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 和音の事情と、俺がこの喫茶店で働き始めた理由をマスターが話す。和音は役を与えないと動かないこと、それを改善するために環境を変えるべくマスターの元で預かっていること、さらに新しい刺激として俺が採用されたことが伝えられる。俺が聞いたよりもいくらか情報が少ないざっくりとした説明だ。

 ひと通りの話を聞いた畑野浦さんは、話の途中にマスターから受け取ったコーヒーをすすり、わずかに目を細める。

「環境を変えるっていうのはひとつの手だよね。なにが刺激になるかなんて、本人にもわからないものね」

 そう言って、うん、と頷いてから彼は続けた。

「だったらいっそ、色んな役をやってみたら? ほら、テレビなんかで役者さんがよく言うじゃない。新しい自分を発見できました、って。長谷くんが助手で、和音ちゃんが探偵なんて面白そうじゃない? 役者探偵とか、テレビでありそうな響きだよね!」

 役者探偵和音、いやちょっと字面がかたいか。何かカタカナの名前が欲しいなあ、役者を英語にすると何かな。アクター? 役者探偵アクターか。それいいんじゃない、面白そう! とひとしきり盛り上がる畑野浦さんの相手は俺が任され、マスターは豆の選別、和音は食器みがきに精を出す。

 畑野浦さんの話し相手を小一時間ほどさせてもらい、そのうちにちらほらと他の客がやって来ると彼は席を立つ。そろそろ帰らなきゃほんとに怒られちゃう、和音ちゃんも長谷くんも焦らず頑張ってね、と帰っていった。

 それから数日後、昼すぎに出勤してマスターと挨拶を交わし、和音にちらりと視線を向けられるだけなのにも慣れてきたころ。

 さて開店しますか、と俺が表の看板を裏返すために外に出たところで、電話が鳴る。開けた扉ごしに振り向けば、マスターが受話器に手を伸ばすのが見えたのでそのまま外に出る。ちなみに電話は古風な見た目を裏切らないダイヤル式のもので、電話のかけ方がわからなかったのは常連さんとの会話のネタになっている。

 予約あるいは営業しているかの確認の電話か、もしくらコーヒー豆の持ち帰り予約か。この店にかかってくる電話はそんなものであるので、豆の話以外であれば俺や和音が出ても応対できる。

 しかし、見ていると和音は電話が鳴るたびにほんの少しだけ視線をさまよわせる。ほんの一瞬なのでわかりづらいが、たぶん電話が苦手なんだろうな、と思うので、マスターの手が空いていないときは俺が電話をとるようにしている。和音の事情を考えると色んなことに挑戦すべきなのだろうが、ひとまずは苦手なことを後回しにしてもいいのではないか、と俺は思っている。ほんのひと夏、俺がいる間だけだが、彼女自身に余裕ができるように時間稼ぎをできたらいい。

 表の看板を『Open』にして戻ると、マスターが受話器を置くところだった。ちん、とベルの音をさせて電話を終えたマスターは、少し困ったような顔で首をかしげる。

「長谷くん、和音ちゃん。ちょっと来てもらえるかな」

 カウンターの中から呼ばれて、俺と和音は揃ってマスターの近くに行く。和音はまだ仕事モードになっていないのだろう。カウンターのそばまで来てぼうっと立っている。

 その様子を見て困ったように笑ったマスターは、俺の方に視線を向けてから話し出した。

「今の電話、畑野浦さんからだったのだけれど、なんだか和音ちゃんの力を借りたいとかで。詳細は病院のほうで話すから、来てほしいのだそうです。悪いのだけれど、今からお願いできるかな」

 マスターの言葉に俺は首をかしげる。

「病院って、畑野浦病院ですか。仕事中でしょうに、なんの用事ですかね?」

 それも、和音の力を借りたいとはどういうことだろうか。俺が訊ねると、マスターは困ったように首を横に振った。

「詳しいことはぼくも聞いていません。和音ちゃんが来てくれたら話す、とだけ。お店はぼく一人でも大丈夫なので、悪いのだけれど長谷くんは和音ちゃんを連れて行ってあげてもらえますか」

 そう言われて俺は和音をちらりと見たが、無表情で立つばかりで反応は伺えない。嫌がっている様子はないようなので、拒否する理由もない。

 巻いたばかりのエプロンを外して、出かける準備をする。ついでに和音の肩を指でつんつんと突き、エプロンを脱ぐように促す。

 彼女が動き出したのを見届けてから、俺はマスターのところへ行く。

「あまりに情報が少なすぎて、何が何だかわからないんですけど。とにかく俺は木浦さんを院長に会わせればいいんですね?」

 マスターに確認をすれば、彼は戸惑うようにしながらも頷いた。

「あの方のことだから、悪いようにはしないはずです。ひとまず、用事が終わったら帰ってきてもらえるかな。ぼくも要件を聞きたいので」

 そう言ったマスターに頷き返してから、俺は和音に自分の手荷物を持っていくよう促して歩き出す。

「それじゃ、行ってきます」

 



 昼下がりの暑い町中を車で走りことほんの十分少々。俺と和音は、市内で一番大きな病院の待合室に来ていた。

 その名と外観こそ見知ってはいたが、幸いにして健康な身内ばかりを持つ俺は、この病院の中に入るのは実は初めてである。

 広い駐車場に車を停めて、暑いコンクリートの上をひいひい言いながら歩いて病院に着く。ほんの少し歩いただけでふき出た汗を拭いながら見上げた建物は、昨年建て替えられた市役所の庁舎より高いのではないだろうか。外観の大部分をガラスに覆われて、ところどころに明るい色をした煉瓦風の建材が使われている。田舎臭いこの市内において、少し浮く程度には洒落た建物だ。たぶん、知らない人が見たらマンションだと思うだろう程度には、いい意味で病院臭さがない。

 感心しながら綺麗に整えられた入り口を進むと、ふき出た汗に冷房が気持ちいい。暑さを感じさせない顔で、汗もかかずに後ろを歩いている和音をうらやましく思っていたところなので、この涼しさはありがたい。

 落ち着いたデザインのカーペットを踏んで受付に行き、俺の名前と院長に呼ばれた旨を告げればしっかりと連絡が行っていたようで、すぐに笑顔で応対してくれた。

 立ち上がって案内してくれるお姉さんについて行けば、エレベーターで院長室まで連れて行ってくれる。どうぞ、と言われて和音と二人で室内に入れば、畑野浦さんとひとりの男性が迎えてくれた。

「やあやあ、ごめんね。わざわざ来てもらって。さあ、二人とも座って座って」

 立ち上がって椅子をすすめてくれる畑野浦さんに言われるまま、男性の向かい側のソファに腰をおろす。座るときに和音の肩を叩いてソファを示せば、彼女は黙ったまま俺の隣に腰をおろした。

 その様子を見ていた畑野浦さんは、 部屋のすみから冷たそうな麦茶ポットとグラスが乗ったお盆を持ってきて、みんなが囲っているローテーブルに置いた。好きに飲んでね、と言いながら男性と俺の間に置かれたひとりがけのソファに座ると、座ったきり電池が切れたかのように身じろぎもせず無表情でいる和音をまじまじと見つめて感心したように言う。

「本当に、お店で働いているときとはずい分違うんだねえ。いやあ、頑張って働いてるんだね」

 うんうん、とひとりで頷いた畑野浦さんは、所在無げに座っている男性に気が付いてそうそう、と話し出す。

「そうそう、こちらは鈴木くんと言って、ぼくの友だちなんだけどね。今日、来てもらったのは、和音ちゃんにこの鈴木くんのことを助けてあげてほしいからなんだ」

 紹介された鈴木氏に会釈していた俺は、続いた畑野浦さんの言葉に首を傾げた。

「助ける……ですか? 木浦さんににできるようなことなんですか?」

 言いながら和音に視線を向ければ、俯き加減の目が動いて畑野浦さんと鈴木氏をちらりと見て、一瞬だけ泳いだ後、また静かに虚空を見つめ出す。どうやら和音も戸惑っているようだ。

 そんな和音の様子には気がつかなかったようで、畑野浦さんはにこにこと笑って大きく頷く。

「いや、むしろ和音ちゃんだからこそ出来ることだよ」

 力強く言い切る彼に、俺はますます首をかしげる。

「和音ちゃんにお願いしたいことを説明するために、ちょっと鈴木の話をさせてもらうね」

 いいかな、と確認をとる畑野浦さんに、鈴木氏は戸惑いを浮かべながらも頷いた。そして、俺も頷くのを確認してから話し出す。


 鈴木氏は畑野浦さんの高校時代の同級生だが、今は結婚して遠い街に住んでいるという。どれくらい遠いかというと、新幹線やら在来線やらを乗り換えに乗り換えて最速でも七時間以上かかるくらい、遠い街らしい。

 そんな鈴木氏には幼いころから可愛がってくれている伯母がいる。この伯母は独身ではあるが子ども好きであったから、鈴木氏が結婚した時には我がことのように喜んでくれたし、さらに鈴木氏に子どもができたときには初孫に浮かれる実の祖父母と一緒になって喜んでくれた。

 そんな伯母がこのたび、目の調子が良くないと病院を訪れたところ、網膜が剥がれかけており手術が必要だと言われたらしい。その話をこの街に住む父母から聞いた鈴木氏は、ならば信頼できる医者に手術してもらおう、と畑野浦院長にお願いをし伯母はこの病院に入院したのだけれど。

 いざ手術を、と話を進めはじめたところで、伯母がまだ手術は受けない、と言いだしたのだ。

 早く受けるほどに予後が良くなるので、できるだけ早く手術をしたいのに、当人がそれを拒否している。時間を置くほど失明の可能性が高まると言っても、あと二週間待ってくれと言う。その理由を問えば、姪っ子として可愛がっている鈴木の娘の顔が見たいのだ、と。

 手術の結果、必ず視力が戻るわけではない。もしかしたら失明するかもしれない。ならば、その前にもう一度、可愛い姪の顔を見ておきたい。伯母はそう言った。

 しかし、伯母が入院したその日。間の悪いことに鈴木氏の娘は大学受験のための短期集中勉強合宿に出発してしまっていた。

 伯母が入院して会いたがっていることを伝えれば、伯母のことが大好きな姪はどれほど遠かろうと、合宿に参加できなくなろうとすぐに伯母の元へ来ただろう。

 けれど、伯母はそれを望まなかった。将来の邪魔はしたくない。合宿が終わるまで、ただ静かに待ちたいと言って、手術を拒否している。


「……というわけなんだよ」

 畑野浦さんはそう言って、困った顔をする。話し終えた彼に麦茶を注いだグラスを渡せば、感謝の言葉を述べてぐいっとグラスをあおる。

「早く処置するのが失明しないために何より大事なんです、ってぼくたちが言っても、駄目なんだ。可能性はゼロじゃないんでしょう、って言われちゃうと、医者として嘘つくわけにもいかないし」

 言いながら、空になったグラスを机に置いて、畑野浦さんはにっこりと笑った。

「だから、和音ちゃんに助けてもらいたいんだ」

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