第二話:少女とおでん
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貴谷達が住んでいる山のふもとには、まるで海ようなとても広い湖があり、山と湖の間には繁華街があった。
湖から少し強めの涼しい風が毎日吹いてくる港町。和風建築の建物が密集したレトロな街並み。石畳で舗装された小奇麗な大通り。
この繁華街は島国である極東の中で最も大きく賑やかな繁華街だった。交易で物が次々に運ばれ、人で溢れ返り、人と物が交流し、活気に満ちていた。
―――というのは昔の話。
具体的なら、二年前まではこの話は正しかった。その時までなら、誰かにこの街を自慢しても笑って返してもらえる程に。
なら、今はというと…。その逆だ。
街は荒廃していた。
建物は空き家や空き地ばかり。手入れは全くされておらず、壊れたまま放置されているものもあった。
当時盛んにやっていた交易など今はなく、ただ運ばれてくる物は八雲帝団の施設建造の資材及び様々な火器。それが、頑丈な鉄のコンテナで次々に運ばれてくる。
あの石畳の大通りは無造作にコンクリートが塗られていた。
来る人は店にちょっかい出す軍人やどこからともなくやって来た難民ばかり。
食料も帝団に徴収され、食べる事もままならない。
あまりに廃れていくこの場所に見切りをつけた多くの人が、他の町へ移り住んでしまった。
活気など、とうに消え失せていた。
けれども、わずかではあったがここに留まった人もいた。
雨の降る晩。移動式のぼろ屋台に、食欲をそそる湯気が立ち籠もる。
「ん?雨が強くなってきたねー」
「ありゃ、こりゃあもう客は来そうにないな」
「いやいや、おっちゃーん。そもそも来る客がいないでしょ」
「おっと、嬢ちゃんに痛いとこ突かれたわい」
ははははははーっと笑いあう二人。いや、『人』と呼んでいいのか…。
一方は、中年の男性で筋肉質な体。四肢は毛むくじゃらで首から上はまんまオオカミの姿。ふさふさな耳に茶色の鬣たてがみが目立つその頭は、タオルでねじれ鉢巻きをしていた。この屋台を経営している『獣人』。
もう一方のちょこんと座っている女の子は 腰まである燃えるように輝く赤色の髪。灼熱に光る黄金色こがねの瞳。頭から伸ばす二本の角。カジュアルな上着とチェック柄で腰にチェーンが巻かれているミニスカート。黒と白のボーダーニーソを穿き、茶色のブーツを履いている。華奢きゃしゃな体のわりには豊満な胸を持っており、胸の発育がいい中学生と言ったほうがイメージ的に妥当である。軽薄で大胆な明るい表情を見せるこの少女は、この店唯一の『竜人』の客である。
「あっおっちゃーん。大根一つ」
「あいよー」
冷たい雨が激しく地面を打ち付ける中、ぐつぐつと煮えるおでんが寒さ凌ぎとして活躍する。
「しっかし、嬢ちゃん最近よく来るな。こんな所で何しとるんや?」
「いーやー。ちょっと野暮用があってここを離れられないんだよねー。どうもそれが中々終わらなくてー。そういうおっちゃんこそ獣人でしょ?《獣ノ国》に帰らないの?あっそれとも生まれはそれ以外の場所だったりする?」
「ちゃうよ。わいはれっきとした獣ノ国出身。しかも首都育ちやで。まあ自慢話はさて置き……確かに故郷は大事だからいっぺんぐらい帰ったほうがいいとおもうんやがのー。今《竜ノ国》とケンカしとるから居心地悪そうな気しかせえへんし。わいもこないな年やし、あの戦いで家族は…おっと、湿っぽい話はナシやったな。すまねえ、ハハハッ!」
この世界には多くの種族が生活している。
最も人口が多く文明を繁栄させている『人類』。
血の繋がりを重んじ、圧倒的な五感と身体能力を持つ『獣人』。
自身に内包する莫大な量のエネルギーを使って物質を操る事に長け、他種を純粋な力で圧倒する『竜人』。
種族一の長寿で地脈に流れているエネルギーを引き出す事が得意な『精霊』。
その種族、出生、生い立ち、その他多くの事がまだ謎の中にあり、『魔法』という概念に長けた『魔人』。
さらに。大昔、種族間との争いが絶えなかった五種族の長達はある世界統括機構を作った。
名を『軍神議会』。四百年前から存在しているそれは今も世界の秩序を守るため、社会の基盤として機能している。
その後、同盟を締結したそれぞれの種族は世界各地で新たに国を築きずいた。
多彩な気候が混在する西の大陸を、『血統貴族』が統治する《獣ノ国》。
東の大陸にある、広大で荒れ果てた活火山地帯の島を『古竜王』が統治している《竜ノ国》。
古代の自然が残り、遺跡が数多く点在する南の大陸にある《魔人ノ国》と《精霊ノ国》。
《人類》は東の大陸、西の大陸、南の大陸、北の大陸、極東、ブリニッツ、セントラルに軍神議会の旗のもとである統一首都を作った。
そして。新しき国がもう一つ。
四十三年前の『大厄災』に誕生し、今は世界から迫害を受ける『機人』は北の大陸の北方にある天征大戦の決戦跡地に独立国家を作った。
それが機人の意思を鼓舞する事となった。
特に、『七戦姫』という存在が国を一段と強固させ、『反抗戦争』の上で人類はおろか、それに組する竜人や獣人とまともにやり合っている。
「そのケンカの話は巷で聞いたけどわっちのことは平気なの?見ての通り竜人だけど」
おっちゃんは何を言ってるんやとかぶりを振る。
「悪い竜人もいれば、いい竜人もおる。そんなのは分かっとる。ただ、もともと憎くないものが、今あそこに帰ったら憎くなりそうで恐いっちょう話。嬢ちゃんが竜人であろうと関係ないんや。むしろお客として来てるんやで?大歓迎極きわまりない!」
「あははー買いかぶりすぎだよ。おっちゃん」
それにな――、とオオカミ頭の男は優しい笑みを浮かべて。
「消えた伝説の機兵団――『輝石渡航の旅団』。その中にわいの作った味のしけたすき焼きが大好きな奴がおってな…ある日突然解散したって話やけど。わいは訳ありと読んどるんや。あいつらは必ず戻ってくる。その時はこんな大根しかないおでんやなくて、肉たっぷりのすき焼きを振舞うんや。今度こそ美味いやつをな。だから、ここにおる」
それは、切実な願いと自身が持つ矜持が込められていた。
例えこの街に誰もいなくなっても、自分はここで待ち、恩を必ず返す。そんな眼差しで赤髪の少女を見ていた。
「……輝石渡航の旅団…ねえ」
その目を見つめ、耳を傾けていた赤髪の少女は、自身が持つ記憶を辿っていた。
機兵――自身の肉体を機人の血液によって半ば強制的に機械化した兵士。運動能力が五感が飛躍的に向上と機屍の断片と超遺物を融合させた武装『反逆兵器』を扱う事が可能な反面、寿命が短くなるという代償がある。
そして、輝石渡航の旅団――十七年前の大戦《天征大戦》に終止符を打った者達の一つ。この繁華街がかつて極東一の賑わいを見せたのは、その機兵団が一時期ここを主要拠点として活動していたからである。
だが。姿を消したのをいいことに軍神議会はこれを管理者が放棄したものと見なし、所有権を八雲帝団に移譲。現在は拠点跡地に八雲帝団が所持する極東支部第四フォートレスとして新たな施設を建造している真っ最中だ。
湖上に浮かぶ、帰る場所だった家は…見る影が無かった。
……―――。
「おっちゃん。変わりもんだね」
ふつりと思い出したもの全てをひっくるめて軽い口調で笑ってやる少女。
「はっはー。よく目の前の誰かさんに言われるわ」
おっちゃんはすっかりと煮えた大根をすくい、白い皿に乗せる。
「へい、大根お待ちどうさん」
「うん、ありがと――……ん?」
皿を持ったまま、赤髪の少女はふと横を見た。
「お、おちゃ…」
屋台の中にずぶ濡れになった紫色のロングヘアな弱々しい少女がいた。
「まさかの…お客さんっ!?」
この屋台には焔終以外まともな客は滅多に来ない。ましてや子供なんか確実に盗みに来るのが目的だ。
だけど、こんな堂々と、しかも屋台の主人に呼びかけた。やはり、客なのか…。
「おーよしよし。お使いご苦労さん」
どうやら、客ではないようようだ。いや、そうじゃない。ちょっと待て。
よしよし?…え?お使い?
「え、ええ!?お、おっちゃん。まさかの隠し子ですか!?」
今まで見た事のないおっちゃんの素顔を目まの当たりにして動揺が収まらない赤髪の少女。つい反射で聞いてしまった。言語の抑揚がおかしい。それを聞いたおっちゃんも声を荒げる。
「違げぇちゅうねん!何でそうなるんや!………こいつこの前、わいのおでんを盗もうとしとったんやけど。阿保あほでなあ。おでんが熱いっていう事知らんかったんや。しかも、懲りずにわいそっちのけで二回も三回も盗ろうしよった。出汁が汚れるし、もうそろそろ追っ払ってやると思ったんやが、何なんか見てたら不憫に思うてきてな……で、働かしよるついでに面倒見てるちゅうわけ。あー名前は火燐って言うんや」
そんな人類の少女、火燐との出会いのエピソードを気恥ずかしく話すおっちゃんは、何だか嬉しそうだった。
火燐はおどおどとした様子で赤髪の少女を見ていた。
ここに来る難民には、こういう身寄りのない子供が大半だ。生き方を全うに知らないその子らは、大体が盗みへ走ってしまう。後は、そのまま飢え死にする者もいたり、体形がいい者は難民に目を付けた裏商人に買われる。
誰かに引き取られて屋台で娘のように働くというのは稀の稀だ。
(おっちゃん…情が移っちゃたのかな。う~んっ!グッジョブ)
「しっかし、随分と濡れたな。タオルどこだったかいのー」
「ここは、わっちに任せなさい!」
赤髪の少女は立ち上がり、火燐の前に立つ。
「火燐ちゃんじっとしててねー」
驚いて縮こまる火燐に目もくれずに、どこかの拳法のように短い声を出しながら無駄にキレのある動きで脚を開き、中腰になり、手の平をバッ!っと前に出して―――。
「乾けゴマ!」
「いや、嬢ちゃん…その使い方、間違うとるで」
おっちゃんのツッコミもなんのその。両手から放たれた暖かい風が火燐を包み込んだかと思うと、水を被ったような恰好をした火燐があっという間に乾いてしまった。
「へん!いっちょあがり!」
火燐は不思議そうに自分の姿を見る。
「おー。炎使いか。助かるわい」
「ま、普通の竜人とは仕組みが違うけどね」
赤髪の少女は席に戻る。
「さて、食べようかな」
再び手に取った。大根がよく煮えおいしそうに色づいている。
「いっただきまーす…ふう、ふう―――」
ふう――ふう。
ふう、ふう――ふう。
ふう、ふ、ふうう――。
………………。
「ん?何だいおっちゃん」
おっちゃんは怪訝な顔で少女を見ていた。
「いやな、嬢ちゃん炎使うくせに猫舌なんやな」
「……世の中……いろんな竜人がいるんだよ」
少女は照れ臭くさそうに冗談を言った。
「はっ、違ちげえねえ。お互い物好きなんやろうな」
おっちゃんは楽しそうだった。火燐はその隣で首を傾げていた。
「ごちそうさまでしたー!!」
「今日はお早い帰りやな」
「うん、まあね」
「でよ、いつも店に来てくれるお礼と言っちゃあなんやけど。ほらこれサービス」
おっちゃんは下の棚からごそごそと探すと何かを取り出す。
それは、氷で冷えたナイロン袋だった。
中には新鮮な赤さを持った猪肉の塊が入っていた。
「どうや、食ってみるか?遠慮はいらんで」
「う~~~~ん…」
どうしようかと首を傾けて悩んだが、諦めて。
「いや、いいよ。今日は何せうちの一日シェフが猪鍋を作るからねー。楽しみは最後まで取っておかないと」
「そうかい、残念や」
「だから、それは二人で食べなよ」
―――ポンとお金を置く。確認したおっちゃんはキョトンとした顔で瞬く。
「いや、嬢ちゃん。こんなにいらへんで」
「いやいや、取っておいてよ」
少女は火燐を見る。目と目があったので、笑って返した。
「その子にかわいい服でも買ってあげなよ。女の子なんだし、オシャレは大事だよ」
「……分かった。ほな、ありがたく貰っておくわ。雨本降りになったけど大丈夫かいの?」
おっちゃんの言う通り、地面を激しく打ち付けるような雨になった。傘があっても足元がずぶ濡れになるぐらい降ってきた。
「うん大丈夫だいじょーぶ!そんじゃあね。ごっそさん」
それでも赤髪の少女は雨に構わず走って帰って行った。
「おちゃ…誰?」
火燐はおっちゃんの服を引っ張って尋ねる。
「わいも名前は聞いとらんが……」
ぼろ屋の屋台主はポリポリと頭を掻き、半笑いで呟く。
「まあ、見当はつくかいの」
「♪♪~」
おっちゃんの声は勿論聞こえず、赤髪の少女もとい威東焔終は鼻歌交じりに颯爽と走る。
「さあ。帰ったら久方ぶりの肉!この上ないご馳走がわっちを待っているうううううううっっ!!」
―――あまりにも大きすぎるフラグを立てて、脱兎の如く我が家へと戻る。