第2話:納期と、狂い始めた氷のペース
約束の三日目。
私は少しだけ、誇らしい気持ちでデスクに座っていた。
目の前には、あの日アルヴィス様が放り投げていった杖が鎮座している。
見た目こそ変わりはないけれど、その内部には、私が三日間不眠不休(に近い状態)で構築した、論理的で美しい多重回路が詰まっている。
「……完璧。最高に気持ちいいわ」
思わず、杖の感触を指先でなぞってしまう。
前世で、複雑なマクロが完璧に動いた時のような、あのゾクゾクする快感。
普通なら、伯爵家の家宝を勝手に中身ごと書き換えるなんて「不敬」で済まないんだろうけど、技術者としてあの欠陥だらけの回路を見過ごすのは、生理的に無理だった。
彼がどんな文句を言おうと、この「効率」こそが正義。
私はそう信じている。
その時、廊下からあの「冷気」が近づいてくるのを感じた。
(……来た。予定時間の五分前。なかなかのタイムマネジメントね)
扉が開き、アルヴィス様が入ってくる。
彼はあの日と同じ、感情を一切排したような、美しい氷の仮面を被っていた。
けれど、その足取りにはどこか、三日前にはなかった微かな焦燥が混じっているように見えた。
「……三日だ。出来上がっているんだろうな」
「ええ。ちょうど今、最終の動作チェックが終わったところです」
私は営業用の愛想笑いを浮かべ、彼に杖を差し出した。
アルヴィス様はそれを奪い取るように受け取ると、鼻で笑って見せた。
「ふん。言っておくが、僕の魔力は並の魔導師とは桁が違う。その辺の小細工で誤魔化せるような――」
彼が言葉の途中で、杖に魔力を流した。
その瞬間。
アルヴィス様の言葉が止まり、執務室の空気が一変した。
あの日、暴発寸前だった彼の魔力が、今は一点の淀みもなく、静かに、そして鋭く杖の先へ収束していく。
荒れ狂う冬の海が、一瞬で磨き上げられた鏡のような氷原に変わったかのようだった。
「……なんだ、これは」
「並列回路による負荷分散と、魔力伝導率の最適化です。あなたの魔力は密度が高すぎて、出口を広げるだけじゃ足りなかった。だから『道』そのものを増やしたんです」
私は自分の「作品」を説明できる喜びで、少しだけ早口になっていた。
「これで、最大出力でも杖が焼けることはありません。もう、あなたが手加減して杖を労る必要はありません。好きなだけ叩き込んでください……どうです? 気持ちいいでしょう?」
私は彼を覗き込むようにして尋ねた。
職人として、ユーザーの満足度を確認するのは当然の義務だ。
けれど、アルヴィス様は杖を握ったまま硬直していた。
氷のように冷たかった碧眼が、激しく揺れている。
これまで彼は、その強大すぎる力を「制御すべき重荷」として扱われてきたはずだ。
周囲の魔導師は彼の力を恐れ、ただ「抑える」ことばかりを提案してきた。
それを、目の前の地味な平民は、「好きなだけ叩き込め」と笑った。
まるで、彼の本質そのものを、全肯定するかのように。
「……君は」
「はい、受領のサインをお願いします。あと、これ、今回の特注加工の明細書です。予算を超過した分は、実績報告として魔導院に回しておきますね」
私が淡々と事務処理を進めると、アルヴィス様はペンを受け取る手が微かに震えていた。
彼はサインを書き終えた後も、立ち去ろうとしない。
それどころか、じっと私の顔を見つめて、何かを言いかけ、飲み込み、また唇を震わせる。
(……あら? 何かしら。まだ不満があるの?)
「あの、アルヴィス様? 何かバグ……いえ、不具合でもありましたか?」
「……不具合、などない。むしろ、良すぎる」
彼は絞り出すような声で言った。
「……君は、僕の魔力を……僕を、どう思っている」
「どう、と言われましても。非常に高密度で、付加し甲斐のある、素晴らしい『エネルギー源』だと思いますよ。技術者としては、これほどやりがいのある案件は滅多にありませんから」
私は心からの賞賛を込めて答えた。
なのに、アルヴィス様は、私が「エネルギー源」と言った瞬間に、なぜかひどく傷ついたような、同時にひどく高揚したような、見たこともない表情を見せた。
「……エネルギー源……そうか、君にとってはそうなんだな。ふん、やはり不快な女だ」
彼は吐き捨てるように言うと、そのまま足早に去っていった。
……またか。
せっかく完璧に直してあげたのに、相変わらず態度が悪い。
これだから才能のあるエリート様は扱いが難しいのだ。
「ま、いいわ。納品は完了したし……今日は定時で帰って、あのお茶菓子を食べよう」
私は伸びをしながら、再び自分の世界へと戻った。
だが、扉の外。
アルヴィスは、壁に背を預け、激しく脈打つ胸を抑えていた。
(……僕は、道具じゃない。だが、あいつに『叩き込め』と言われた瞬間、どうしようもなく体が熱くなった……あんな、僕の力しか見ていない女の言葉で……!)
彼は自分の手に残る、彼女が整えた「心地よすぎる魔力の残滓」を呪うように握りしめる。
それは、誇り高い天才が、自分を「ただのパーツ」として扱う女に、魂ごと屈服し始めた瞬間だった。
本人がそれを「恋」ではなく「不快感」だと勘違いしたまま、執着という名の氷を深めていくことになるのを、私はまだ知らなかった。




