第四話:赤毛の山姥
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「おい、昨日の給食どうよ?食えたか?」
雨が地面を打つ中、舗装もしていない土の道を走る輸送車を運転する中年の男性は何気ない顔で助手席にいる同僚に話しかけける。
「ん?ああ。仕事が忙しくて諦めてファストフードで済ませたよ。何かあったのは知り合いから聞いたがな」
助手席の細い声が眠たそうに答えた。
「そうか。その方が良かったよ。鶏の揚げ物が全部ちゃんと揚がっていなくてさ。衣が粉っぽいし肉は硬いわ散々だった」
「まあ、それだけで済んだからいいじゃないか。前なんか研究開発の野郎が勝手に給食に新開発のレーションぶち込んでいて食った奴らほとんどがトイレに直行さ」
「あー覚えてる。栄養補給の理論値は完璧なのにとか言ってたな。そりゃあ科学薬品合成の塊を食ったらな、栄養が効率よく吸収できるかどうかの話じゃないだろうに」
「あいつら。普段何食ってんだろうな」
「さあな。ケミカルバーガーじゃないか?」
運転席には2人は面白おかしく笑う声が響いた。
「それにしても第四支部の奴ら、そうとう気がたっていたな」
運転手の男性は今日の様子を思い返す。本部に輸送する荷物を輸送車へ詰め替える間、建設中の施設がどんなものか拝見していたが…皆機嫌が悪かった。
「今日の早朝に北部防衛線から機人に突破されて、そいつがこの近くで行方をくらましたんだとよ」
答えは、助手席の男性の口から飛んできた。
「成程な。…そいつは恐ろしいな」
「だが随分と手負いらしい。もう死んでるかもな」
「あの北部防衛線を突破したんだ。くたばらなかっただけでも褒めていいと思うけどな」
「はっ、笑わせるね。クズを褒めてもしかねえだろ」
滑稽だとはははっと笑い返す助手席の男。運転手の男は軽く受け流しながらハンドルを握っていた。
「…そろそろじゃないか?」
話を持ち出したのは助手席の男の方からだった。
「何が?」
「ほら。あれだよ、知らないのか?赤毛の山姥」
「そういや、あったなそんな話。ただの噂だろ?仕事仲間がよく言ってるよ。あいつのせいで減給されたって」
第四支部から本部に行くのに山を何回も越えなければならないのだが、問題は最初の山、つまり繁華街から抜けたばかりの所にあるこの山にはとある噂が立っていた。
赤毛の山姥が襲ってくる。
被害にあった仲間から聞いた話によると、本部へ輸送する時にそいつは度々現れるという。大体半年前からだろうか。
たき火のような小さい炎がチラッと見えたかと思うと。一瞬で大きくなり、目の前が炎で包まれて車が横転し、気が付いた時には中のものが漁られていたという。体躯は赤い髪の子供だが、動きが人間離れしているらしい。
しかし、何故襲うのか。目ぼしいものは全く積まれていないっていうのに…。
出発前に積まれているものを確認したところ。基地内で出た使用済みの薬莢と医薬品、あとは活動報告書や発注書の紙束が入った段ボール箱しか入っていなかった。
薬莢ならともかくな…と納得のいく考えが出なかった運転手の男性。
「ただ今回ばかりはその山姥さんも出てきたら、運が無かったと思うぜ」
そう言った運転手は後ろについてくるものに呆れた様子で前後を確認した。
今までこういう仕事は数多くこなしてきた二人。だがあれが随伴してくるのは初めてだった。
車両とは違った駆動音が雨の音と交じっていた。
―――量産型二足歩行汎用戦闘機〈童子〉。ガスと電気のハイブリットダービン搭載し、二足歩行により車輪では到底進入不可能な地形に導入する事が可能。背部のブースター四基による高機動。そして、量産型故に改造換装が簡単で幅広い。
それが前後四機。60ミリ口径のアサルトライフルを携行している。二人にとっては恐怖でしかない。
「やっぱりおかしいよなあれ。連中らに聞いても貴様らに教えるものはないって一点張りでさ」
助手席の男は被りを振る。どうやら機密事項で自分達には一切の事情を知らされていない。ただ間違いなく段ボールの中に何か仕込んでいる。
「俺達のお守りをするならせめてもうちょっとマシな入れ物に納めろよな」
頭隠して尻隠さずはまさにこの事だろう。運転手は粗末な重機甲兵団の行動に対し不平を言う。
『無駄口を叩くなら辺りを警戒しろ下っ端風情が』
四機の内の隊長機が車の通信機器から割り込んで入ってきた。
「はいはい。すみませんね」
運転手は適当に謝る。
そろそろ山を抜けそうだ。今回は流石に襲ってこないだろうと安堵していた時だった。
最初は何か…ライトの光かと思った。だが…その二つの光は獲物を捉えたかのようにゆらりと揺れ、闇に曲線を描きながらこちらに凄然なスピードで迫ってきた。
「クソっ出やがった!」
助手席の男は叫ぶ。
『総員戦闘準備!迎撃しろ!』
『了解!』
車両の通信機器から童子の乗り手達の張り詰めた声が飛び交っていた。きっと、再びこっちが自分の悪口を言わないか接続を切らずにいたのであろう。
直後、耳に響く発砲音が何発も響いた。両手でやっと収まるぐらい巨大な薬莢がぬかるんだ地面に落ちる。
その砲弾ともいえる大型の弾丸は射線先の木々を容赦なく粉々にする。だが、標的は銃撃の網をかいくぐり、あっという間に一機の童子の目の前に来た。
『…ヒッ』
そんな短い声が聞こえた。
その瞬間。山姥は何か――身の丈程もある大太刀を振るった。太刀筋は見えない。ただ理解できたのは、仄かなオレンジ色の光の一閃が見えた時には、三階建てビル相当の童子の巨体が横真っ二つになっていた事だ。
通信装置からブツンッと耳障りなノイズが走る。運転手は舌打ちをする。
「クソっ飛ばすぞ」
『駄目だ。我々の任務が遂行できなくなる!』
「ナマ言ってんじゃねえ!足はこっちが速いんだよ!お前らに合わせてたまっかよ」
『その場合は貴様らを命令違反で射殺するぞ』
「………勝手にしろ」
「おいっ何言ってんだよ!死にたくねえぞ俺」
助手席の男が泣きそうな顔で騒ぎ立てる。そうか。お前もそう言うのか。
全くどうしようもない集まりだなここは…と腹が立った。
ハンドルを強く握るが、アクセルを強く踏まず、残り三機となったお守りに合わせるしかなかった。
銃撃はまだ続く。しかし、一向に終わる気配を見せない。あの山姥の動きは曲線に直線に緩急をつけギリギリで回避する。嘲笑うかのように大太刀を軽く振るう。
『ギャアオアアァァ――』
一体が斬られた。隊長だ。―――残り二体。指揮官を失った隊員は怖気づき始めた。
「ここまでだな。突っ切る!」
「お、おい。待―――」
既に聞く耳は持たず。運転手は今度こそアクセルを思いっきり踏む。
『に、逃げるななな!』
「ッ!?馬鹿野郎!とち狂ったか!」
まともな判断力を失った隊員は輸送車に向かってアサルトライフル発砲してきた。
この輸送車はそれなりの厚みのある装甲を持っているが、60ミリ口径の弾丸など食らったらひとたまりもない。飴細工同然。簡単に穴だらけだ。
「―――ッ!」
運転手は巧みにハンドルを切り、銃弾を避け、あるいはぎりぎり掠る程度で躱す。
「死にたくない…死にたくないっ」
「黙ってろっ!」
運転手が怒鳴った時だった。
猛スピードで走っていた車両がいきなり停止し、慣性の法則で強い衝撃と圧力が身体にのし掛かる。身体が鞭打つように前へ倒れ込む。
「クッちくしょう何だ?……!おいっしっかりしろ」
助手席の男を揺さぶるがピクリともしない運転手は顔を上げ、前を見た。
ギラついた眼光が運転手の瞳に焼き付いた。
山姥は片手で輸送車の行く手を阻んでいた。襲撃に備え特殊に改造した3トンもある装甲車両を。
その光景を捉えた運転手の男性は思った。見るに間違いない。
そいつは笑っていた。 炎を纏う焦げ付いたような黒鋼の双腕、燃える焔刀。
「――こ、この化物……―――」
直後爆発が起き、車両が宙を飛んだ。運転手の意識はそこで途絶えた。
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「ふう。これかな?」
目標を見つけてからは呆気なかった。童子が付いていたが全部倒した。全く相手にならなかった。必要な資料も直ぐに見つかった。まさか段ボールに隠しているとは思わなかった。安直すぎて思わず苦笑いをしてしまった。
「これならちょっと気合入れる必要なかったねー」
赤髪の竜人少女焔終は横転した輸送車の上に立っていた。
雨が彼女を濡らそうとするが、彼女の周りを膜のようなものが覆ってあり、それに触れた雨は次々と蒸発していく。
現に焔終は先の戦闘から今に至って一度も濡れていない。
「……ええとなになに…第四支部の建設目的はルプトニウムの体外注入による親和と効果を検証するための重要施設として建造されており施工開始から1年半…―――ううーん確かに大事っちゃ大事だけど、わっちが欲しい情報じゃないね」
その紙の束に焔終にとって目ぼしい情報は特になかった。
今回も空振りで終わってしまった。
早く帰ろうと踵を返した時だった。
「流石といいましょうか。二年経っても腕は衰えていないですね」
「―――!」
何だ?この身体を透き通るようで凍えた薄気味悪い声は。
でも、どこかで…。
それは闇の奥深くから発せられたものだった。その正体が焔終の目に映る。
…―――ああ、これは夢か?
あり得ない事とは何だろう?
例えば、死んだ人間が生き返ることは実に不可解な現象ではないだろうか。
「……夜明、ちゃん?」
目を見開いた。何度瞬きをしてもこの情景が変わることはなかった。
「はい。お久しぶりです。元輝石渡航の旅団のメンバー焔終さん。早速ですが――」
その少女はニタリと腹の底まで冷えかえる笑みを浮かべ。
「死んでください」
閃光と硝煙、静かすぎる炸裂音。
雨と闇に紛れた少女は、サイレンサーで消音効果を高めたドラムマガジンの散弾銃を焔終に向け発砲。フルオートで発射された散弾は一瞬で弾幕の嵐と化す。
「……わっちにそんな豆鉄砲は効かないよ」
義腕に再び炎が点き先程より激しく燃え上がる。すると、彼女を包む膜も一層光輝いた。
弾丸は焔終をズタズタすることはなく、膜に触れた途端一瞬で蒸発する。
「やはりですか…。ではもう少し本気を出してみましょう」
銃撃は止んだ。が…その後闇から一瞬キラキラと輝く何かが見えた。
「――――ッ!!」
焔終は危険を察知し、咄嗟に上へ飛んだ。
直後。輸送車がバラバラに切断された。
「何だ―――!?」
その細く仄かに輝くものは間違いなく彼女の攻撃で、確実に焔終を狙っていた。
先程と同じく膜で防御する。―――が。
ピッ――と焔終の頬が切れた。焔終は僅かに顔をしかめる。
推測するに今襲っているのは鋼糸だ。しかも、極細でありながら耐熱性と耐久性が極めて高い。
「炎壁で防ぐのがめんどそうだ」
焔終は大太刀を握っている右手に力を込める。熱が収束し、刀身がオレンジ色に煌めいて。
「出力三パーセント。刀身温度――対象の推定切断温度到達」
空中で中腰になり、凄まじい熱を帯びる刀身を腰に構える。
「『熾刀閃――壱の太刀』」
炎壁の防御を破った触れたものをいとも簡単に切断する鋼糸が目前に来た時、焔終は刀を抜き放った。
炎の軌跡が描かれる。その曲線は夜明と呼ばれる者が操る鋼糸を断つ。焔終の周りにキラキラとしたものが力なくゆっくりと落ちていく。
「これでも駄目ですか。やはり焔終さんは強いです」
称賛とも取れる声が闇夜から聞こえた。
「そろそろ出てきなよ。それとも、まだやるつもり?」
「いいえ。さっきのはほんのちょっとした挨拶です。もう十分です」
そして、現れたのが漆黒の軍服を着た少女だった。深みのある紅いの瞳。高価なシャンプーを使っているであろう艶のあるショートカットの紫髪。前髪は切り揃え、左右一房ずつ青と赤に染まっていた。首には、オシャレにしては少し無骨な装置が組み込まれたチョーカーが取り付けられていた。
「へえ、夜明ちゃん軍に入ったんだー」
「はい。今はある特殊部隊の隊長を務めさせてもらっています」
微笑ましく話す夜明。この丁寧口調、優しい声そしてその微笑は紛う事なき、死んだと思った夜明その者なのに、何故か寒気がする。少女の体躯には似つかわしくないフルオートショットガンを片手で悠々と持っているからだろうか。
違う。もっとあの子の根本から吹き出てくるものに拒否反応を起こしている。
「…もしかして、『登龍門』ってとこじゃないのかい?」
「ご明察です。やはり分かってしまいますか」
「久しぶりの再会で嬉しいよ夜明ちゃん。何故君が生きているのか知りたいね。その経緯を教えてほしいなあ」
軽い口調とは裏腹に、焔終の頬には冷や汗が流れる。ゾンビみたいな死人もどきなら数えきれない程大勢倒してきた。機屍というのは人を媒介として肉体を形成している化物である故に感染者の生死など問う必要が皆無だったから遠慮なく討伐できた。
だが今回は違う。死人もどきじゃない。この目に誓って言える。
彼女は生きている。
二年前にあの子たちと一緒に貴谷が天国へ送ってあげたはずなのに。
「それはまだ秘密にしておきます。それは置いといて、焔終さんに渡したいものがあります」
夜明はごそごそと後ろを探ると、取り出したのは黒のUSBメモリーだった。
「パソコンは持っていますか?この中には、本来あの輸送車に輸送されるはずだった第四支部に関する機密書類のデータが入っています」
「成程、これは囮で、夜明ちゃんが本命だっていう事か」
「はい。私が急遽職員に頼んだのです。随分と不機嫌な言い返しをされました」
「それをわっちに見せてどうするつもりかな?」
「それは……こうします」
そう言うと夜明は焔終に向け、ポイッとUSBメモリーを投げた。
「――ちょ、まっ…――ッ!くっ『義腕炉出力停止』!」
迷ってる暇はない。
たちまち炎の勢いは弱まり、黒鋼の双腕は蒸気を吹き出しながら冷やしていく。
常温まで下げた義手で掴んだ。USBメモリーは無事だった。
少しだけ、ホッと安堵する焔終。
「それは、あなたにお渡しします。…しかし随分とその情報に執着していますね。私がやろうと思えば、あなた今死んでいますよ」
「わっちに何故これを?」
「…それを知ればあなた…いや、あなただけじゃない、貴谷も必ずあの基地を破壊することになるでしょう。私はそれを望んでいます」
「へえ、それはどうかな?わっち達が長年過ごしたあの思い出のある家を簡単に諦めようと思っているとか考えてないよね?」
「やはり焔終さんはあの基地の奪還を企てているのですか?」
愚問だなと言い放ってやりたいかのような口ぶりで焔終は答える。
「まあ、そういうことになるね。それだけじゃない。あの二年前の事件の首謀者を見つけて灰も残さず焼いてやる」
「それは、やめた方がいいですよ。もうあの基地は焔終さん達が知っている基地ではないですから」
「それって、どういう…」
「ふふ、知りたいならばそれを見ればいいです」
夜明は笑う。これから起こるであろう変化が必ず起こると確信して。
「ねえ!夜明ちゃんは一体何をしたいんだいっ?」
焦りを隠せない焔終。その問いに微小を浮かべながら答える事はなく―――。
「さあ、それはまた今度に。ですが、次から会う時は敵同士です。それまでじっくりと作戦を練ってください」
夜明はフラッシュグレネードを自分の前に投げた。
突如の閃光。焔終は目が眩み、腕で覆い隠す。
閃光が消えて、目が正常に回復した時。夜明の姿は音もなく消えていた。
「……夜明ちゃんが……生きていた…はは…は――」
雨が地面を叩く残響が焔終の耳に小うるさく響く。
結局は瑞華の約束は果たせず全身を雨で濡らすが、右手で持ったUSBメモリーはしっかりと握って雨から守っていた。
だが、焔終は思う。
自分が握るべきは、あの子の手ではなかったのだろうか。
「……刃開、わっち……やっぱり、人間向いてないよ」
ここにはいない誰かの名前を呟く。
この期に及んでまだこの事を貴谷に話そうか、迷っている。
もしかしたら、話したら記憶を思い出して立ち直ってくれるかもしれない。
人探し程度では気が済まないようなちょっぴり強引な所がある、あの頃の彼が戻って来るかもしれない…。
馬鹿なことをしてしまった。自分の無謬性のなさを呪った。
また自分は…手を放してしまった。手がいっぱいでもそれでも掴み続けようと足掻こうとせずに。掴めるのを知っていて尚それをしなかった。
「わっちは、貴谷ちゃんが失ったその強欲さが……欲しかった」
焔終は後悔していた。
これで二度目だ。最初の一回は世界で一番大切な友達であり母親であり、刃開の妻だった人を大戦で失った時だ。
上を見上げた空は雲が掛かり、星明りの光は何処にも見えず、そこにあるのはどこまでも落ちていけそうな無限の闇だった。