立志編1
「今年もダメだった……」
石岡ゆうひは狼狽えた。今回で三回目の東大受験に落ちてしまったのだ。
「今年もダメだったんだ……残念だったね」
隣の家に住む幼馴染の関根まいかがゆうひを慰める。
「もう受験は諦めようかな」
ゆうひは東大受験を諦め、滑り止めで受けた私立の東京国際卓越大学に進学した。
学科はまいかと同じリベラルアーツ学部のグローバルビジネスコミュニケーション学科に入った。
ゆうひは嘆いた。
俺の人生こんなはずじゃなかった。
俺は他の凡人とは違う天才なんだ。
地元の同級生の美能さきのように皆から認められる秀でた人間なんだ。
誰よりも凄くて普通の人には到底及ばない偉業を成し遂げて大金持ちになるんだ。
なのに今では二十一歳の三浪三流大学生だ。
俺は本当は凄い奴なんだ。
周りを納得させる実績を獲得しなくては……。
と、ゆうひはメラメラと闘争心を燃やした。
数日後。
地元の同級生である美能さきと二人で定期的に行っている二郎系ラーメン屋巡りをしていた。
行列に並びながら世間話をする。
「夕方になるとまだ寒いね」
「そうね。でも寒い時の方がこういう系のラーメンは美味しく感じる」
「分かる。まあ通年で食べに言っているんだけど」
「今日は食欲どう? ここの店舗は麺が多いらしいけど」
「その前評判を聞いていつもより空かしてきた」
「でも空きすぎていても胃が活性化してなくて進まない時ない?」
「分かる。だから昼少し食べてきた」
「まあ着丼してニンニクと豚肉の臭いが鼻を突いた瞬間に流しこみたくなるけどね」
「それ。中毒性が本当に高い」
二人はラーメンを食べ終えて腹ごなしに周辺の街を散策した。
「受験ダメだった」
「そうだったらしいね」
「そっちはどう?」
「なんとか進級できた」
「さすが」
「最近は趣味で社会学の本を読み漁っているんだ。きっかけはこの前、SNSで文化資本について話題になっていて〜〜」
その後さきは延々と趣味でやっている勉強の話をしてくれたが、ゆうひには一生懸命聞いたが内容が高度過ぎてさっぱり分からなかった。
本当に頭の良い人はバカにも分かりやすく伝えるという言説があるが、本当に頭の良い人はそもそも考えている内容の前提知識量が多く、大学レベル以上で学ぶ概念を理解した上での論説となるから、バカの思考領域に被ってないので分かりやすくしょうがないし、したところでそもそもの内容自体がバカには理解する事が不可能なのだ。
「ほんと役に立たなそうな勉強も楽しい」
さきのその締めの一言でゆうひは激しい劣等感に襲われた。
さきは世界の十指に入る大学に通いつつ、他に趣味で勉強をしていて充足感を感じている。
対してゆうひは未だに高校時代の勉強をし続けていて、なおかつ身についてない。
もともと知識を得たり学業で秀でた成績を取る事は好きなゆうひであったが、人生を左右する受験勉強は正直なところ苦痛でしかなかった。
ゆうひは勉強で苦しんでいる自分を差し置き勉強を楽しでいるさきを憎らしく思った。
しかし大学受験に失敗した自分の知性を他者へ誇示する唯一の材料が優秀なさきとの交友関係であった。
優秀な人間と対等な関係というアイデンティティが皮肉にも知への従属の依存先でありコンプレックスの象徴となってしまっている。
そんなゆうひの腹心などつゆ知らずさきは朗らかにゆうひに接する。
さきもまた紙一重の天才であるがゆえに孤独であり、一方的に話し続けても気にせず寄り添ってくれるゆうひのような友人を必要としていた。
「(俺は学業とは違う方面で成果を出してさきを超えてやる……)」
これは一人の青年の個人的なコンプレックス解消へ奮闘する活躍譚であり、それに巻き込まれる社会及び大衆の悲劇である。
○
ゆうひはある日、気づいた。
急成長するベンチャー企業を立ち上げるカリスマは大卒より高卒の方が多いという事に。
とにかく今までになかった事を成し得たい。
そう考えたゆうひはビジネスについて思索した。
大金を得るために必要な事は相手にどんな利益を与えられるかである。
その着想の仕方は生きていて不便な事を見つけるのが良いらしい。
どっかの起業家が言っていた事だ。
ゆうひは数日間ずっと考え続けたが別段思い当たる事はなかった。
この国は中流階級の裕福な家庭で育った学生にとって快適過ぎるのだ。
強いてあげるなら己のコンプレックスと将来に対する不安、性的な欲求不満くらいだった。
「(AVでも撮るか……)」
そのくらいしか浮かんでこなかった。
自分の知性では何も生み出せない。
そう思ったゆうひは近所で行われている経営セミナーに通う事にした。
セミナー会場は街中のビル型公共施設の小さな会議室だった。
セミナー内容はありきたりなマルチ商法の紹介と勧誘だった。
ゆうひは熱心に聞くふりをしていたらセミナーの講師から打ち上げに呼ばれた。
セミナー講師は中本聡という30代の細身の男性だった。
グッチのメガネをかけているがスーツがリクルートなので似合ってない。
クラフトビールが好きらしく昼間はカフェをやっている小洒落たビアバーに連れてこられた。
ゆうひはこういう静かで暗い場所は帰って落ち着かなかった。
そもそもゆうひはお酒に強くなく甘いカクテルしか飲めない。
いつもはチェーンの大衆居酒屋でカシスオレンジかカルピスサワーを頼むのだがメニューになく、果実系のビールをオレンジジュースで割ったビアカクテルを頼んだ。
「君はどうしてこのセミナーに来てくれたんだい?」
「俺、有名になりたいんです。某ECサイト創業者とか某ネット掲示板開設者みたいな大物になって皆から賢いと認められて、俺を馬鹿にしてきた奴らより何倍も稼ぎたいんです」
「素晴らしい野心だね。君は今日来たセミナーの中でも一味違うと思っていたんだ」
「ありがとうございます。なので俺を弟子にしていただけませんか? 先生の今日紹介した商品を買うつもりはないですけど頭の悪い友達や地元の後輩三人くらいには売りつけられます!」
「なぜ購入を躊躇っているんだい?」
「買うお金がないし買うためのバイトをする予定がないからです! 1秒でも早く成功したいので3人分の売り上げの代わりに何か俺が大金持ちになるためのアドバイスを下さい!」
「そうだなぁ……君は宗教家になりなさい。悩みがあったり気の弱い人間は宗教に集まる。そいつらを魚釣りのように釣ればいい。君は弱い人間を相手にしなさい」
「先生、宗教は蜘蛛の巣を張っておけばいいんですよね。そうしたら自然に引っかかってくる。あとは弱るのを待てばいい」
「そういう事だ」
ゆうひは弟子にこそなれなかったが非常に有意義なアドバイスを得た。
宗教を始めるために資金集めをしよう。
と、ゆうひは決意した。
○
金を集めるためにまず行った事、それはネットショップの運営だった。
売れなかったため廃棄になった粉末状の健康食品を買い取り、オリジナルのダイエット食品として包装し直し、ネットで高額で売りつける。
そのままでは売れないのでSNSでネカマをして友達の少ない頭の悪そうな女性をターゲットにネッ友になりたいと言って近づき、信頼させてからさりげなく商品を勧める。
これにより梱包作業以外はずっと寝そべってスマホをいじっているだけで暮らせるようになった。
しかし、そんな美味しい生活も長くは続かない。
事の発端はカモリストの一人、なっちゃんというハンドルネームの三十歳の女による告発だった。
なっちゃんは軽度知的障害を抱えていて精神疾患もあり親兄弟親戚とは絶縁状態の生活保護受給者だった。
生活保護費をゆうひの売りつけた商品への使い込んでいた事が民生委員にバレたのだ。
民生委員に諭されて我に返ったなっちゃんはゆうひを訴えると言い出した。
ゆうひはビジネスパートナーとなったまいかをなっちゃんのところに向かわせ彼女を説得した。
返品という形で購入代金を満額返金し怒りを鎮めた。
しかし民生委員をどう誤魔化すか。
民生委員も常になっちゃんを監視しているわけではない。
ならばできる事はただ一つ、なっちゃんをより上手く手なづけ民生委員を誤魔化すように仕向けさせるのだ。
なっちゃんは自分に都合の良い甘言をすぐ鵜呑みにしてしまうところがある。
民生委員などの公的機関に不信感を抱かせ、なおかつその不信感を持っている事が凄い優位性のあるものと誤認させる必要がある。
ゆうひは若い男を一万円程度で雇い役所の職員を装わせなっちゃんの家を訪問させた。
そして性的暴行を加えさせた。
なっちゃんは心に深い傷を負った。
なっちゃんはシャイな性格のため、警察に相談できないというゆうひの読みは当たった。
もちろん雇った男は公務員風のスーツ姿の装いのため顔が割れているが、通報していないので追いようがない。
暴行事件後の相談相手役のまいかに部屋の掃除をさせるよう仕向け、証拠隠滅工作に成功した。
そして、まいか経由でゆうひを紹介させる。
すっかり男性不信になってしまったなっちゃんだったが、ゆうひは元々中性的な容姿をしており、異性に性的関心のない同性愛者を詐称したため、抵抗が少なく受け入れられ上手く懐柔した。
ゆうひはこうして一人目の信者を獲得したのであった。
○
数年前。
当時、中学二年生の関根まいかは同級生の女子グループ内でいじめに遭っていた。
土曜日。部活終わりの午後。まいかはグループ内でリーダー格の女の家に招かれていた。
そこでグループ内の女子全員にケーキを振る舞われたが、まいかにだけ汚染された排水溝のネットをあてがわれた。
いじめっ子の主犯格が「それを口の中に入れろ」と命令する。
同席していたグループの女子達も嗜虐心に満ちた顔でニヤニヤとしながら「早くしな」とせかした。
仕方なくまいかは口に含んだものの気持ち悪くなりすぐ吐き出してトイレに逃げ込んだ。
トイレの中でスマホを取り出し泣きながらゆうひに電話をかけて「助けて」と懇願した。
義憤に駆られたゆうひはGPSでその家の位置を教えてもらい、トイレの窓からまいかを救出した。
そして、家から持ってきた着火マンといらない手拭い数枚を取り出した。
近隣に止めてあった自動車の給油口を開けて給油口に突っ込みガソリンを染み込ませた。
それを数回繰り返し計数メートルの布の導火線を作った。
その先端を家の裏口に置いてあるプロパンガスのボンベにくくりつけた。
近くの公園で手を洗ってから導火線の端に戻り、着火マンで火をつけた。
いじめっ子の家は爆発し、いじめっ子達は全員死んだ。
爆発を確認したのち、二人はすぐ逃げるように帰宅した。
近くに防犯カメラはなく目撃者もいなかったので警察や親にバレずに済んだ。
それ以降、まいかはゆうひの事を崇拝するように愛し、ゆうひの望むこと全てに応えるようになった。
ゆうひはまいかにとっての救世主なのだ。