第20話 射撃
車に揺られ、どこか遠くへと運ばれていく。
運転席の店長も同じジャージ姿で、いつものように飄々とした笑みを浮かべている。
店長からもらったジャージを着て、僕は、ボーッと外の景色を助手席に座りながら見ていた。
何時間も気を失っていたのか、太陽が燦々と輝いていた。
「あの…どこに向かってるんですか?」
尋ねると、同じくジャージ姿の店長は片手でハンドルを軽く回しながら笑った。
「ん〜?秘密の特訓場だよ〜。」
秘密の特訓場──その響きが、妙に不穏に聞こえる。殺しの特訓というのは、一体何をするのだろう。
車はいつの間にか山道へと入り込んでいた。舗装もされていない細い道を、タイヤが石を弾きながら進んでいく。木々が覆い被さるように道を塞ぎ、昼間なのに薄暗い。
やがて、車がゆっくりと停まる。エンジン音が止まり、静寂が広がった。
ドアを開けた瞬間、冷たい空気が頬を撫でた。
外は開けた広場のような場所で、霧がうっすらとかかっている。草むらは夜露で濡れ、靴の裏がひんやりと冷たかった。
見渡す限り、人の気配はない。
周囲を囲むのは黒ずんだ木々ばかりで、どの枝も乾ききって骨のように見える。風が吹くたび、枝と枝が擦れ合い、不気味な音を立てた。
「ここで……何をするんですか?」
そう尋ねた瞬間、店長が何かを放り投げた。
「はいこれ〜」
反射的に両手を出す。ずしり、と重みが手のひらに落ちた。
金属の冷たさが指先に伝わる。
見下ろすと、それは黒い鉄の塊──銃だった。
「こ……これって……」
言葉が喉で止まる。店長はにやりと笑って、車の後部座席から何かを取り出した。
それは、人の形をした標的。胸のあたりに赤い円が描かれている。
「じゃあ─練習しよっか〜。」
静寂の山中に、店長の軽い声が響いた。
「ここね〜」
僕との間に三メートルほどの距離を取ってそれを立てかける。
何が始まるのか理解できず、ただ立ち尽くす。風の音と、木々のざわめきだけが耳を撫でていく。
僕が固まっていると、店長はいつもの調子で笑った。
「あぁ、大丈夫だよ〜。ここだと発砲しても人来ないから〜」
───そういうことじゃない。急に銃を渡されて、「撃て」と言われて、撃てるわけがないだろ。
それでも店長の笑顔は崩れない。
───撃つしかない。
銃なんか、ゲームでしか撃ったことがない…。
ゲームの中では、ただの数字と効果音でしかなかったそれが、いまは明確な質量と冷たさを持って存在している。
心臓の音がうるさい。耳のすぐ後ろで鳴っているみたいに、ドクンドクンと音が響く。
銃口を人形に。息を詰め、震える指をゆっくりと引き金にかけた。
───バンッ!
引き金を引いた瞬間、世界が一拍で裂けた。耳を貫く爆音が空気を震わせ、反響が木々の間を駆け抜け
る。
火薬の匂いが鼻腔を満たした。腕を通じて、肩、背骨、足の先まで衝撃が伝わった。膝が抜け、体がふわりと沈む。
手の中にはまだ銃の振動が残っていた。それが心臓の鼓動と重なり合い、体の内側で共鳴している。
倒れた僕を見て店長が笑いながら駆け寄る。
「大丈夫〜?」
店長の声が、遠くで揺れる。駆け寄ってきた店長が僕の腕を掴み、引き上げる。その手は驚くほど温かかった。
「ほら、しっかり立って〜」
僕の震える手を包み込み、店長はそのまま銃を握る指に手を添えた。背後から腕を回し、まるでダンスの指導でもするかのように、そっと耳元で囁く。
「こうやって構えて、反動を受け止めるんだよ〜」
その声は妙に柔らかかった。
「まず、グリップの高い位置を握って〜。」
店長の声が、背後から優しく落ちてくる。
言われたとおりに右手を銃に添えると、冷たい金属が掌に吸いつくように馴染んだ。
「で〜、左手を右手に包むように密着させて〜。あと、親指をフレームっていう銃の突起の部分に付けて〜。」
店長の指が、僕の手の甲にそっと触れる。指先で位置を直されるたび、鼓動が一拍、早くなる。
「……こ、こうですか?」
「うん、いい感じ〜。で、このまま──撃っちゃお〜!」
一瞬、呼吸が止まる。
バンッ!
銃声が再び空気を裂いた。火薬の匂いが舞い、反動が腕を叩く。
「あ……当たった……。」
驚いて目を凝らすと、標的人形の胸に小さな穴がぽっかりと空いていた。
「おぉ〜!当たった!」
店長は満面の笑みで両手を叩いた。その笑顔につられて、思わず小さく息を漏らす。
「じゃあ次は、もっと遠くにしようかな〜」
店長が人形を持ち上げ、少し離れた場所に置く。距離はおよそ数十メートル。目で追うと、標的が急に小さくなったように見えた。
──当たるのか、これ……?
手の中の銃が、さっきよりもずっと重く感じる。指先が汗ばみ、呼吸が浅くなる。
そんな僕の肩を、店長がぽんと叩いた。
「銃を撃つときはね、できるだけ何も考えずに、狙いを定めて撃つんだよ〜」
不思議と、その声を聞いた瞬間、胸の中のざわつきが静まった。深呼吸をひとつ。
視界の中心に標的の赤い円が浮かぶ。距離は十メートルのはずなのに、なぜかさっきよりも近く見えた。
──撃つ。
バンッ!
一瞬の静寂。耳の奥で余韻が響く。
当たったかどうか、分からない。僕と店長はゆっくりと標的人形へ歩み寄る。
近づくにつれ、胸の鼓動が速くなる。
そして──人形の頭部に、くっきりと穴が開いていた。
「おぉ〜! もしかして、初くん、銃の才能あるんじゃない〜?」
店長の声が嬉しそうに弾む。その言葉が胸の奥に染み込み、頬の筋肉が自然と緩むのを感じた。
店長は、口の端を上げて小さく笑った。
「じゃあ──チャレンジでやってみるかな〜!」
そう言って、彼は標的人形をさらに奥へと運んでいく。霧の向こう、地面がかすかにうねる先。目測で百メートルほどの距離だろうか。さっきの倍の距離。
立ち尽くしたまま、その小さな影を目で追う。人形の頭は、もはや米粒ほどにしか見えなかった。
店長は標的のそばまで歩くと、こちらを振り向き、大声で叫んだ。
「これ、この銃が届くギリギリなんだ〜!当たるかなぁ〜?」
声が木々に反響して、森の奥へ吸い込まれていく。
───当たるわけないだろ……。
そう思いながらも、胸の奥にかすかな火が灯った。不可能だと分かっているのに、試してみたい。
───チャレンジだけでもしてみるか……。
深く息を吸う。肺の奥まで冷たい空気を流し込む。指先の震えが、ゆっくりと静まっていく。
───頭を……狙う!。
照準を合わせる。心臓の鼓動が、一瞬だけ止まる。
バンッ!
銃声が山中を裂いた。空気が震え、遅れて風が頬を撫でる。
「どうですかっ!」
叫ぶように店長へ声を飛ばす。
遠くで、店長が標的の裏を確認し──そして、両手で大きく“〇”のジェスチャーを作った。
「……マジか。」
思わず呟いた。まるで夢の中のようだった。
狙って撃ったはずなのに、当たったという実感がない。
銃を握る手が、じんわりと汗ばむ。
腕に残る反動の余韻と、心臓の鼓動が重なって響いていた。
「いや〜、まさか当てるとは……。」
ドバトの声には、呆れと感嘆が半分ずつ混ざっていた。目の前の標的人形は、頭の中心にぽっかりと穴を開けている。
風に乗って漂う火薬の匂いがした。
遠くで鳴く鳥の声。世界が一瞬だけ静まり返ったように感じる。
「……凄いな。」
ドバトは思わず、小さくつぶやいた。その声には、称賛というよりも――どこか恐れに近い響きがあった。
初を見つめながら、彼の脳裏に一人の人物の面影がよぎるのであった。




