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鋼鉄破断のアンオブタニウム  作者: かじかじ
第一章:蒼生〈リ・クリエイション〉
2/12

第一話:出会い


  ◯



   “奴”が来た。


 雨が降る中、山に籠もり鬱蒼うっそうとした森の中で息をひそめ、半日という時間をついやして、ついに“奴”は姿を現した。

 少年は片膝をつき、顔に一筋の汗を流しながらも、必死に気配を消していた。その右手には、ボルトアクション式のライフルの銃身が鈍く光っていた。“奴”を始末する為に今までこの銃を磨いてきた。“奴”の息の根を止める為に、念入りに計画を立て、絶好のポイントで待っていたのである。


 (待っていたぜこの時を)


 期待きたい歓喜かんきを体で覚えながらも気付かれないよう声を押し殺す。


 それに対して、“奴”は、逃げも隠れもせず、堂々と歩いていた。


 “奴”は見ても分かる筋骨きんこつ隆々(りゅうりゅう)な四本の足で、土を踏みしめていた。 


 “奴”の口からは、幾多の生き物を薙ぎ払ってきた堅牢けんろうな一対の牙が生えていた。


 それ故なのか“奴”の岩のような体躯たいくを覆う剛毛ごうもうは、血が乾いたような色をしていた。そこから漂う風格は恐ろしくも雄々しかった。

 

 (……間近で見ると迫力あるな)


 汗の量が増化し、呼吸も自然と数が増す。少年は左袖で顔を拭う。だが、その顔には笑みが浮かんでいた。


 (さあ、始めようじゃねえか)


 高まる鼓動。息を整え、ライフルを強く握る。


 “奴”との距離二〇メートル、一五メートル──...


 「今日が、お前の──命日だ!!」


 火蓋が切られた。


 茂みから飛び出し、ライフルを構え、一瞬の躊躇ためらいもなく引き金を引く。

 パンッ、と耳の奥を刺すような乾いた音を響かせながら銃弾は放たれた。銃弾は螺旋状に回転しながら“奴”に向かっていく。目標は“奴”の脳天。少年は、仕留めたと思った。

 だが──。

“奴”は少年の予想の範疇はんちゅうを越えていた。


 小さな土煙が“奴”の周りで起きた。その瞬間。“奴”は視界から消えた。


 「―――なっ」


 銃弾は“奴”が先程までいた場所をむなしく通り抜け、地面に着弾する。


 「どこだ。…どこにいるっ」


 周りを見回し、忽然と姿を消した“奴”を探す。

 カサッと横の茂みから微かな音が聞こえた。


 嫌な予感がした。だが不幸にもそれは的中する。


 “奴”はこちらに向かって真っ直ぐ突進してきた。

 二本の鋭い牙が突き付けられそうになる。その双眸には闘争の輝きが滾っていた。一体いくつもの生き物がこの得物の餌食となったのか...。


 「───ッ!」


 もう、必死だった。

 強引に上半身を捻り、体を力任せに持っていく。同時に、地面に残った足に力を入れ、わずかに跳躍。“奴”の突進を回避する。


 「チッ危ねえだろうが!」


 すぐさま反撃に出る。連続して乾いた音が森に木霊こだまし、その度に、火薬の爆発によって加速力を得た銃弾が発射される。コッキングをすると共に真鍮製の薬莢が排出される。

 多くの銃弾が、“奴”のすぐわきを通り過ぎる中、風を切り裂く一発の弾丸が“奴”の肩に命中した。“奴”の口から重苦しいうなり声が聞こえた。

 だが、“奴”にとってそれは致命打には至らなかった。 

 “奴”は鼻息を一つ鳴らすと再び突進をする。

 “奴”の今まで攻撃は単調。一直線の突進である。しかし。


 「そう甘くはねえかっ」


 “奴”は草や木を銃弾の遮蔽物しゃへいぶつにしてジグザグに走行してきたのだ。


 「くたばりやがれ!」


 後退しながら、断続的に発砲する。あせりを見せる中――その時、急に姿勢を崩す。


 「しまったっ」


 理由は地面から飛び出た木の根。“奴”に気を取られるあまり足下にある存在に気付かなかった。よって後ろへ倒れ込むように尻餅をついた。慌てて、すぐに起き上がる。

 “奴”の血生臭い双牙そうがが目の前にあった。


 まさに死を提示された瞬間。


 「ヤベッ」


 牙と自分まで何センチなのだろうか...。そんな事を脳裏のうりはしらせた。


 「うおおおおおおおおあっっ!?」


 叫びながらも咄嗟とっさにライフルの側面を胸に当て、“奴”の突進を防ぐ。

 体が宙に浮き、勢いよく前へ数メートル跳ね飛ばされる。


「ガふっ」


 まるで、二tトラックに跳ねられた気分だった。内臓が押し潰されるような嫌悪感が全身をめぐった。口の中に胃酸と鉄臭い液体が混濁こんだくしているのを感じる。


 「ゼェ、ゼェ……死ぬところだった」


 口にまっているものを、つばを吐くように吐き出す。


 「だが、この距離なら絶対外さねえ」


 ライフルを構え、引き金に指をかけた時だった。


 (…っまた吐き気が)


 未だに残る強烈な圧迫感が、胃酸の逆流を促す。“奴”から受けたダメージが思いの外、大きかった。

 視界がかすむ。思考がさだまらないまま、照準がずれたまま引き金を引いてしまった。弾は“奴”の眉間みけんではなく、右側の牙に当たった。

 砕け散る右側の牙。“奴”は野太のぶとい叫びを上げた。


 「もう、一発…」


 少年は吐き気にさいなまれながらもコッキングレバーを引こうとした。


 「…?」


 引けない。ライフルの薬室にわずかな隙間すきまは生まれるが、これ以上は少年の力ではビクともしない。これでは中の薬莢やっきょう排出はいしゅつされず、次の弾が装填そうてんできない。

先程の“奴”の突進を防いだ時に銃身が歪んでしまった。


 「クソッ」


 少年は戦闘するのをあきらめ、逃げることにした。

 山の斜面を駆け下りながら、幾つもの木々、岩を“奴”の進行妨害に使い、全速力で逃げる

 無我夢中の逃避行の末、たどり着いたのは山の中腹にある平たい場所だった。


 「…ハア…ハア…ふっ…は」


 ふと、足が止まる。なぜなら目の前でそびえる崖に退路を断たれたからである。

 はっと後ろを振り向く。“奴”は血走った眼でこちらを睨み付けている。...追い詰められた。


 「…ははっ、来いよ。今度こそ決着をつけてやる!!」


 使い物にならなくなったライフルを投げ捨て、腰に収めていた戦闘用の鋭利なナイフを構える。


 緊迫した空気が漂う。

 少年は神経を研ぎ澄ませ、“奴”は足で土を引っ掻く。

 始まりの合図など無かった。先に動いたのは“奴”だった。足で踏みしめる地面が抉れ、強烈な速度で突進してくる。


 「そうだっ。そのまま来い」


 少年は笑っていた。いや狙っていた。この時を─。

 彼には秘策があった。

 このままこちらに突っ込んでくる“奴”を闘牛士のように華麗に回避して背後の崖にぶつけ、怯んだ隙にナイフでトドメを、刺せるわけがない。

“奴”の身体能力は尋常じゃない。激突する前に切り返して少年にカウンターをお見舞いさせるだろう。


 もっと人間らしい方法──それは。


 “奴”の足が止まる。

 そして、―――グワッ‼と、二メートル強の巨体の後ろ足が持ち上がる。


 「俺特製のワイヤートラップだ。かかったな」


 少年は疲労の色を見せながらも少年は誇らしげに“奴”に向かってそう言った。

 “奴”の足首には鋼線で作られた輪っかがあった。その輪っかから同じ鋼線の紐が延びており、それは近くの地面に深々と刺さった黒色の棒状の物体にしっかりと巻き付けられていた。


 「鋼のワイヤー。炭素繊維で作られた棒。お前を仕留める為に用意した特注品だ」


 “奴”はもがくが少年特製のトラップから抜け出す事は出来なかった。


 「はははっ」


 少年は、やっと目的を達成出来そうだと喜びの声を漏らす。


 「これで、これで……」


 我慢を試みるが...無理だ。この衝動を抑える事は。


 「ん?」


 風を切る音がした。飛行機が飛んでいるのだろうか。

 その直後地滑りのような轟々しい音が聞こえた。意外と近い。驚いた鳥が空へ飛んでいくのが見えた。


 「土砂崩れか?ここも危なそうだ。目的のものは手に入ったし、とっとと帰るか。……まあ、その前に」


 いつの間にか風を切る音は聞こえなくなった。だが、少年はそんな事など気にしなかった。

 そして、少年は叫ぶ。勝利の一声を!


 「……今日は、猪鍋だああああああああああああああああああああああああああああ‼」


  ◯


 「はあ…」


 先の少年こと、天城龍海(あまぎ たつみ)は溜め息を吐きながら鬱蒼うっそうとした山の中を、とぼとぼと歩いていた。

 見た目は、普通の少年。学校に通っていれば高校二年生ぐらいの年頃だ。赤茶の黄玉トパーズの瞳を持ち、薄汚れた髪は黒色で、あちこち跳ねたクセっ毛がアクセントになっている。腰のホルスターには愛用の七連装リボルバーが鈍く光り、黒いブーツは泥で汚れ、本来ある筈の光沢は失っている。腰まである古びたコートは、どこかしら古参兵のようなイメージを想起させる。


 「…はあ」


 もう一度溜め息を吐く。理由は本当なら手に持っているものを持っていないからだ。...つまりは、あの猪である。 

 龍海は肩を落とす。いつしか、その口から言い訳の声が漏れ始めた。


 「まさか、子持ちだったとは…あれは食えねえよな」


 “奴”は母親でもあった。あの後、草むらから一匹の子供ウリボーが現れた。子供は罠で吊り上げられた母親の鼻先に頬擦りをした。その時の“奴───いや、母猪の顔はとても柔らかく母性というものが溢れ出ていた。


 結局、親子の愛を見せ付けられた龍海は、胸の内に罪悪感を覚え、えきれず、母猪を逃がしたのである。


 「成果は無し。おまけに無駄ダマ使ってライフルもおしゃかだ。はあ、焔終姉、瑞華にどう説明したらいいものか…」


 途方に暮れる龍海。これから帰る家にはあの二人が腹を空かして待っている。しかも、今日は猪鍋だから期待しておけ!と大見得を張ってしまった…。そう豪語した自分を今更ながらに後悔する。


 「野兎でもいい。とにかく肉を獲ってあいつらをごまかさねえと」


 この際カエルでも何でもいい。何でもありの肉探しに躍起やっきになる。

 すると、近くの茂みからカサッと音が聞こえた。この音は、生き物が出す音だ。

 野兎か猪か。

 狸か犬かそれとも猫か。

 どれでもいい。やろうと思ったらすべて調理が可能だ。


 再びナイフを取り出す龍海。


 ライフルは使えない。ならこの得物一本で仕留める他ない。

 気配を殺し、息を深く吸い、吐く――――。

 まずは獲物の胸に自分の腕を巻き込んで身動きを取れなくさせ、このナイフで頸動脈を一気に掻っ切る。


 イメージトレーニングは万端だ。後は相手の体躯に合わせて、どう動くかだ。

 影が見えた。

 動物にしては大きい。近くの木にうずくまっていた。しかも、獲物は龍海に背中を向けていた。これは好機である。

 (頂いたっ‼)

 そして、獲物に向かって飛び込み、一気に距離を詰める。

 向こうはこちらに気付いたようだが、もう遅い。龍海は身を低くして獲物の肩を掴み――


 ―――ん?


 押し倒し、獲物の胸の前に手を回し、全身を使って拘束する。なかなか大きい。


 ――何だ…。


 とどめに、ナイフで頸動脈を…――


 ―違う…こいつはっ‼‼。


 ナイフの動きを止めた。そこでやっと気付いた。彼が体術で押さえてものは、野兎でも猪でも、狸でも犬でも猫でもなかった。

 それは、どこからどう見ても女の子であった。


 「………ッ」


 身動きが取れず、ナイフを首元に突き付けられている少女は涙目。段々と龍海の顔は青ざめていった。

 いや、大丈夫だ。他に人はいない。こんな所誰かに見つかったら、かなりマズイものになる。


 「何で、こんな所に人が…」


 龍海は困惑した。この山で二ヵ月間、焔終姉と瑞華以外の人間と遭遇するのは初めてであった。


 「ん?」


 少年はそこでまた気付く。涙目になっているのは、別の理由があった事を。


 少女の顔がやけにあかかったのである。


 少女の胸の前へ手を回していた龍海。その手の平は柔らかで女の子としては結構豊かなものを掴んでいた。


 「うおっ、すっすまん!すぐどくっ…」


 龍海は慌てて少女から離れる。その時やっと少女の姿をはっきりと認識する事ができた。

 水がしたたる髪は、神霊が住まう自然を具現化したような深緑色のセミショート。その中で一際長い二房(ふたふさ)の髪は胸まであった。


 吸い込まれそうな激しく穏やかな光を持った桔梗色ききょういろの瞳。

 水が伝う肌は吸い付くような柔らかさで白い。そして、その体が作り出す曲線美は素晴らしいものだった。

 見ているだけで心が軽くなるような感覚を覚えさせる。


 だが、龍海がその中で一番目に入ったものが、彼女がその身に纏っている服装と彼女の血だった。


 一転、背中に寒気がした。


 「…おい、これは――」


 所々破けたそれは、ある集団が戦闘時の際に装着する肌身に張り付くような特殊スーツである。


 「――嘘だろ…」


 龍海はよく知っている。なぜなら以前戦った事があるからだ。


 この世界の大半の人間が恐れている者達…。

 その集団の個体は全員女性。外見は人間…だが、中身は人外だ。


 そしてその血は雪のように白く一切の平等を認めない。


 人の身をして、その身の中に人間にはない専用の器官を有しており、それに合わせた専用ユニットを使って空を自在に飛んだり軍にも勝る攻撃を放ったりする。その演算処理をする脳も人類と比べて特異である。


 まさにその一個人自体が兵器と呼んでも過言ではない存在。


 35年前に飛来した隕石に付着した未知のウイルスがもたらした未曾有の生物災害バイオハザード大厄災だいやくさい』。その際に生まれたそれを、貴谷達はこう呼んでいる。


 ――機人(エクスマキナ)と。


 「こんな事って、あるのかよ…ッくそ。ここで持病かよ。…頭、が」


 頭が割れそうで思わず手で顔を覆う。

 …もう、会うことはないと思っていた。二度と会うまいと思っていた。

 会わない為にこの山にひっそりと暮らしているみたいなものだ。

 いや、違うか。焔終姉と瑞華達のせめてもの手伝いをしについて来たんだ。役に立たない今の俺は、こうするしかないと思って…。


 「……………………」

 「――ッ……?」


 少女は細々とした目でこちらを見ていた。

 慌てている自分でも分かった。弱っている。

 一目でも分かるほど少女の体はひどく傷だらけであった。白の血が地面を染める少女は掠れた声で。


 「み、んな、…ごめん…助けて…あげれ、なく…て」


 誰かと間違えたのだろうか…。それとも、もう目の前がまともに見えていないのか。少女は震える手を貴谷の方へ伸ばす。その機人が発した言葉は後悔が混じっていた。そこで、少女は糸が切れたように気を失う。


 一方、龍海は少女を抱えながら、恐れていた。


 逃れられない拒否感。彼は、これ以上少女の無垢な顔を見る事ができなかった。このままここに置いて少女との遭遇を無かった事にして去りたかった。それは、人間として非情な考えだろう。それでも―――。

 少年の心の中の天秤は黒い悪魔へと傾きつつあった…。


 「俺は…何も――――」


 ―――――見ていないと。言いかけた時だった。彼女が首に提げているものが目に入った。チェーンに繋がれた本来ならば長円形、しかし、一部融けて不格好な三日月のように歪んだ一枚の薄い金属板。

だが貴谷にはそれが何なのか、分かった。


 わずかに残った数々の細かい溝。それは、金属板に打刻されている特定の個人情報だった。大体が戦地に赴く者が身に着けるもので、戦死した場合、遺体の判別、また戦死した証明や墓標になる代物。


 龍海が見つけたのは―――認識票……俗に言うドックタグである。


 「どうして、こいつがこんなものを…」


 これを機人が手に入れる事は難しい。戦場でそうしようとしたいのなら、敵にハチの巣にされるリスクがある。いや、確実な自殺行為と言ってもいい。本来ドックタグは機人にとって〈敵〉の所有物のはずだからだ。

 残念ながら肝心な名前の部分は損傷が激しく、詳しく鑑別する事は無理だった。


 ―――だが。

 「…………はあ」


 彼は、彼女を生かす選択を取った。


 「仕方ねえ。家に連れ帰って治療だな」


 龍海は少女の肩と膝裏に手を掛けて持ち上げる。


 「まさか、こんな事になるとはな。全く...今日はとんだ災難な一日だ」


 それでも、急ぎ足で家へ帰った。

 ほんの少し気になるだけだった。

 少女がなぜあのドックタグを持っているのか…。


 同じ戦場へ(おもむ)いた身として無視は許されなかった。


 :::::::::::::::::::::


 家、といってもそう呼べる程、大層なものではなかった。


 山にあった使われなくなった廃坑を借り、横幅と高さは6メートルもある入口を錆びだらけのトタン屋根と木で補強しているだけの急ごしらえの住処。そこに龍海達は住んでいる。。軽自動車が2台余裕で入れるスペースがある薄暗い道の隅にはいくつもの支道があった。その一つの細い支道によたよたと進んで行く。


 少し進んだ先は開けた空間があって、そこは食事の際に使う部屋だった。部屋と言っても岩穴が広くなっていてそこを必要最低限に生活出来るように改装しただけだが。


 「瑞華!いるか!」


 疲労感と倦怠感に苛まれつつ、呼び声を送る。


 「お帰り龍海。今日、早かったね」


 奥から龍海と同じぐらいの年の少女が現れた。


 冷泉院(れいぜいいん)瑞花(ずいか)


 身長は150センチ後半。肉付きは程よく、空のように澄んだ蒼晶石の瞳。セミロングの青色の髪は端正に整えられ、とても流麗である。髪留めで半分おでこを見せ、左側のサイドテールは二の腕までの長さがあった。

何事にも動じない冷静沈着な性格は表情を見るだけで、はっきりと分かる。こちらも少年と同じ軽装で、緑色のジャケットに薄藍色のズボンだが、左腕は無く、袖が垂れ下がっている。


 「ちょっとトラブルがあってな」

 「ふーん」


 瑞華は、半目で彼が背負っているものを見る。


 「その子は?」


 瑞華は冷静に聞く。何だか浮気を疑われているような緊張感が龍海を襲う。いや、そもそも彼女と呼べるものは彼にはいないのだが…。


 「い、いや途中で拾ったんだ…そんな目で見るなって。それよりもケガしている。俺の部屋までついて来てくれ」

 「……分かった。治療の、準備を...する」 


 瑞華は何か言いたげそうだったが、すぐさま準備に取り掛かった。

 入り組んでいる坑道の中、三人は今いた食事部屋よりさらに奥の寝室へ入っていく。

 露出した白熱電球に照らされたセラミックのドアを開けると、湿っぽい穴の道とは打って変わってガラリと見た目が変わった。

 そこは、かつてここで働いていた従業員が休憩に使っていた場所だろう。

 壁の周りを合成樹脂で固め、そこに生活に必要最低限な家具が置かれていた。


 龍海は部屋にあるベットに深緑髪の少女を寝かせる。


 繁華街で割引で手に入れた古びたマットの上に肌触りの良くない白い布を敷いた簡素な寝具だが、これで地べたに置く事はなくなった。だが、まだ安心はできない。


 「……取り敢えずは消毒だな。瑞華、治療箱は?」

 「もう、持ってきてる」


 龍海が言う前に瑞華は消毒薬、包帯その他治療に必要なもの一式を準備していた。


 「さすが、手際が早いな」

 「いつも通りの…こと」

 「よし、後は俺に任せな」


 ふうっと一息整えると、龍海は器用に、少女の患部を消毒していく。なるべく痛くないよう、たまに、顔を歪ませる少女を見ながら、丁寧に作業を続けた。

 しばらくの沈黙の後、瑞華が口を開く。


 「……ねえ、その子『機人』」

 「そうだな」

 「…どうして?」


 瑞華は首を傾げ龍海に問う。


 「この子の首元のネックレスを見てみろ」

 「……」


 瑞華は龍海の後ろから覗き込むように少女が提げているネックレスを見る。


 「…何、これ?アクセサリー?」


 そのネックレスを物珍しそうに見ながら、彼に正解を求める。


 「ああ、これはドックタグだ。型式は…多分大戦時に使われていた旧式だと思うが……識別番号や名前の部分が分からねえ。わざわざプレートを偽装した物好きか、死人のものを拾った物好きか知らねえが、何で持っているのか…元、機兵として聞かないといけねえんだ」

 「さすが、『猟犬(ハウンドドッグ)』と呼ばれる...いた、ほど…はあるね」


 「うわー。そんな時期もあったな。確か、親父おやじがそう呼ばれてたからパクッたんだっけ?今となっては思い出すと恥ずかしいものでしかないから、やめてくれ」


 昔、と言う程生きてはいないが、これで……昔はよく身内にいじられていたものだ。


 ったくどこのどいつがこんな二つ名命名したんだ。勘弁してくれ!と冗談混じりに小言を口ずさむ貴谷。


 「でも……龍海、それは、私が…聞きたい…答えじゃない」


 瑞華が聞きたかったのは、もっと根本的な事だった。


 「分かってる」


 彼の声のトーンが一つ落ちる。


 (あの時は少し危なかったな。もう少しで俺の中の倫理りんり性ってやつが崩壊する所だった。……それはともかく―――)


 龍海は息をむ。今意識の集中を止めたら、気絶しそうだった。恐怖不安の感情がドロドロと湧き上がって来る。


 「………」


 青髪の少女は…その理由が分かっていた。


 「ただ、まあ。あれだな、慣れねえな…、手の震えが、止まらねえ…、傷は多いが、縫う必要がなくて助かった、ぜ」


 両手が、異常な程に小刻みに震えている。肌の至る所から嫌な汗が流れて、妙に目に力が入ってしまう。瑞華は、それを見て。


 「瑞華…?」


 龍海の右手の甲に自分の手を置く。


 「大丈夫」


 その顔には優しい笑みがあった。


 「...私には、これしか...できないけど、貴谷は、出来る。だって、塗るだけ」

 「そ、そうだな。ちゃっちゃと終わらせよう」


 一瞬ドキッとさせられたが、そのおかげなのか、いつの間にか強張った顔はほぐれていた。


 「私が、ついている…」

 「??」


 小声で言った瑞華の言葉は彼の耳に入らなかったようだ。龍海は何か言ったのかと首を傾げたが、瑞華は何も言わず、気を取り直して少女の治療を続けることにした。


  ◯


 『行ってアミティア。ここは私達が食い止める!だから、絶対に…絶対に見つけ出すんだよ』


 ………。


 『大丈夫。死にはしないさ…まあ七戦姫のくせに不器用で、それに加え食いしん坊なあんたを一人で行かせるには少し心もとないけどね』


 ……………。


 『そんな悲しい顔する暇があったらさっさと行く!…次また会う時は、愛しの彼をちゃんと連れてきなさいよ』


 ……リーネ。わたしは……。


 「…ここは?」


 深緑色の髪の少女は、見知らぬ場所で目覚めた。


 「確か八雲帝団のやつに追われていて…」


 起きようとしたら頭をぶつけそうになった。少女は首を引っ込め周りを見回す。坑道のような洞穴の壁の周りを合成樹脂で固め、人が最低限に住めるようにしているみたいだ。天井に露骨にぶら下げている電球の光が仄かに目を刺す。どうやら、電気は何かしらの方法で賄まかなっているようだ。


 当の自分は、簡素な寝具の上に寝かされていた。

 部屋の中にはこれも簡素な椅子と机。数個の大きなプラスチックの長方形ボックスと、自分の身の丈以上もある大口径ライフルが置かれていた。

 顎を引いて自分の身体を見る。布を掛けられ、怪我を負った部分は丁寧に包帯が巻かれていた。


 「…!あれはどこに?」


 ある事を思い出し、ごそごそと身体を探る。腰の近くに覚えのある感触があった。取り出すと一見液晶の携帯端末に見えるが、これは機人専用の着装デバイスである。その存在を確認すると、少女は一安心する。


 「装備は…」

 

 少女は目を閉じ、自身に問いかけるように意識を集中させる。


 「大口径対物(アンチマテリアル)ライフル…この体じゃ反動で体に響く。アサルトライフルは…やっぱり壊れてる。グレネードは、いやわたしが生き埋めになる。ならー」


 少女は、手を前に出す。すると、少女の手の中で緑色の正方形の物質が形成される。そして、均等なそれがいくつも生まれ、集まり、拳銃のような形状を成す。


 「心もとないけど、ハンドガンが最適か」


 やがて、少女の手に握られたのは、コルトガバメントという威力の高い自動拳銃であった。少女はマガジンに弾が入っている事を確認すると、ベットから降り、先程まで使っていた布をマント替わりに羽織はおる。


 「ボルトアクション式のスナイパーライフル?随分と傷んでいるけど、一体どういう使い方したらこうなるの?」


 少女は机に置かれた物を見てみた。その机に置かれていたのは、銃身が歪んだライフルと修理用具リペアキッド。あと写真があった。


 「何の写真?……お、おり?」


 手に取ったそれは何かの集合写真だった。後ろに団旗が掲げられていて、そこに団名が記されいるが前に立っているメンバーと被って最後まで読めなかった。


 「おり……どこかで聞いたことのある名前だけど、今はそれどころじゃない」


 細い通路をしばらく行くと食堂?だろうか。調理器具と食器が横の端に置かれていた。奥に道を見つけたので更に進むと。


 雨の音が聞こえる。


 周りに人がいる気配は無い。逃げるなら今が好機だ。

 それに伴い、少女は薄々気付いていた。自分を助けたのは八雲帝団の奴らではないと…。なんとなく漂う空気で分かる。だから助けてもらった身で無礼なのは分かっている。だが、彼女には、命に代えてもやらなければならない事があった。

 徐々に彼女は自分の使命を思い出してきた。


 (みんな、待ってて。わたしが打開策を見つけ出すから)

 この理不尽な状況を打開してくれるであろう協力者。

 機人最後の希望といえる人物を探し出す。

 それが彼女の───己が自らに与えた使命。


 小走り程度なら、辛うじて移動ができた。

 少女は肌で風を感じ、外へ通じる出口を目指す。

 意外にも出口はすぐそこだった。ここからだと雨の降る光景が切り取られているように見えた。

 傷だらけの身体で、少しずつ前へ進む。やっとの事で外まであと1~2歩ときた所だった。

 突然に―――。 


 「あーくそっ。雨漏りがひでえな。どこもかしこも穴だらけだ」


 ヌッと横の穴から少年が現れた。


 「なっ…」

 「ん?ーーっと。起きたのか」

 「誰だお前はっ」


 少女は少年に向け銃を構える。


 「待ってくれっ。俺は、天城龍海。あんたを助けたんだ!」

 「……え…」

 「………分かって、くれるか?」


 少女の銃口が下がり、俯く(うつむ)だが、すぐに切り替え鋭い目つきで構え直す。


 「そこを、どいて…」

 「どうしてそんな考えに至ったかは分からねえが、やめとけ。その体でどこに行こうとしてるんだ」

 「どいてっ!」


 ―――それ以上の彼への抵抗は自身の体が許してくれなかった。


 「…――くッ!」

 「ほら、言わんこっちゃない」


 全身を引っ張られるような痛みが襲いその場にしゃがみ込む少女。


 「おい…大丈夫か」

 「わたしには…使命が…」

 「とにかく落ち着け。まともに歩けねえのに使命とかクソもあるか」


 龍海は少女を近くの椅子まで運ぶ。これ以上の興奮は怪我に悪い。


 「…ひとまず落ち着こう。あんた名前は」


 ひと段落ついた龍海は、少女の名前を尋ねる。しばらくの沈黙があって、椅子に座らされた少女はゆっくりと口を開いた。


 「…アミティア。アミティア・レ―ヴスロット」 

 「そうか。極東オリエントじゃあ聞いた事のない名前だな」

 「…………」

 「ん、どうした?」

 「…そうね。わたしは北の大陸ノースティア出身だから」


 北の大陸ノースティア。この世界の中で最も面積の大きい大陸。その広さの故、存在する気候も様々、資源も数打てば当たるという意味で豊富である。ただし、土地の大半は凍てつく寒帯地方であり、未調査領域も数多い理由から人が住みにくく人口密度はその他の大陸と比べ希薄である。

 よって、人類から迫害を受けている機人が自然と人が少ない北の大陸に追いやられ、集い、結果、機人の独立国家が出来上がった。なので、北の大陸出身の機人は多い。


 「おいおい。…じゃああんたはあの北部防衛線を越えてやって来たっていうのか?」

 「…ええ、そうよ」


 あっさりと答えるアミティア。思わず感嘆の声が上がけてしまった。今日は二度三度も驚かされる。


 「…なあ、あんたはどういった目的でここに来たんだ?」


 個人的には、ドックタグの事を先に聞きたかったが、まずは確実に結果へと繋がる情報を得る事を優先にした。


 「あなたに、知ってもらう必要ない」


 最初に会った時に感じたイメージより随分と素っ気ないな。まあ、人を外見で判断しちゃいけないと言うか…。


 「じゃあ、助けたかわりに教えてもらおうか。貸し借りはナシだ」

 「…そんな脅しが、わたしに通用すると思ってるわけじゃないでしょ」


 剣呑な顔でこちらを睨むアミティア。

 流石に通用しないか…。こんなのは子供騙しと一緒だ。…仕方ない。

 はあと息を吐き、龍海は観念したように請う。


 「分かった。じゃあ、これはお願いだ。どうしてあんたが厳重な北部防衛線を越えてまでここに来たのか、一言でいい。教えてくれないか?」


 真っ直ぐにアミティアの吸い込まれそうな桔梗色の瞳を見据える。沈黙を保っていたアミティアだったが、少年の真摯しんしな気持ちに気が変わったのか、しばらくすると首に提げていたネックレスを取り出し、龍海に見せた。


 「ドックタグだな」

 「これを、知っているの?」


 森で一度見たそれは登録した識別番号や個人情報を打刻した銀色の一枚の金属板だったもの。だが、一部が融けて不格好な三日月のような形になっており、損傷が激しく、名前を特定する事は出来なかった代物だ。


 「これは、わたしの命の恩人にもらったの」

 「軍人にか?」

 「...うん。たぶん、そう。子供の頃だったから…あまり覚えていないけど…わたしはその人を探しに来た」

 「その理由は?」

 「機人と人類の戦争。《反抗戦争》に決着をつけたいから。その助力を得る」


 反抗戦争というのは、5年前に起こり今もなお続いている機人と反機人勢力との戦争である。その発端の理由は『化物』にならないはずの機人が『機屍』という『化物』になり、統一首都の一つを壊滅の危機に追いやったからである。何故機人が機屍に変異してしまったのか未だ謎の中にあるが、この事件がきっかけで機人の事をよく思わない者達の敵愾心(てきがいしん)に火を点つけ、結果として反機人勢力がこの機に乗じるかのように本格的に動き出し、この戦争が始まった。


 「そいつは誰なんだ?」

 「...分からない。…でも――」


 アミティアは、壊れたドックタグを見つめる。一瞬見せたその顔は子供のような微笑ましい顔だった。


 「わたしは、みんなの為にその人を早く、見つけないと…」

 「なら、余程ここでじっとしといた方がいい」

 「……………」


 本人ももう分かっている事だろうが、あえて伝えた。


 彼は地面を指して話す。


 「ここは反機人四大勢力の一つ、極東《八雲帝団》領地内だ。そんな怪我で探しに行ったらアイツラらに捕まるのがオチだ」

 「……」


 無言で落胆の表情を見せるアミティア。それを見て貴谷は少し後ろめたい気持ちになったが、間違った事は言ってないと自分を納得させた。


 そんな気まずい空気の中に入って来たのは青髪の少女だった。


 「焦る、気持ちは分かるけど、…駄目」

 「誰なの」

 「私は瑞華、怪我…平気?」


 深緑色の髪をした少女に笑顔を振舞う。


 「瑞華…帰って来てたのか」

 「ええ、おかげ様で、濡れた」


 瑞華はびしょ濡れだった。


 「悪いな。俺がやってもよかったのに」

 「いいの。少しは…動きたい。それより。定点カメラ、の設置は…完了」


 瑞華が提げていたゴルフバックのような袋には細長い杭にカメラを付けた装置が収納されていた。


 「そうか。ありがとう」


 ―――――。

 照れた顔を貴谷から隠す。


 「…モニター、の調整…の前に、体を、洗って…くる」


 貴谷との会話が終わると去り際にアミティアにボソッと言った。

 いつかは貴谷が言う台詞をまだ言っていないからいい加減じれったくなったからと言わんばかりに。


 「その人、一緒に探して…あげる。今は、我慢」

 「おい!」


 瑞華は薄ら笑みを浮かべながら身に着けていた荷物をその辺に下ろすと、奥の穴へ行ってしまった。

 やりやがったなあ。と右手に握り拳を作っていたが、やがて何かを諦めるように嘆息してアミティアに改めて自分の口から言った。


 「…はあ、まあ、助けたついでというか…。怪我が治るまでの間人探し手伝ってやる。ここらの地理はあんたより俺達の方が断っ然よく知ってるしな。だから、今は傷を癒す事に専念してくれ」

 「…どうして、そこまで」


 アミティアは分からなかった。助けてもらった上に、自分の目的に協力してもらう事など おせっかいと呼べるレベルでは収まらない。

 一体どうしてそこまで自分に良くしてくれるのか…。


 何か裏があると思い、怖くなる。

そんな不安と疑惑が込められた問いに対し、返ってきた答えはアミティアが全く予想できないものだった。


 「さあ、何でだろうな。くせだ」

 「………はい?」


 思わず豆鉄砲食らった顔になるアミティア。


 「何ていうかな。前に傭兵かぶれな事をやってたんだけど。仕事のモットーっていうやつが『金より志と人情』ていうやつで、おかげで収入は最悪だった。でも、それを除けば…悪くねえ仕事だった」

 「今は何してるの?」

 「何も。もう、やめたんだ」


 腰に手を当て、はっ、と笑いを放ちながら彼は言う。大げさな態度とは裏腹にその目はここではない遠くを見ているようだった。


 「とは言ってもタダという訳にはいかねえ。事が済んだら代金はしっかり払ってもらおうか」

 「……灰になりたいの?」


 一瞬、こいつの事が反射的に嫌いと反応した自分がいた。


 「当然だろ?生きる上では仕方ねえ。まっそういう事だ。しばらくよろしくな。さてと、焔終姉が帰る前に夕食の準備をしようかな」

 龍海は踵を返し、肩を回しながら、瑞華がお風呂に行ったのと違う方向に行った。


 「……………………」


 アミティア一人になった坑道…。すぐ傍の電球がゆらゆらと揺れている。

 口を結んでうずくまるアミティア。人間とここまで話をするのは生まれて初めてだった。


 いや、単に長らく忘れていただけで、初めてでは無いか…―――。


 改めて納得し、何だか複雑な気持ちだった。この妙な安心感は何だ。そして、このもどかしさ。


 「覚えていなかった…」


 誰でもないただの一人の少女が冷たく吐露とろした呟きは、誰も聞く事はなかった。


 これで、良かったのだろうか…。



 雨足が…強くなってきた。



 









 

  

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