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続か
『不死』
読んで字のごとく、死が無いという意味を持つ単語。
しかし、これを単語としてでは無く特性として見るとどうだろうか?生きとし生ける者は全て、いずれ死を迎える。これは揺るがぬ摂理であり真理である。故に『不死』を持つ者達は厳密に言えば不死ではない。そういった者達が『不死』と言われる由縁は驚異的な再生能力、傷一つ付けられない鋼のような肉体、どんなに深い傷や致命傷を負っても生き長らえる生命力等、多々ある。これらのアドバンテージが彼らの死を遠ざけているに過ぎない。
この世界で『不死』の存在と言えば吸血鬼だろう。始祖ツェペシュから始まり、連面と続く夜の者達。その中でも十人しか存在しない『真祖』達を置いて『不死』は語れない。その再生能力は聖遺物によって付けられた傷ですら癒し、圧倒的な力で敵を滅ぼす。まさに夜の王と呼ばれるに相応しい存在である。
だが、そんな『真祖』達も死なない訳ではない。全ての生命には死という終わりがある。この真理は人知を超える力を持つ『真祖』達にも適用される。強力な聖遺物や礼装、法儀礼が施された対真祖兵装、聖剣。彼らを死に追いやる手段はいくらでもある。
さぁ、ここまで話してきて分かっただろう。どんなに強大な存在でも生命には『死』が存在する。完璧な『不死』なんて存在しない。それが私が見つけた真理だ。
だが、もし完璧な『不死』が存在するとしたら。それは────
────それも一つの真理と言えるだろう。
それと同時にその存在はもう一つ、興味深いことを教えてくれる。真理が複数存在し、それが互いを否定し合う物。それってどう考えてもおかしいだろう?本来世界の根幹を成す真理が複数存在していて、わざわざその根幹を崩すようなことをしているんだ。そんな存在は一種のバグか、それとも根幹自体が歪んでいるかだろう。そんな生命は本来存在する筈無いのだから。
まぁ、私個人の意見を言わせてもらえばそんな存在生命じゃない。哀れな副産物だよ。
彼女の言葉は今でも覚えてる。完全な『不死』は生命ではない。哀れな副産物。彼女がそう言うのも無理は無い。彼女は生命が好きで、真理を見つけた魔術師で、それに沿って発言しただけなのだから。
彼女が今の俺を見たらどう思うのだろう、とふと考えることがある。今となっては俺が彼女に会うことは永遠に出来ないし、彼女が俺を見ることも──死後の世界なんて物があれば別だろうが──出来ない。だが彼女が俺を見たなら、きっとおぞましい物を見る目で俺を見るのだろう。昔のような目では見てくれないだろう。それでも彼女の墓に花を供えるのは何故だろう。俺は何を思いながら今、彼女の墓の前に立っているのだろう。疑問ばかり浮かんでは、頭の中で破裂して消えていく。磨り減った心ではまともな答えも出せずに、墓石をただ見つめるだけ。今となっては彼女の顔を思い出すのも一苦労だ。
「王、そろそろ……」
控えてた部下の声がした。頭の中の靄が晴れていく。今日は彼女の顔を思い出せなかった。きっともう限界なのだろう。そう思うと少しだけ胸の奥に痛みを感じた。聖遺物や対真祖兵装、聖剣でも痛みを感じなかった。それなのに、こんなことで痛みを感じる。その事が可笑しくて、馬鹿馬鹿しくて、少しだけ哀しくて。彼女の墓を嘲笑った。
「行くぞ、ベーヴェルシュタム」
もうここに来ることは無いだろう。彼女もこんな存在、見たくもない筈だ。生前彼女がゴミと言った存在よりも遥かに酷い、見るに耐えない存在だ。今日という日を境に俺も彼女を忘れるだろう。それで良い。戻ることも終わることも出来ない。歩みを止めることは許されない。何処へ向かっているかも分からずに、常に何かを磨り減らしながら歩き続ける。末路なんて物は無い。
足元で黄色い水仙が揺れた。
ない?