閑話:聖者の虚像(レナート視点)
王都の中心にそびえ立つ、大聖堂。
ステンドグラスから差し込む七色の光が、白い大理石の床を鮮やかに彩っている。
そこでは、数百人の信者たちが固唾を呑んで、祭壇に立つ一人の男を見上げていた。
「皆に、主の加護があらんことを」
レナートが穏やかに微笑み、両手を広げる。
その声は、聞く者の魂を直接震わせるような慈愛に満ちていた。
人々は一斉に跪き、むせび泣きながら彼に祈りを捧げる。
「ああ、レナート様……! 我らが魂の救済者よ……!」
「彼の方に触れていただければ、どんな病も、どんな罪も消え去るという……」
礼拝が終わると、彼の元には病に苦しむ者や、悩みを抱えた貴族たちが列をなした。
レナートは一人一人の手を取り、優しく言葉をかける。
その清廉潔白な姿は、まさに神の代行者そのものだった。
だが、その指先が触れるたび。
人々の「穢れ」を吸い上げるフリをしながら、レナートの内側では、あの「壊死の呪印」が歓喜に震えていた。
(……浅ましい。救いを求めるその瞳も、私にすがるその震える指も、すべてが醜悪だ)
内心では、反吐が出るほどの嫌悪感を抱いている。
レナートにとって、自分を崇める大衆は、呪いの糧となる「効率の悪い燃料」に過ぎない。
彼がどれほど聖者として振る舞おうと、その心は一滴の光も通さない、暗く冷たい空洞だった。
夕暮れ時、ようやく人払いをした大聖堂の奥深く、彼専用の祈祷室。
レナートは重い神官服を脱ぎ捨てると、鏡の前に立った。
皮膚の下を這いずる黒い鎖――呪印が、今もなお彼の生命を蝕んでいる。
「……レリア」
その名を口にするだけで、冷え切った彼の胸の奥に、初めて「生」の熱が宿る。
他の誰もが、この呪いを見て目を背けるか、形だけの祈りを捧げる中。
彼女だけは、私の腕を力強く掴み、食い入るようにその「構造」を見つめた。
『なんて非効率なエネルギー変換なの!』
あの日、彼女が放ったその言葉が、レナートの全人生を肯定したのだ。
神にさえ見捨てられ、ただ苦痛を耐えるだけの存在だった自分を。
彼女は「改善すべきバグ」として、対等な土俵に引き上げた。
それは、どんな聖句よりも、どんな奇跡よりも、レナートにとっては救いだった。
「ふふ。……あの偏屈なカスティールや、血生臭い騎士の少年が彼女に執着するのも無理はない。……だが、彼女に相応しいのは、もっと静謐で、もっと深い、永遠の闇だとは思わないかい?」
レナートは鏡の中の自分に問いかけ、細く長い指先で、レリアが触れた箇所の皮膚をなぞった。
その日の夜。
レナートは、教会の宝物庫に眠っていた「伝説級の魔導書」を持ち出した。
それは本来、一国の王であっても閲覧を禁じられている、超古代の付加魔法の理論書だ。
(これを渡せば、彼女はどんな顔をするだろうか……きっと、あの美しい瞳を輝かせ、夢中でページを捲るに違いない)
王女からの晩餐会の招待状は、すでに暖炉の火にくべてある。
民衆を導く聖者の顔をかなぐり捨て、彼は一人の「恋に狂った信者」として、闇夜に紛れて動き出した。
彼の向かう先は、もちろん、あの薄暗い地下の執務室だ。
「さあ、私の女神……今夜はどんな風に、私を直してくれるのかな」
聖者の仮面の裏側で、レナートはこれまで一度も見せたことのない、ぞっとするほど甘く歪な笑みを浮かべていた。




