第85話 モルモット
あかん。血が足りへん。
頭がふわふわして、視界がぐにゃっと歪む。足に力も入らん。
……ここで死ぬんか、俺。
こんな、何もあらへん研究所で。
俺は、ここで作られた存在や。完全なモルモット。母親の顔なんて、知らん。
所長が言うとった。
「子供の実験動物が欲しかったから生ませた」
ただ、それだけや。
俺には、13人の妹と弟がおった。
「お兄ちゃん、遊んで〜」
「お兄ちゃん、抱っこ〜」
「お兄ちゃん、本読んで〜」
そんな声が、今も頭の奥で反響しとる。
全員、モルモットや。全員、実験台にされて。気ぃついたら、生き残っとったんは俺だけやった。
せやけどな。
所長のこと、恨んだことは一度もあらへん。
所長の意思で産み落とされた命や。
所長がおらんかったら、俺は最初から存在してへん。
それだけの話や。
……ある時、セラと出会った。
どうやら、オリジナルの能力者らしい。
初めて会うたんは、俺が十二の時や。やけに暗い目ぇした子やな、って思た。
セラは、母体として育てられとった。
人間やなくて、道具として。俺とおんおんなじや。
せやのに、歳を重ねるごとにや。
不思議なくらい、明るい性格になっていった。
聞いた話やと、ガキを産ませるために薬を打ったら、段々、常にテンション高い状態になってもうたらしい。
……哀れやった。
でもな。
研究所の中を元気に走り回るセラを見とると、
どうしても思い出してまう。
実験台にされて、何も残らんまま死んでいった──俺の妹たちのことを。
血の匂いが、やけに濃い。
視界が、ゆっくり白うなっていく。
……ああ。俺は、ここまでなんかもしれんな…
ラジンは虚ろな目で前を見据えていた。
最後の力を振り絞り、片手で拳を握る。指の隙間から、圧縮された空気の塊が放たれた。
だが、ドバトはそれを冷静にかわし、距離を詰めていく。
次の瞬間、ドバトはすでにラジンの目前にいた。
「……終いか……」
その呟きに答えることなく、ドバトは刀を振り下ろした。
刃は斜めにラジンの身体を裂き、鮮血が床に飛び散る。
ラジンは音もなく崩れ落ちた。
見下ろすドバト。その視線の先で、ラジンはかすかに唇を動かす。
「……おい……」
「……なに?」
「……セラを……助けてくれ……」
それが最後の言葉だった。ラジンは、静かに息を引き取った。
ドバトはしばらく、血にまみれた亡骸を見つめていた。
ピンポーンッ
エレベーターの到着音が、静寂を切り裂く。
反射的に刀を構え、身構える。
ガラス戸の向こうに現れたのは、見知った顔だった。
「あ〜!セッカくん!」
「店長!」
片腕を押さえたセッカが立っている。ドバトはすぐに駆け寄った。
「無事で良かったよ〜。その怪我大丈夫〜?」
「こちらこそ、店長大丈夫なんスカ?その怪我?」
セッカは、ドバトの胸元に視線を落とす。
「ん〜。全然!よゆー」
「アンタ達さっさと帰るわよ」
その声に振り向く。
「あ! スズメちゃん!」
エレベーターの中には、全身ボロボロのスズメが立っていた。
「スズメちゃん……だいぶやられたね!」
「うっさい」
いつもなら飛び蹴りの一つも飛んでくるところだが、その気配はない。ドバトは、スズメが限界に近いことを悟った。
「じゃあ初くんと薬を回収して、さっさと『りうか』に帰ろう〜!」
そう言って、ドバトはエレベーターに乗り込み、1階のボタンを押した。
そのとき
ピッ、ピッ、ピッ。
スズメのポケットから発信音が鳴る。
彼女はデバイスを耳に当て、そしてすぐに表情を強張らせた。
「もしもし?アンタ今ど──
言葉が途切れ、短い沈黙が落ちる。
「はぁ?それどういうこと?」
スズメの怒号が響く。
「ちょっと!おい!」
ドバトが声をかける。
「初くん、何だって?」
「……ここが、あと十分で爆発するから逃げろ、だって」
ピンポーンッ
一階に到着し、扉が開く。
警備兵の姿はなく、広い休憩場だけが広がっていた。
スズメが言い放つ。
「逃げるわけないじゃない。アイツを助けるわよ!」
ドバトは、スズメとセッカを見渡した。
スズメは立っているのがやっとの状態。セッカも片腕を押さえ、満身創痍だ。
「……僕が一人で行ってくるよ」
「は?」
スズメが睨みつける。
ドバトは、静かに、しかし強く言った。
「僕が、初くんを連れてくる」
二人は、その目を見た。覚悟が宿った、揺るぎない眼差し。
「…………必ず連れてくるのよ」
「うん!」
「頼みましたッス!」
ドバトは踵を返し、走り出す。
スズメとセッカは、その背中を見送ったあと、ゆっくりと出口へ向かって歩き出した。
爆発まで、残された時間はわずかだった。




