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第9話:技術者の聖域と、過剰な供給

 嵐のような二人が去り、ようやく地下室に静寂が戻った………はずだった。



 私は、シオンがわざとらしく肩に置いていった手の感触――わずかに残った熱と毒の残滓を、除菌用の魔導水で念入りに拭き取る。


 前世の事務職時代、無神経な上司に肩を叩かれた後のような、あの生理的な不快感に近い。けれど、今の私にとって優先すべきは感情の整理ではなく、乱れたスケジュールのリカバリーだ。


「……さて。あと十分でシオンの短剣を仕上げて、残りの三十分で、さっきアルヴィス様が置いていった術式の『宿題』を片付けないと」


 私は鉄筆を握り直し、作業に没頭しようとした。



 だが、その集中を阻害するように、再び扉がノックされた。今度は蹴破るような乱暴な音ではない。だが、運び込まれてきた「音」の数が異常だった。


「失礼します、レリア殿。……アルヴィス様およびシオン様からの『差し入れ』をお持ちしました」


 入ってきたのは、数人の運び屋たちだった。

 彼らが手にしていたのは、小さな菓子折りどころではない。

 最高級の魔導冷却箱、中身が詰まった木箱、そして、王都で最も予約が取れないと言われる花屋の巨大な花束。


「……待って。何これ。私、こんなの注文してないわよ」


「アルヴィス様からは『作業環境の改善に役立てるように』とのことで、最高級の魔力安定触媒(希少な香木)と、疲労回復に効く特製のハーブティー一式を。そしてシオン様からは『昨日のお礼』として、王都最高のレストランのフルコース仕出し弁当と、なぜか……最高級の研ぎ石一式をお預かりしております」


 運び屋たちが、狭い執務室にそれらを次々と積み上げていく。

 瞬く間に、私の聖域であるデスクの周りは、高級品の山で埋め尽くされた。

 

 特に、アルヴィス様が送ってきた「魔力安定触媒」の香りは、鼻が曲がるほど上品で、かつ強力だ。これでは、微細な魔力の揺らぎを感知しなければならない精密作業の邪魔になる。

 一方で、シオンの「最高級の研ぎ石」は、見た瞬間に分かった。それはドワーフの国でしか採掘されない、国家予算が一瞬で吹き飛ぶような魔鉱石だ。


(……なんなの、あいつら……嫌がらせ? 嫌がらせなのね?)


 前世でもいた。

 お礼と言いつつ、こちらの都合を無視して高級な酒や菓子を送りつけ、「これだけしてやったんだから、次は優先的に処理しろよ」という無言の圧力をかけてくる取引先。

 

 彼らにとって、これは「求愛」のつもりなのかもしれない。

 けれど、私にとっては、これらはすべて「ノイズ」でしかないのだ。

 

 私は山積みになった高級品の山を眺め、深く溜め息をついた。

 

「……いいわ。全部『資料代』と『設備投資』として帳簿につけておきましょう。……でも、花束だけは無理。魔力の干渉が強すぎて、術式が狂うわ」


 私は花束を部屋の隅に追いやり、再び鉄筆を握った。

 


 だが、作業を再開した私の脳裏には、先ほどの二人の顔が浮かんで消えない。

 アルヴィス様の、あの「自分だけを見てほしい」と言わんばかりの、飢えた子供のような碧い瞳。

 シオンの、自分の命を投げ打ってでも「安らぎ」を奪い取ろうとする、狂気に満ちた金色の瞳。

 

 彼らは間違いなく、この国の宝だ。

 その才能も、容姿も、魔力も、すべてが完璧に設計された一級品。

 

 けれど、その「中身」は、ひどく歪んでいる。

 アルヴィス様は氷のような孤独に震え、シオンは毒という名の絶望に溺れている。

 

 そして、その歪みを「最適化」できるのが私しかいないのだとしたら。

 

(……だとしたら、それはただの『保守運用』の義務でしょ。……愛だの恋だの、そんな非論理的な概念、入り込む余地なんてないわ)

 私は自分に言い聞かせるように、回路に魔力を叩き込んだ。

 

 しかし、私がそうやって「仕事」として割り切れば割り切るほど、彼らの執着は深まっていく。

 なぜなら、彼らが今までに出会ってきたどの女性も、彼らの「歪み」を愛そうとしたか、あるいは恐れた。

 「直すべき部品」として冷徹に、けれど真摯に扱ったのは、多分、世界で私一人だけだから。

 



 作業に没頭する私の背後に、また一つ、不穏な影が近づいていることにも気づかずに。

 

 執務室の影から、一人の男が静かに私を見つめていた。

 アルヴィスでもシオンでもない、第三の影。

 

 その男は、私の机の上に置かれたシオンの短剣と、アルヴィスが贈った香木を交互に眺め、低く、くぐもった笑い声を漏らした。

 

「……なるほど。この子が、あの偏屈な天才共を『飼い慣らした』魔導師か」

 

 その声を聞いた瞬間、私の背筋に、アルヴィス様の氷ともシオンの毒とも違う、もっとドロリとした「闇」のような悪寒が走った。

 

 私は振り返る。

 そこには、魔導院の制服ではない、漆黒の神官服を纏った見知らぬ男が立っていた。

 

「……誰? 許可なく入らないでって言ったはずだけど」

 

「おっと、失礼!私はレナート……君の評判を聞いて、どうしても私の『呪い(バグ)』も見てほしくなってね」

 

 三人目の狂信者。

 その出会いが、私の平穏なエンジニアライフを、さらなる泥沼へと引きずり込んでいくことになる。

 

 私は、手元の鉄筆を握りしめたまま、心の中で毒づいた。

 

(……もう、定時退社なんて夢のまた夢ね。……バグが多すぎるのよ、この世界!!!)

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