シロちゃん』を使って先輩を襲ったのではないのかと考えた。
でも、その一方で違うかもしれないとも考えていた。
考えてみれば、先輩を襲っていた『白い大蛇』が波布さんの中にいる『シロちゃん』だと確定したわけではない。『白い大蛇』が波布さんの中にいる『シロちゃん』だけだとは限らない。他にも同じような『白い大蛇』がいるかもしれないのだ。
もし、『白い大蛇』が何匹もいて、その性質が個体によって違うとしたらどうだろう?
例えば、波布さんの中にいる『シロちゃん』は人間の体の中に隠れて捕食を行うタイプで、先輩を襲った『白い大蛇』は、人間の精神を別の空間に閉じ込めて食べるタイプだったとしたら?
そう考えれば、波布さんが現れた直後に僕が元の場所に戻ってきたことにも説明が付く。あの『白い大蛇』は波布さんの中にいる『シロちゃん』を恐れて、あの奇妙な空間を解除した。僕があの『白い大蛇』に食われることなく元の場所に戻ることが出来たのは、波布さんのおかげかもしれない。
食べられた先輩が無事だったのも、食べられた直後にあの空間が解除されたからじゃないだろうか?もし、あの空間が解除されず、ずっと『白い大蛇』の腹の中にいたら、先輩はどうなっていたか分からない。
波布さんには常に見え、そして、何故か時々僕にも見えるようになった『奇妙な生物』。それについて、僕は何も知らない。
果たして、先輩を襲ったのは、波布さんだったのか?それとも、別の『白い大蛇』だったのか?それが分かる方法はないものかと、暫く考えた。でも、僕のポンコツな脳みそでは、いくら考えても良い方法が思い浮かばなかった。
僕は思い切って、波布さんに話を聞いてみることにした。先輩を襲ったのが波布さんなのかどうかが分かるまで、彼女との接触は避けるつもりだったが、仕方がない。
まずは、波布さんに『君が先輩を襲ったの?』と聞いてみる。もし、波布さんが本当に先輩を襲ったのだとしたら、何かしらの反応を見せるかもしれない。
そして、もし、波布さんが先輩を襲ったのではないと確信できたなら……僕は波布さんに、協力を得るつもりでいた。
「……と、雨牛君は考えていたのですね」
波布さんは優しい微笑みを僕に向ける。対して、僕は馬鹿みたいにポカンと口を開けたままの状態で固まっていた。
「……うん、そうだよ」
波布さんは僕の話を聞いただけで、僕が考えていたことを全て当ててしまった。最早、笑うしかない。
「もしかして……心の中が読めるの?」
恐る恐る聞いてみる。もし、「はい、そうです」なんて言われたらどうしようかと思ったが、波布さんは首を横に振り、「いいえ」と言った。波布さんによると、心の中を呼んでいる訳ではなく、相手の表情や仕草などから相手が何を考えているのかを予測しているのだという。それは、それで凄い。
「でも、雨牛君の考えている事でしたら、全て理解できる自信があります」
「そ、そう……」
真顔の波布さんに、僕は顔を思わず引き攣らせた。
「それで……なんだけど」
「はい、まずは誤解を解こうと思います」
波布さんはゆっくりと、自分の胸に手を添えた。そして、真っ直ぐ僕を見る。
「私は、『シロちゃん』に鰐淵先輩を襲わせてはいません」
「……本当に?」
「はい」
「……」
僕を見る波布さんの目は、とても綺麗だった。嘘を付いているとは到底思えない。
(だけど……)
波布さんを信じるかどうか僕は迷った。そんな僕を見ながら、波布さんは口を開く。
「では、証明しましょう」
「え?証明?」
「はい、雨牛君が見たという『白い大蛇』。それが『シロちゃん』ではないことを証明します」
「できるの!?」
思わず声が大きくなる。僕が屋上で見た『白い大蛇』と波布さんの中にいる『シロちゃん』は見た目や大きさに違いはなかった。少なくとも僕にはそう見えた。
それなのに一体どうやって?
「放課後、お時間はありますか?」
「う、うん。あるけど……」
「では、放課後お付き合い下さい」
「どこかに行くの?」
「はい、とある廃墟へ。そこで雨牛君が見たという『白い大蛇』が『シロちゃん』ではないことを証明します」
放課後、僕と波布さんは、今は使われておらず廃棄となっている建物の中にいた。この建物は廃墟されて間もないらしく、建物の中にはまだ物品が所々残っている。どうやら、何かの会社が入っていたらしい。
「勝手に入っていいの?」
「はい、大丈夫です。この建物は私の物ですので」
「え?」
「買ったんです。半年ぐらい前に」
軽い頭痛がした。そう言えば彼女は高校生にして既に金持ちだった。
「い、幾らぐらいしたの?」
「そうですね……」
値段を聞いた僕はまたしても頭痛を覚えた。この額を僕が稼ごうと思ったら、何十年働けばいいのだろう?
「こちらです」
波布さんは僕を建物の奥へと案内する。どうして波布さんはこんな廃墟を買ったのだろう?そして、どうやってあの『白い大蛇』と『シロちゃん』が別だと証明するのだろう?
疑問を覚えながら、僕は彼女の後に続いた。
「ごめん!」
僕は直角に腰を折り、波布さんに謝った。
確かに、僕が屋上で見た『白い大蛇』と『シロちゃん』とは別の個体だ。先輩を襲ったのは波布さんではなかった。波布さんはそれを証明した。
「本当にごめん!」
僕はさらに腰を曲げて謝る。
「顔を上げてください」
僕は顔を上げる。波布さんは優しく微笑んでいた。
「私は気にしていませ……」
波布さんはそこまで言うと、突然黙った。そして、何かを思いついたように口を開く。
「雨牛君」
「う、うん」
「私は傷付きました」
「え?」
「私は傷付きました」
「ええ?」
あれ?今『私は気にしていません』って言おうとしてなかったっけ?
「え……あ……ごめ……」
「ですので、賠償を要求します」
「ば、賠償!?」
波布さんの思わぬ発言に声が裏返ってしまう。でも……仕方がない。やってもいないことを疑われるのは、結構傷付く。僕だって、やっていないことを疑われたらかなり嫌な気分になるだろう。
波布さんが賠償を求めるのなら、それに応じなければならない。といっても、あまり大きな金額は払えないが……。
「い、幾ら?」
「いえ、お金はいりません」
その言葉に、ほっとした。でも、波布さんの次の言葉に僕は凍りつく。
「キスが欲しいです」
「また!?」
波布さんは、この前もキスして欲しいと言ってきた。あの時は、波布さんの中にいる『シロちゃん』のことを教えてもらうための交換条件だったが……。
「……駄目……ですか?」
「うぐっ!」
波布さんは、少し潤んだ目で僕を見る。その目が胸にチクリと突き刺さる。
「……分かったよ」
今回は、僕が悪い。波布さんがキスを望むのならキスするしかないだろう。
「でも、頬にだからね!」
前は、頬にキスしようとして無理やり口にさせられた。今回はあらかじめ、頬にすると宣言しておく。
「……口には」
「駄目!」
「どうしてもですか?」
「だ、駄目!」
「私は傷つきました」
「うっ」
「それでも……駄目ですか?」
「う……だ、駄目!」
確かに今回は僕が悪い。それでも、口にキスをすることは出来ない。
「分かりました……では、首にしてください」
「え?首?」
「はい、首ならばいいでしょう?」
首……首かぁ。まぁ、首なら……いいか?
「では、どうぞ」
僕の返事を待たず、波布さんは首を横に傾けた。
「じゃ、じゃあ……」
僕は波布さんの首に顔を近づける。波布さんの首筋は白く、肌はスベスベしていた。なんだか……とても色っぽい。
そう思ったとたん、心臓がドクンと大きく高鳴った。まずい、軽くキスするつもりだったのに意識したら心臓の音がどんどん大きくなってきた。ゆっくりとしか、顔を首に近づけられない。
ドクン、ドクン、ドクン。
張り裂けると思う程、心臓の動きが大きくなる。波布さんの首まで、あと数センチの距離に近づいた。
(ええい!)
僕は目を瞑ると、意を決して波布さんの首にキスをした。チュという音が耳に届く。僕の唇が首に触れると波布さんは「あっ」と小さな声を漏らした。
あまりに色っぽい声に驚き、僕は後ろに大きく跳んだ。顔がマグマの様に熱く、心臓の音が太鼓の様にうるさい。
「こ、これでいいでしょ?」
声を裏返しながら、僕は叫んだ。波布さんは僕が唇を付けた部分を優しく触る。
「はい、ありがとうございます」
頬を紅くしながら、波布さんは嬉しそうに笑った。
「波布さん、僕に協力して欲しい」
顔の赤みが引き、心臓の音が静まるのを待って、僕は波布さんに協力を要請した。
「私は、何を協力すればいいのですか?」
僕が協力して欲しいことを見抜いた波布さんなら、何を協力して欲しいのか分かっているはずだ。きっと、確認のつもりで聞いているのだろう。
「僕はこの事件を解決したい。そのために協力して欲しい」
「……」
波布さんは、少しの間何かを考える。
「雨牛君」
「うん」
「雨牛君も分かっていると思いますが、この事件、警察は解決出来ません」
「……うん、そうだね」
僕はゆっくり頷く。『学校に飛ばされて、そこにいた白い大蛇に先輩は襲われました。元の場所に戻った先輩はパニックになり、事故に遭いました』なんて話、信じてもらえるわけがない。万が一、いや、億が一、信じて貰えたとしても、現実では起きていないことを警察は捜査することが出来ない。警察では、この事件を解決することが出来ないのだ。
「だから、僕が解決させる」
僕は拳を強く握る。
「放っておいたら、また先輩と同じ様な目に遭う人が出るかもしれない。そんなことにならないように、この事件を解決する」
「雨牛君の考える解決とは、なんですか?」
波布さんはじっと僕の目を見る。まるで、僕の真意を探る様に。
「まず、あの『白い大蛇』が野性のものだとしたら、どうにかして退治する。無理なら何とか人間を食べないようにする。そして……」
僕は、さらに拳を強く握る。
「もし、あれが『人間』の仕業だとしたら、鰐淵先輩に謝罪させて、二度と誰も傷付けないようにする!」
先輩を襲った『白い大蛇』が波布さんの『シロちゃん』ではないとしたら、あの『白い大蛇』は何なのだろうか?考えられるのは二つ。
一つ目は、先輩を襲った『白い大蛇』が野性の『奇妙な生物』であった場合だ。
そこら辺を這いずり回っていた僕達には見えない『白い大蛇』がたまたま、先輩を喰おうと思って襲い掛かった。僕と波布さんは、それに巻き込まれて先輩と一緒に学校に飛ばされてしまった。
二つ目は『白い大蛇』が誰かに操られていた場合だ。
あの『白い大蛇』は、波布さんの『シロちゃん』と同じように、誰かの体の中に普段は潜んでいるのだとしたら……波布さんは『シロちゃん』に言うことを聞かせることは出来ないと言っていたが、他の『白い大蛇』がそうであるとは限らない。何らかの方法で『白い大蛇』を操れる方法があるのかもしれない。
「雨牛君」
「うん」
「私はこの事件……『人間』の仕業の可能性が高いと考えています」
「……うん、僕もそう思う」
あの『白い大蛇』が野性の『奇妙な生物』だとすると、波布さんに見えなかったのはおかしい。でも、『白い大蛇』が誰かの中に隠れていたのだとすれば、波布さんが気付かなくてもおかしくはない。
「ねぇ、波布さん」
「はい」
「もし人間の仕業だとしたら、誰がやったんだと思う?」
「……」
波布さんは珍しく、一瞬迷うような表情になった。しばしの沈黙の後、波布さんはある人物の名前を口にした。
「そう……」
此処に来る前、僕は波布さんを疑っていた。でも、実はもう一人疑っている人物がいた。仮に先輩を襲った『白い大蛇』が波布さんの中にいる『シロちゃん』ではなく、野生の『奇妙な生物』でもないとしたら、『白い大蛇』は、あの人物の中に隠れていた可能性が高い。
その人物がもし『白い大蛇』を操れるのだとしたら、その人物こそが先輩を襲わせた。犯人だということになる。
波布さんの口から出た人物の名前、それは僕が疑っている人物の名前と同じだった。
「波布さんは、あいつを疑っているんだね?」
「はい、雨牛君と同じく」
やはり、波布さんに僕の考えはお見通しの様だ。
「じゃあ、やっぱりあいつが……」
「はい」
波布さんは、真っ直ぐ僕を見る。
「私は、彼女が鰐淵先輩を襲ったのだと考えています」