【第四幕:祝福されざる勝者】
舞踏会の終幕。 大広間は、ざわついていた。 だがそれは、先ほどの土下座祭りとはまるで違う、 どこか気まずさと畏怖を孕んだ沈黙と、ぎこちない拍手によるものだった。
「──セシリア様、おめでとうございます!」 「いやあ、見事な立ち回りでした! あは、は……」
そう言って近づいてくる貴族令嬢たちは、誰もが目を泳がせていた。 それは決して、羨望でも、共感でもなかった。 賞賛の言葉に添えられた笑みには、明確な恐怖があった。
──あれを怒らせたら、どうなるか分からない。
そんな空気が漂っていた。
私は微笑を返しもせず、淡々と頷くだけだった。
(……分かってるのね。私が“脚本を殺した”ことを)
彼女たちもこの世界の登場人物。 大なり小なり、与えられた“役”を演じていたはずだ。 それを、私が壊した。 ルールを、フォーマットを、 なにより、“物語”そのものを、私が潰した。
人は、物語の中にいれば安心する。 誰が善で、誰が悪か。 どこで笑って、どこで泣くべきか。 そういうシナリオがあるから、人生は分かりやすい。
だが、私はそれを許さなかった。 私自身が、台本に書かれた悪役だったからだ。 ──それなら、書き換えてやる。
私は“役割”を棄てた。 ただの登場人物であることを拒否した。 「セシリア様、乾杯の音頭を……」 「……結構よ」
言葉を拒んだ私に、場の空気が再び凍る。
──けれどそれでいい。
私はヒロインでも、主人公でもない。 ただの“脚本クラッシャー”。
そして、それは“全員”にとって脅威だった。
◆
夜会は続いていた。
王子クラウスは顔を赤くして沈黙し、 誰とも目を合わせないよう、無言でグラスを傾けていた。
賢者アーサーは妙にテンションが高く、 「いやあ! やっぱりセシリア様は違う!」と繰り返しながら、 ケーキとワインを交互に摂取して胃を壊しかけていた。
騎士ギルベルトは片手で筋トレ用のダンベルを握りしめ、 もう片方の手で机に頭を打ち付けながら自省を繰り返していた。
(なんなんだこの空気)
もはやコメディにもなりきれない半端な静けさ。 登場人物たちは生きている。 だが“物語”はもう、死んでいた。
台本を失った役者たちは、みな何をすべきか分からなくなっていた。
クラウス王子は“許しを請う恋人”という役を得られなかった。 アーサーは“理解者として寄り添う存在”の立場を奪われた。 ギルベルトは“忠義の騎士”を演じる余地すらない。
私が脚本を壊したせいで、彼らは“舞台に残された人形”になっていた。
◆
私はバルコニーに出た。 星が静かに瞬いている。 秋風が髪を揺らす。
「……勝った気がしないわね」
誰にも聞かせるつもりのない独白だった。
だが、背後からそっと声がした。
「……セシリア様。お話しできますか?」
振り返ると、そこにはリリアンがいた。 すっかり取り巻きも王子も引き連れておらず、 ひとり、ただの少女として立っていた。
その姿はひどく小さく、そして、弱々しかった。
「……なにかしら」
「わたくし……何もかも、間違っていました」
涙がこぼれそうな目。 演技か、本心か、もはやどうでもいい。 だが彼女の表情に、演技を装う余力はなかった。
「私、本当に“ヒロイン”になりたかったんです…… 皆に愛されて、輝いて……でも、気づいたら、 全部誰かに言われたセリフばかりで…… 私の言葉なんて、何一つなかった」
彼女は、自分の“言葉”を喪失していた。
それはまさしく、台本通りにしか生きられない者の末路。
私は彼女を見つめる。
「これからあなたが、何を信じて生きるのか。それが全てよ」
彼女の瞳が揺れる。 はじめて、自分の心で物事を受け止めようとしているようだった。
リリアンは、黙って頷いた。 そして、何も言わずに去っていった。
それだけだった。
◆
夜風がドレスの裾を撫でる。 脚本は終わった。 役割は剥がされた。
これから始まるのは、物語ではなく、人生だ。
その人生に、拍手はない。 歓声も、ハッピーエンドも、用意されてはいない。
だが、それでも。 私はこの結末を、選んだ。
“幸せになる”物語ではなく、 “物語から降りる”という結末。
──それでも。
セシリア・ド・ラファエリは、微かに笑った。 世界が静かに、書き換わっていく音がした。




