第11話 りうか
僕はこの店──『りうか』に来たことがあった。
昨日、セラさんと一緒に来た店だ。僕が驚いた顔をしていると
「ん〜?来たことあるのぉ〜?」
鳩男が、聞いてきた。
「は、はい…。まさか、殺し屋がやっているお店だとは…。」
「ま、そうだよねぇ~。」
鳩男は肩をすくめるように笑った。
「まさか、殺し屋が飲食店を経営しているとは、思わないよねぇ〜。」
「は、はい。」
「ここの従業員は、『トリカゴ』の人間だけって決まってるからさぁ〜。」
鳩男は静かに、面を外し、フードを脱いだ。鳩の仮面の下に隠れていたのは、黒髪の青年だった。
光を吸いこむような黒い髪。
目は──まるで死んだ魚のようだった。濁ってはいない。ただ、生きることにもう興味を失ったような、底の見えない静けさを湛えていた。
そして、男は、笑顔だった。それは、嘘みたいな笑顔だった。その笑顔を見た者は、きっと一瞬だけ、安心する。だが次の瞬間、背筋を冷たいものが走るだろう。
「こっちこっちぃ〜」
男は手を振り、厨房へと誘った。カウンターのドアを押し開けると、そこには包丁やミキサー、フライパンが器用に並んでいた。どれも一本一本がきちんと手入れされ、ステンレスの天板は曇り一つなく磨かれていた。
男は僕を引き連れて、奥の扉を開ける。そこはさっきの喫茶店めいた空間とは対照的に、真っ白な部屋だった。白い壁に、無機的な灯りが落ちる。
正面に三つ、両側に二つ、計五つの扉が整然と並んでいる。男は指をさし、それぞれを説明していった。
正面右側の扉には、青色の人形の性別記号が貼られていた。
「そこが男子更衣室だからぁ〜。」
その左隣には、赤い人形の性別記号が貼ってあるので、そちらは、女子更衣室なのだろう。
そのまた、隣の扉には、『店長室』と書いてあった。
「そこは、僕の部屋。勝手に入らないよ〜に!」
「は、はい。」
次に男は、左側の扉を指差した。
「そこは、倉庫。調味料とかの予備なんかが入ってるよぉ〜」
最後に右側の扉を開ける。
そこは裏路地へと通じていた。剥がれかけたポスターが壁に重なり、湿った空気が漂っている。
「ここは、裏路地につながってる扉ぁ〜。裏口みたいなぁ〜?」
男は男子更衣室に入り、の電気をつけ、僕を中へと導いた。
並んだロッカー、朽ちた小さな椅子、そして暖簾のかかった小部屋──居心地の良さとは程遠いが、どこか生活感が混ざっている。男はひとつの綺麗なロッカーを指さした。
「ここに荷物を置いてねぇ〜。あ、初くん、君、身長何センチ〜?」
「え……177cmです。」
「へ〜………。あ、ちょうどいい。ちょっと待っててぇ〜。」
男は去って行き、しばらくして戻ってきた。
その手には、何らや畳まれた服のようなものがあった。
「これ、ウチの制服。ちょうど、ぴったりなのがあったからあげるよぉ~。」
「あ、ありがとうございます!」
僕は言葉に詰まりつつも、ありがたく受け取った。初めて手にする制服に、胸の奥が少しだけ騒ぐのを感じた。
「うん!」
そう言って男は、笑顔を見せた。
「あと〜。これ!」
そう言って手渡したのは、寝袋。
「今日から、ここで寝てもらうよぉ〜。」
「え…。」
「だって、君の家六田にバレちゃってるんだから、帰れないでしょ〜?」
「た、確かに…。」
そう言われればそうだ、しかし、更衣室で寝泊まりなんて、なんだか変な感じだ。
男は、暖簾のかかった部屋を指さした。
「そこにシャワー室あるから自由に使っていいよぉ〜。」
「わ、わかりました。」
「明日は、ウチ従業員が全員来る日だから、挨拶と業務内容を教えるよぉ〜。」
「了解です…。」
「じゃあ、僕帰るからぁ〜。」
そう言って、男は、ドアノブに手をかける。
「あ〜」
男がこちらを振り返る。
「明日、殺されないようにね〜。」
そう言って去っていった。
───こわ。
いざ、ロッカールームに一人になると、なんだか、孤独感を感じた。
───とりあえず、荷物ロッカーに入れて、シャワー浴びて、寝よう。
そう思って、ロッカーを開ける。
何も入ってない綺麗な状態だった。一度、制服を広げてみる。
黒を基調とした、どこかクラシカルで整った制服。生地は軽やかだが、襟元と袖口はきちんと整えられている。胸元には小さなリボンが結ばれており、角度によってはほとんど影に溶け込むほど控えめだった。合わせて、黒色のエプロンもあった。
───あれ…?
エプロンの裏に白色の糸で『カラス』と刺繍がされていた。
───前の持ち主の名前かな…?
制服をたたみ、ロッカーに入れシャワー室に行く。暖簾の隣にスイッチがあったので押すと、電気がついた。暖簾をくぐると洗面台があり、その左隣に半透明のドアがあった。
ガチャッ
開けてみると、そこは個室のシャワー室だった。白いタイルの壁が、蛍光灯の光を受けて鈍く光っている。
床には細かな水滴が残り、湿った空気がゆっくりと肌にまとわりついた。
壁際には小さな棚と鏡、備え付けのボトルが三本──シャンプー、リンス、ボディソープ。
どれも整然と並べられていた。
服を脱ぎ、シャワー室に入る。
金属のノブをひねると、水音が反響し、体温と緊張が混ざる。シャワーを浴び終えると、体は冷たく、そして妙に孤独だった。
服を再び着て、部屋の電気を消し、さっきもらった寝袋の中に入った。
知らない人の匂いがした。心臓の音がやけに大きく聞こえ、明日への不安が夜を満たす。
───これからどうなるんだろう…。
店員全員が殺し屋という現実。ちょっとした失敗で命を狙われるかもしれないという恐怖が、常に頭の片隅に潜む。
───あ…。
眠りの縁で、ふと気づいた。些細なことだが、見落としていた問いが僕の胸をつつく。
───店長の名前聞いてないじゃん。




