再興編
事件から数ヶ月後。
ゆうひと幹部信者全員が逮捕され教団の残党達はこれ以上信者が減るのを阻止するため山奥の合宿所でセミナーが行われた。
セミナーの内容は次期教祖に指名された当時十三歳のゆうひの妹、あさひと8名ほどの監督の発案を元に決められた。
長野サティアンに、当初は師だけが集められて行われ、ほとんどの師が参加した。
通常の修行、ドッジボール、リレーなど遊び的なものの他、蓮華座修業、自己啓発セミナーの手法を模した罵倒、断食修業、寒空に信者を放り出すというものまであった。
セミナーには具体的なスケジュールは設けられず、睡眠時間も一定しない状況だった。
悪天候の中で連日屋外へ放置し食事を与えなかったり、逆に食事を与えない後に無理やり大量に食事を与えさらに吐いたらその吐瀉物をもう一度食べさせる、水を浴びせ続ける、単純な運動を長時間に渡って続けさせるなどの拷問に近い修行が行われた。
初期には「解脱のために」との目的で行われ、「監督自らがそうしなければならない」とのあさひの指示に基づき、監督が信者らの前で顔を醜くゆがませて叫び声やうめき声をあげて振る舞ったり、口汚い罵声でやくざのような振る舞いをしたりしたほか、男性は女装させられてサティアンを警備している警察官らの前で踊ったりするというものであった。
また別のセミナーではあさひに「傲慢だ」と言いがかりをつけられ、縛り蓮華座を長時間強要されたり、車で遠方まで連れ出されて食事もさせられず、数日後にふらふらになり戻るというようなこともあった。
内容は次第にエスカレートし、縛り蓮華座では足を紐でぎっちりと縛りつけられあまりの苦しさにのたうち回ったり、絶叫する者もあったが、「逃げてどうする。地獄に堕ちてもいいのか!」と言われ「地獄に堕ちてもいいから、ほどいてくれ!」と懇願する者もいたという。
長時間にわたる縛り蓮華座の結果、足部のうっ血が原因で毒素が内臓に達して救急車で病院へ担ぎ込まれ、その後も足が不自由となる者、あるいは両足切断寸前となる者、酸素吸入を受ける者、熱中病にかかる者、意識不明となる者や負傷者が続出、脱会者も多く出したという。
ほかに「突っ込み」と呼ばれていたものがあり、1人の信者を数人の信者で取り囲み、罵声を浴びせ、当人の弱点や悪行を涙を流すまで責め続け、あさひが「いい」と言うまで続けられた。
時には監督にも矛先が向けられ、あさひをはじめ他の監督らが罵声、軽蔑、無視などの責苦を与え監督から排除し数ヶ月間無視するなどの行為が行われた。
その結果、あさひは出家信者らから「恐怖を伴う神格化」がなされた。
指導する側も綿密に計画を練り上げていたわけではなく、いい加減で行き当たりばったりなものであったため、当初は脱会を防止する目的で行われたセミナーであったものの、結果的に脱会者を多く出すこととなった。
こうして教団は縮小し、やがて政府から解散命令が出され、ゆうひの野望は潰えた。