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【終幕:それでも、歩く者】



 夜は明けた。


 断罪劇も、祝勝会も、バルコニーでのやりとりも、全て夢のように消えていく。  舞踏会のあった大広間は、もう朝靄の中に沈み、誰の声もしない。


 私は、人気のない庭園を歩いていた。  昨夜の狂騒が嘘のように、世界は静まり返っていた。  まるで、最初から誰もいなかったかのように。


 花も、木も、まるで誰にも見られることを諦めたかのように静かに揺れていた。  パンジーだけが、誇らしげに朝日を受けて笑っているように見える。


「……昨日の舞台で、いちばんいい仕事してたの、あんたかもね」


 私はパンジーに向かってそう囁いた。  誰に言ってるのか分からない台詞。けれど、それがいい。


 ──誰も、救われない。


 それが、この物語の結末だった。  王子は失脚し、賢者は信を失い、騎士は己の正義に疑問を持った。  リリアンは“ヒロイン”であることをやめて、ただの少女として生きることを選んだ。


 彼らはそれぞれ、“物語”から落ちた。


 そして私は──最初から“そこ”に立っていた。



 あの夜、誰もセシリア・ド・ラファエリに花束を渡さなかった。  王子の謝罪も、群衆の称賛も、何もなかった。  誰も、私を祝福しなかった。


 でも、その夜会の余韻の中、ひとつだけ印象に残ったことがある。


 ──隅っこで転んだまま立ち上がれなくなっていたギルベルトに、メイドのルネが「床とご結婚ですか?」と聞いた。  ──アーサーは泣きながらケーキを食べ続け、最後はスポンジで鼻をかんだ。  ──王子は椅子から立ち上がれず、助けを求める声が「ぼくは悪くないもん……」としか聞こえなかった。


 地獄絵図である。  でもまあ、見慣れた地獄絵図だった。


「……この国、あと三日は持つかしら」


 冗談のつもりで呟いた。  でも、それに答える者はいない。  静寂の庭に、ひとりぼっちのモノローグだけが染みていく。



 私は歩く。  何も求めず、何も期待せず、ただ地面を確かめるように一歩一歩。


 祝福はなかった。  でも、それでいいと思っていた。


 だって、私の“勝利”は誰かの拍手ではなく、  私自身の意思で勝ち取ったものだったから。


 拍手も、喝采も、物語も、いらない。


 必要なのは、私が“私として”ここにいること。



 途中、道端の猫に話しかけてみた。


「ねぇ、私、どうだったと思う?」


 猫は尻尾をひとつ打って、無言で立ち去った。


「……あんたも無言派なのね」


 私は肩を竦めて笑う。  涙も、もう出なかった。  最初から、誰も私の味方ではなかった。  最後まで、誰も私を祝福しなかった。


 それでも、私は笑った。  自嘲でもなく、強がりでもない。  心から、清々しかった。



 それからしばらくして。


 私は小さな村の外れで、静かに暮らすことにした。  名を変え、身分を捨てて、パン屋の手伝いをしている。


 小麦粉は裏切らない。  こねれば膨らむ。  オーブンの前では、誰も貴族ではいられない。


 村の子どもたちには「焼きたてセシリア」と呼ばれている。  たぶん悪意はない。たぶんね。


 たまに城から使いが来るけれど、私は応じない。  戻る理由がないからだ。


 私が舞踏会で得た“勝利”は、人生の褒賞ではなく、  自分を演じることをやめた“罰”のようなものだった。



 でも、私は生きている。


 誰にも祝われない人生。  誰にも赦されない選択。  けれど、それは“私”の物語だった。


 誰も救えなくてもいい。  私は、自分を生きる。


 毎朝、パンを焼き、猫に無視され、  パンジーと会話して、焼きたてをつまみ食いして。


 たまに空を見上げて思う。  ──あの日、私はあの舞台で何を得たのだろう。


 ……たぶん、何も得ていない。


 でも、それが答えなのだ。


 これは“何かを得る”物語ではなく、  “物語を降りる”決断を描いた話だった。



 ある日、村の少年が聞いてきた。


「セシリアお姉ちゃん、むかし何してたの?」


 私は笑って言った。


「ちょっとね。舞台の上で、大暴れしてきたの」


 少年はキョトンとした。  そしてこう言った。


「……それって、すっごくかっこわるいね」


 私は、腹を抱えて笑った。  その通りだと思った。


 かっこわるくて、うるさくて、誰にも祝福されない。


 それでも、私は“私”として、今日を生きている。


 ──それが、脚本のない人生。


 そして、ようやく始まった“本当の物語”だった。







 「……セシリア様、おかわり焼けましたよ」


 声をかけたのは、店主のマルタだ。ぽってりした体型で、笑うと顔がまんまるになる。


「だから“様”はやめてって言ってるの」 「でもお嬢さん、どう見ても元貴族でしょ?」 「元、ね」


 私は、麦わら帽子を深くかぶりなおしてパンを運ぶ。村の広場には、朝から焼き立ての香りが漂っていた。


 パンは今日もふかふかだ。  裏切らないこの膨らみ。  人生もこうならいいのにと、少しだけ思う。


「ところでセシリア、また猫に振られたんだって?」 「違う。ちょっと尾を踏んだだけ。……たぶん」


 マルタが笑い、私もつられて笑った。


 ここでは、誰も“断罪劇の主役”など知らない。  “悪役令嬢”だった私を知る者も、いない。


 でも、それでいい。


 昨日の花壇には、小さなパンジーが咲いていた。  その下に、子どもが書いたような手紙が置いてある。


《パンやのねえちゃん いつもありがとう》


 綴りは滅茶苦茶だ。  でも、これがきっと、人生で初めての“本当の祝福”。


 私はふわりと、パンより軽く笑った。


 いつかまた、誰かの人生に迷いが生まれたら。  そのときこそ。  私は、声をかけられる人でありたい。


 ──そんなことを思いながら。


 今日も私は、猫とパンジーと焼きたての香りの中を生きている。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


断罪イベントを“壊す”ことで、逆に見えてきた“物語の外”──

セシリアが選んだ「祝福されない勝利」は、

もしかすると“幸せ”とは少し違うのかもしれません。


でも、それでも彼女は歩くのです。

土下座の海原を超えて、パン屋の厨房へ。


この作品が、ざまぁの奥にある静かな希望を、少しでも感じていただける物語になっていたなら幸いです。


ご感想・評価などお待ちしています!

次回作もまたよろしくお願いいたします。


──月白ふゆ

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― 新着の感想 ―
マイトガインの先に在る物語ですね。
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