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 店につくと、表に出された看板は『closed』になっていた。入り口の鍵は開いていて、ひとり店内にいて豆の選別をしていたマスターが出迎えてくれた。

 促されるまま客席に座り、隣に座った和音が口を開かないだろうか、とかすかな期待を持ってこっそり隣を伺うが、少しうつむくようにしつ座る彼女が喋り始める様子は無い。

 そうそう突然に変わりもしないか、と素直に自分の口から病院での話を伝える。できる限りそのままを伝えて、さらに車の中で和音が言った言葉も伝えると、マスターは驚きを隠さずに彼女をじっと見た。

「和音ちゃんが、そう言ったのかい……?」

 見つめるマスターの視線の先で、和音がかすかに頷いた。うつむいたままではあるが、確かに彼女は肯定の意思を示した。

「……そうか、そうか。いや、でもよその方の事情に無闇と関わるのはトラブルの元だし、しかし、和音ちゃんが興味を持っているなら、やらせてあげたほうが良いのかな……」

 ひとりでぶつぶつと言うマスターは、ずいぶんと混乱しているようだった。落ち着いた紳士然としている普段の姿との差異がはげしい。

 とりあえず冷静になってほしくて、立ち上がってマスターの視界に入り込んで声をかける。

「マスター、マスター。畑野浦さんは彼女の親御さんにも了承をもらってから、代役をお願いしたいって言ってましたよ。とりあえず、木浦さんの家に連絡してみたらどうですか」

 俺の言葉に我にかえったマスターは、きまり悪げに苦笑いを浮かべて頷いた。

「そうだね、そうすべきだ。いや、取り乱してしまって申し訳ないです」

 ちょっと失礼するね、とマスターが電話をかけ始めたので、俺はなるべく音を立てないように椅子に座り直す。和音と並んで静かに待っていると、なにやら電話口でもめている。いや、もめているというほど不穏な空気ではなく、マスターが何かを断っているのに相手が聞いてくれないというような、なんだかほのぼのとしたもめ方をしている。

 そういえば、マスターの姉にあたる人が和音の母親だったか。そう思い至って、姉弟の力関係は生涯くつがえることはないのだなあ、と切ない気持ちになった。

 マスターほどの大人の男であってもそうなのだから、俺の未来など想像するまでもない。俺にできるのは、なるべく姉の不況を買わずになおかつ可能な限り自分の主張を失わないことだと思う。いや、べつに姉弟仲が悪いわけではないのだけれど。

 などと、とりとめもなく考えていると、受話器を置いたマスターがため息を吐きつつこちらを向いた。

「……和音が興味を持ったなら、やらせてみたらいいじゃない、と言って電話を切られてしまいました。一度、和音ちゃんも交えて話し合うべきだと言ったのに、あの人はまったく……」

 困ったような顔でぶつぶつ言うマスターに、俺はこそっと手を上げて声をかける。

「なんにせよ、親御さんの許可がとれたなら畑野浦さんに伝えてみたらどうでしょう。まだ日も高いから、もしかしたら今日中に打ち合わせができるかも」

 俺の発言にそうですね、と頷いたマスターは、再び受話器を手に取る。話し始めた彼を眺めながら、マスターは真面目な性格だけど、和音の母は少々豪快な感じの人なのかな、と考える。子どもがいたとしたら、マスターはそっと見守るタイプだろうか。和音の母はやりたいことがある? ならやってみなさい、と言って子どもが何か言うまで好きにさせておく人のような気がした。完全な憶測だけれど。

「長谷くん、畑野浦さんがこれから店に来てくれるそうです。申し訳ないのだけれど、話し合いの席に一緒にいてもらえますか?」

 考えても意味のないことを考えて遊んでいるうちに、話がついたらしい。申し訳なさそうなマスターに、俺はすぐに頷いた。

「大丈夫ですよ。特に用事もありませんし」

 悲しいことだが、マスターを安心させるための嘘ではなく、まぎれもない事実だ。どうせ、仕事がないなら暇を持て余している身である。暇がつぶれるならばむしろありがたいし、少しだけとはいえ話に関わった身としては今後の展開も気にかかる。

 俺の返事にマスターはますます申し訳なさそうにして、畑野浦さんを待つ間、販売予定だったケーキやシュークリーム、パンの類を好きなだけ食べてください、と言ってくれた。

「こう言ってはなんですが、お店を開けない以上、処分するしかありません。妻は焼き上がりを味見しているからもう食べないでしょうし、ぼくもこんなにたくさんは食べられません。余り物を処分させて申し訳ないのですが、良かったら和音ちゃんと二人で食べてください」

 好きなだけ食べて、と言われるままにケーキとシュークリームをいただき、残りを持ち帰り用の箱につめるマスターの横で腹に収めた。シンプルな見た目のチーズケーキはふわふわ柔らかいスフレタイプのチーズケーキで、確かにチーズの味や香りはするのにくどさはまったく無く、舌に乗せるとほどけるように消えてしまう。シュークリームは手に持つとずっしり重たくて、ケーキの後にひとつ丸ごと食べられるか少し不安になる。ひとまず味見を、と粉砂糖で化粧したふたを手にとり、皮のなかにたっぷりつまったカスタードクリームをすくいとる。ひとくち食べれば表面はさくり、内側はほどよくしっとりした生地にもったりとしたカスタードクリームがからまり、なんともバランスのよい甘みを持って口の中に広がる。これは、うまい。うわあ、うまい! ではなくて、ああ、おいしいなあ。としみじみとするうまさだ。

 そして、気づけば大きめのシュークリームもぺろりと食べてしまった。

 食べ終えた俺が向かいに座るように促した和音を見ると、ひとりで食べるのは寂しいからいっしょに食べてよ、となかば無理に渡したシュークリームを黙って食べている。両手でシュークリームを持ってむぐむぐと食べる姿は、小動物のようで可愛い。女の子っていいものだなあ、と思う。

 甘味をいただいた俺がまったりと満足感に浸っていると、店の入り口で声がする。

「こんにちはー。マスター、いるー?」

 元気な声は、畑野浦さんだ。マスターにちらりと視線を送り、和音が最後のひとくちを口に入れるのを確認してから、俺は引き戸を開けに行く。

「いま開けますよ」

 さて、話し合いはどうなることか。

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