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傀儡国家満州

約80年前の日本は太平洋戦争で敗戦により、植民地に居住していた日本人は、窮地に陥った。日本への帰国は、すぐにはかなわず生きていくために様々な苦労を重ねていた。その頃、9歳の筆者は、印象的ないくつかの場面を昨日の出来事のように覚えている。それらの場面を想起しながら書いて作品である。

 1.      

 二〇二二年二月、ロシアが突然ウクライナに攻め込んだ。泰明は、これを知って既視感を覚えた。

泰明は七七年前の八月九日、父の赴任先である満州の延吉(当時の日本名は間島市)の官舎に父母と弟妹らと五人家族で住んでいたが、突然ソ連軍が闖入してきた。延吉市は、ソ連と朝鮮との国境に接し、全人口の七、八割は朝鮮族が占める。残りの二、三割の中に中国人とわずかばかりの日本人が含まれていた。ここに君臨していたのは関東軍と満州国の官僚、および中国人の大地主たちである。人口比では多い朝鮮人も日本人と中国人の双方から圧迫されていた。 この辺りはもともと「共匪」の多いところと言われ終戦前から治安不良の地として恐れられていた。「長白の虎」と呼ばれる金日成の威力も北朝鮮との国境線に沿って延吉の朝鮮族の中に浸透していた。このように雑居民族から構成される延吉市は、中国の中でも特異な存在で、中国本土内にありながら昔から中央政府の意向の届きにくいところであったらしい。現在は朝鮮族の自治州として行政の自治が認められている。終戦後は一度も国民党政府の支配を受けたことがなくソ連占領からそのまま共産党の側に引き継がれている。

ソ連は前日の八日の夕刻に日本に対し宣戦布告していた。ソ連は、それまでヨーロッパでドイツ相手に戦っていたが一九四五年五月にドイツが敗退すると、そのソ連軍をシベリア鉄道に乗せて東方に大移動させ日本に参戦してきたのである。この参戦は、米英ソによるヤルタ会談での約束を履行したものであった。その内容は、ドイツ降伏から三か月以内に太平洋戦争に参戦することであった。ソ連はその約束どおりドイツ降伏から三か月目に満州の東部、西部、北部の三方向から同時に侵攻を開始した。また当時日本領であった南樺太、千島列島などにも侵攻した。

 ソ連は日本と日ソ中立条約を結んでおり、その第一条では相互不可侵を謳っている。つまりソ連は二股をかけていたが、日本を裏切ったのである。敗色濃い日本は戦争の終結斡旋をソ連に期待していた。ソ連の二股外交を見通せないようでは、外交の失敗と言わざるを得ない。

 当時、満州は関東軍が守備に当たっていたが、その主力部隊の大半は南方戦線に割かれており、在満部隊は手薄であった。それでもソ連参戦の情報が伝わると関東軍は間島市に住む日本人を保護するため軍のトラックに分乗させて避難させようとした。ところが、ソ連国境に近い街では、どの方向に逃げれば安全なのか判断できなかった。軍により何台ものトラックに分乗させられた日本人家族は関東軍兵士の運転で間島市周辺を一晩中走り回って結局は元の場所に戻るしかなかった。軍の混乱ぶりを示すものであった。泰明は当時九才であったが、何処に連れて行かれるかわからないままトラックの荷台で震えていた。

 そのニ、三日後、ソ連軍の戦車の列が間島市の図們江支流の橋を渡って轟轟と市内に侵入してきた。噂によれば、彼らは戦争参加を約束させた刑務所の受刑者たちだと言う。ソ連兵は二、三人がグループとなり、一般日本人の家屋に玄関からマンドリンと俗称される軽機関銃で脅しながら土足のまま突然侵入してきた。めぼしい家財を片っ端から強奪し、女性には乱暴狼藉を働いた。彼らが何個も盗んだ腕時計を腕に沢山巻き付けて喜んでいる様は、腕時計を見たことがないようであり無教養で粗暴な男たちであった。時計のネジの巻き方も知らず、時刻の見方も知らなかった。強奪したタバコの火を裸電球でつけようとして、できないこと知ると怒って電球を割るくらいの無知であった。

今回、ウクライナ侵攻中のロシア軍は刑務所で兵員を募集し四七万円の報酬と釈放を条件としていると報道されており、その類似性を感じる。

粗暴なソ連兵の噂は、たちまち日本人の間に広まった。女性はソ連兵に狙われないよう顔に煤を塗り服装も取り替えて男に化けた。女性的な体つきは、変えられないので着ぶくれするほどの服を着て悟られないように努めた。

関東軍の兵隊たちは、ソ連軍に武装解除されソ連へ連行されて行った。間島市は、途中の宿泊地であり日本人住民は、彼らを分散させて宿泊させる手伝いをさせられた。ソ連に連行されつつある彼らは、背には背嚢を担ぎ、ニンニクを紐で縛りネックレスのように首からぶら下げていた。ニンニクを食べると身体の中から温まるので、予測不能の今後の行進において寒さを凌ぐ手段であった。 

一夜の宿として我が家に泊まった兵士は、一八歳程度のあどけなさの残る若者であった。吉田と名乗るその若者は栃木県の出身で独特のなまりがあった。吉田さんは、洋画家を目指して東京美術学校在学中に学徒動員で招集されたと言っていた。そして、その夜、泰明一家の団欒風景を鉛筆でサラッと写生して絵を残してくれた。泰明の父母も弟妹も笑みのある顔として描かれており、不安の中に一抹の安らぎを与えてくれるデッサンであった。

翌朝、彼が連行される部隊とともに出発する時、「日本に帰ることができたら、また会いましょう」と名残り惜しそうに言った。吉田さん達を強制的にソ連に連行したいわゆる「シベリア抑留」とは日本の敗戦により投降した日本人捕虜や民間人たちが武装解除され労働力として長期にわたる奴隷的強制労働を課され多数の人的被害を生じたことに対する日本側の呼称である。地域としては、満州以外にも朝鮮半島北部、南樺太、千島列島で抑留され、その総数は五七万人余りに上るとされる。極寒環境下で満足な食事や休養も与えられず苛烈な労働を強制されたことにより約五万八千人が死亡したとされる。

 その後も様々な予測できない出来事が続いた。ある時は、二歳くらいの男の子を連れたやつれた感じの田中と名乗る女性が泊まった。親子は数日滞在したが、満州北部から逃げてきたと言っていた。親子ともやせ細りみじめな恰好でかなり疲れているようだった。それでも男の子が空腹や不安に怯えて泣くと、母親はいい声で子守歌を歌ってやっていた。

十歳になった泰明は、「みつるちゃん」と呼ばれる子と遊んでやった。みつるちゃんは、泰明にとても懐いて、何処にでもついて歩いた。その頃、満州では発疹チフスやコレラなどの伝染病が蔓延していた。燃料の入手が困難なので風呂には入れず、虱や蚤が家族全員にたかり、体中が痒く、いつもどこかをボリボリ搔いていた。発疹チフスはコロモジラミやアタマジラミによって媒介されるという。発疹チフスは抵抗する免疫が欠如すると発病する。二歳の「みつるちゃん」は感染し発病した。ある朝、起きてみると線香の匂いがした。小さな台の上に茶碗が置かれ、ごはんに一本箸が差されていた。「みつるちゃん」は、ふとんの中で顔に白い布が被されて横たわっていた。

 泰明は、突然の出来事に泣くこともできず茫然と突っ立っていた。子を失った田中さんは、間島にも満州各地から逃げてきた日本人の収容所ができ食事が与えられるという情報が届いたので、そちらへ移って行った。

 敗戦後の満州でチフスやコレラ等の伝染病が蔓延したことは、生活の質が低下して入浴もままならず不潔であったことに起因したであろうと思われてきた。

しかし「生物兵器」の研究・開発を行っていた、いわゆる七三一部隊は満州のハルピンで活動していたことと関連があるのではないかという見方もある。戦後、ある七三一部隊の所員は「ペストやチフスなどの各種の病原体の研究のため病原菌を培養し、ノミなどで攻撃目標を感染させるために媒介手段の研究が行われ、寧波、常徳などで実際にペスト菌が散布された」と述べており、満州での蔓延の感染経路についても無関係とは言えないのではないか、と泰明は考えている。

 ソ連軍は敗戦の年の暮頃、中国との約束どおり撤退し、毛沢東の率いる八路軍がやってきた。彼らは統制が取れておりソ連軍のような家屋侵入はしなかったが、戦時中、中国人に対して酷い仕打ちをした日本人を探し出し「人民裁判」にかけて裁くようになった。捕らえられた日本人は、三角帽子を被せられ、町中を歩かされ、公園のような広場で群衆の前で、自分の罪を告白し三角帽子の頭を低く垂れ謝罪した。群衆の中から、その日本人から酷い仕打ちを受けた中国人たちが大声で「殺せ!」と叫ぶと、彼らには死刑が待っていた。


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