第6話:執務室の不法占拠
雨の路地裏での一件から、二日後。
私の執務室の扉が、蹴破らんばかりの勢いで開かれた。
「おい。持ってきてやったぞ」
そこに立っていたのは、不機嫌を絵に描いたような顔をしたシオンだった。
あの日、泥と返り血にまみれていた姿とは一変し、黒い正装騎士服を完璧に着こなしている。
王宮騎士団の若き天才。廊下では彼を追ってきた女性ファンたちの、黄色い悲鳴が遠くで響いていた。
「シオン、扉は静かに開けるものよ。えーと、依頼書は持ってきた?」
私は図面から目を離さずに言った。
彼のような「周囲を威嚇することで自分を守る」タイプは、前世の反抗期真っ盛りの新入社員と同じだ。正面から取り合わず、事務的に流すのが一番効率がいい。
「チッ。これだろ。さっさと受け取れ」
シオンは乱暴に、一枚の書面と、あの日ボロボロだった短剣をデスクに放り出した。
依頼書には騎士団長のサインまで入っている。どうやら正式な公務として通してきたらしい。
「……よし、受理したわ。で、何か言い残すことは? 殺傷能力を上げろとか、毒の範囲を広げろとか」
ようやく顔を上げると、シオンは私のすぐ目の前に身を乗り出していた。
金色の瞳が、獲物を狙う蛇のように細められ、私の顔をじっと観察している。
「あんた、本当に平気なんだな」
「何が?」
「俺の魔力だ。この距離にいれば、普通の人間なら吐き気か眩暈がするはずだ。なのにあんたは、眉一つ動かさない。あの日だってそうだ。俺の毒に触れて、よくそんな平然とした顔でいられる」
シオンの声には、冷笑の裏に隠しきれない「苛立ち」と、それ以上に深い「飢え」が混じっていた。
「言ったでしょう。毒なんてただの属性よ。適切なフィルタを通せば、ただの熱源と変わらないわ。シオン、あんたは自分の力を特別だと思い込みすぎなのよ。もっと客観的に、自分の魔力を計算しなさい」
「はっ。計算、か。そんな無機質な言葉で俺を片付けたのは、あんたが初めてだよ、レリア」
シオンは不敵に笑い、私のデスクの端に腰掛けた。
あからさまな不法占拠だ。
「いいか。この短剣、あんたが満足いくまで弄り回せばいい。だが、条件がある。作業中、俺はここで見てるからな」
「はぁ? 邪魔よ。精密作業なんだから」
「関係ねえ。俺の獲物をどう料理するのか、この目で見極めてやる。それとも、怖じ気づいたか?」
挑発的な笑み。
だが、その瞳の奥には「自分を見捨てないか」を確認しようとするような、危うい光が見え隠れしていた。
(面倒くさいわね。でも、被験者がいた方が調整は早いかしら)
「わかったわ。そこに座ってなさい。ただし、私に一言でも話しかけたら、即座に塩漬けにして廊下に放り出すからね」
「面白い。やってみろよ」
それから数時間。
私はシオンの視線を背中に浴びながら、短剣の解体と再構築に没頭した。
彼の魔力は、鋭利で腐食性が高い。
ならば、その腐食エネルギーを「刃の外側」にだけ固定する指向性の術式を組めばいい。
作業が進むにつれ、私の意識はシオンという人間を離れ、純粋な「最適化」の世界へと沈んでいった。
ふと気づくと、外はもう夕闇に包まれていた。
「よし……テスト版完成。シオン、魔力を流してみて」
私が振り向くと、そこには驚くべき光景があった。
あの不敵な冷笑を浮かべていたシオンが、椅子にもたれかかったまま、静かに寝息を立てていたのだ。
「寝てる。私の執務室で、よくそんなに安心できるわね」
私は溜め息をつき、彼を起こそうと肩を叩いた。
その瞬間、シオンの手が電光石火の速さで私の手首を掴んだ。
「……っ!」
鋭い金色の瞳が開き、私を捉える。
だが、そこに殺気はなかった。
彼は私の手首を掴んだまま、逃がさないように力を込め、震える声で呟いた。
「……静かだ」
「え?」
「あんたの側にいると、俺の魔力が、狂わない。こんなに静かなのは、生まれて初めてだ」
シオンは、自分の心臓の音を確かめるように、私の手を自分の胸元へと引き寄せた。
「離して、シオン。業務外の接触は禁止よ」
「離さない。あんたが俺を直したんだ……責任、取ってもらうぜ? レリア」
闇の中で、彼の瞳が獲物を閉じ込めるように妖しく光った。




