第83話 ラウンド2
「セラさん!」
呼びかけると、彼女ははっきりと頷いた。
「はい!」
その声は、間違いなく“いつもの”セラさんだった。
張り詰めていたものが一気に緩み、僕の目から、思わず涙がこぼれる。
「よかった……本当に……」
「本当に、ご迷惑をおかけしました!」
そう言って、セラさんはノアちゃんの方へ歩み寄った。
「ママ……」
小さく、震える声。
セラさんは一瞬困ったように笑い、それから肩をすくめた。
「いや〜!ママって言われると何か変な感じですね〜!はい、ママです!」
ノアちゃんは堪えきれなくなったように、セラさんに抱きついた。
「ママぁ……」
泣きながら、しがみつく。
「あらあら……」
セラさんは優しい目でノアちゃんを見下ろし、そっと頭を撫でた。
「お名前は?」
「…………ノア」
「可愛い名前ですね!」
その光景を、僕は少し離れた場所から見ていた。そして、ゆっくりと視線をずらす。
星を、睨みつける。
星は呆然としていた。目を見開き、口元が小刻みに震えている。
「な……なぜ、こんなことが……」
「さぁな。テメェの薬が出来損ないだったからじゃねえか?」
僕は銃を構え、星に向けた。
「くたばれ」
引き金に指をかけた、その瞬間。
ズキンッ。
足に走った激痛で、照準がわずかにぶれる。
バンッ!
弾丸は頭を外れ、星の肩を撃ち抜いた。
「がぁぁぁ!」
星が悲鳴を上げ、姿が見えなくなる。この場所は段差があり、星のいる位置は約五メートル下だった。
「チッ……外したか……」
「初さん、待っててください!」
セラさんが両手に火を灯し、その場に浮かび上がる。
───そんな事出来るんだ…。
セラさんは星が操作していたパソコンのそばへ向かい、ためらいなくボタンを押した。
ウィーンッ、というモーター音。
視線の先に、肩を押さえ、苦悶に顔を歪める星の姿が見えた。
僕は再び銃を構える。
「……これで終わりだ」
だが、星は笑った。
「……何がおかしい」
その瞬間。
ビーッ、ビーッ
突然けたたましいアラームが耳をつんざく。
耳をつんざく警報音が鳴り響いた。
僕らは音に気を取られ、星が銃を取り出していたことに気づくのが遅れた。
その銃口が向けられていたのは、僕でもセラさんでもない。
ノアちゃんだった。
───まずい!
僕は全力で駆け出す。
──間に合え!
バンッ!
乾いた銃声。
反射的に目を閉じる。だが、痛みは来なかった。
───なにが…
恐る恐る目を開ける。
目の前に、セラさんがいた。
「セラさん!」 「ママ!」
セラさんが、ゆっくりと崩れ落ちる。僕は慌てて抱きかかえた。
「……すみません……銃に……気づきませんでした……」
「気づかなかったのは、僕の方です……すみません」
涙が溢れ、止まらなかった。顔を上げると、星がこちらを見て笑っていた。
「星!」
「いや〜、君たちは何を勘違いしているのだね?」
「は?」
「それは実弾じゃないよ。ほら、血が出ていないだろう?」
はっとして、セラさんを見る。確かに、血は出ていなかった。
だが、彼女は明らかに苦しそうだ。
背筋が、凍る。
「何を撃──」
バコッ!
突然、強烈な蹴りが飛んできた。
視界映ったのは、虚ろな目をしたセラさん。背後には、揺らめく炎。
「ッ……星ぃ!」
星の笑い声が響く。
「セラには、より強力な薬を打った。使いたくはなかったがね。これを打つと能力が暴走し、理性を完全に失うのだよ」
冷や汗が頬を伝う。
「さっきのブザー音が、何だか分かるかね?」
星は含み笑いを浮かべる。
「あれは、この施設の自爆装置だ。あと十分ほどで爆発する。ちょうど、研究のコピーデータも取れたところだ」
星はパソコンからUSBメモリを引き抜いた。
さらにテーブルのボタンを押すと、天井から筒状の構造物が降りてくる。
星はUSBをポケットにしまい、足元の大きなアタッシュケースを手に取った。
「これでセラもスペアも不要だ。次は、もっと従順な母体を作るよ」
バンッ!
発砲するが、弾丸はセラの炎に触れ、溶け落ちる。
筒の扉が開く。それがエレベーターだと、ようやく理解した。
──逃げられる!
星がエレベーターに乗り込む。
僕はナイフを握り、走り出す。
しかし──
バコッ!
再び蹴りが飛び、意識が揺らぐ。膝をつきながら、星を睨みつける。
「ほしぃぃぃ!!」
扉が閉まる。
「セラ、そいつらを殺せ」
笑顔のまま、星の姿が消えた。
次の瞬間、辺りを包む異常な熱。
思わず後ずさる。
セラさんの背後には、これまで見たことのない炎が渦巻いていた。
先ほどとは比べものにならない。肌が、魂が、殺気を感じ取っていた。
僕はデバイスを取り出し、スズメさんに繋ぐ。
『もしもし? アンタ今どこ──』
「この施設、あと10分で爆発するらしいです。みんなを連れて、早く逃げてください!」
『はぁ? それどういう──』
ブツッ。
通話を切る。
デバイスをポケットにしまい、迫り来るセラさんを見る。
背後で、ノアちゃんの気配を感じる。
「ノアちゃんも、早く逃げな!」
ノアちゃんは、静かに首を振った。
「いいえ、逃げない」
「なんで!?」
「私も、戦うわ」
「ッ…………」
僕は、ゆっくりと近づいてくるセラさんを見据えた。
ここからだ。
第2ラウンドが、始まった。




